(承前)
昼食を食べて、正午ごろ店を出ました。
外は相変わらず雨が降っています。
納内駅までは10分弱の道のりです。
道道51号旭川深川線に沿って、近年は甲子園出場で有名になったクラーク記念国際高等学校があります。
校舎に隣接してたっているのが、冒頭画像の建物です。
これ、めっちゃ渋くないですか?
なんか由緒がありそうな、美しい建物です。
駅前通りと道道の交叉点に、開拓記念公園があります。
斜め向かいは納内神社の境内です。
記念碑や鐘などが並びますが、野外彫刻のたぐいは設置されていないようです。
「屯田歩兵第一大隊大五中隊本部跡」という碑が立っています。
そうかあ、納内は屯田兵が開いた村だったんですね。
開拓当時の井戸とおなじ水源の泉もありましたが、冬季なので水は止まっていました。
納内村は1963年、深川町・一已村・音江村と合併し深川市となっています。
駅前通りに入ります。
米穀店、電機店などがありますが、シャッターをおろしたままの店もあり、あまりにぎわっているとはいえません。
脇道には木造の家も散見されます。
古そうなれんが造りの建物がありました。
サイト「純喫茶ヒッピー」によると
「旧「納内村」の開拓者であり村長だった村上清孝氏の大正初期の自宅」
とのこと。
再活用すればおもしろそうです。
納内駅舎は市の納内支所を兼ねています。
時計台になっているあたりに、明治時代のわりには時間にやかましかったであろう屯田兵村らしさを感じるのは筆者だけでしょうか。
無人駅なので、ICカード用の自動改札機はこんなふうに設置されています。
ICカードを持っていない人は、ふつうの路線バスとおなじように、乗るときに整理券を取って降りるときに運転手の横の運賃箱に現金を入れるのです。
納内は札幌と旭川を結ぶ道内屈指の幹線にある駅ですが、特急はすべて通過するので、1日に来る普通列車は9往復にすぎません。
納内0時23分発の普通列車。
電化複線区間にもかかわらず、やって来たのは単行のキハ54系ディーゼルカーです。
深川からローカル線の留萌線に入り石狩沼田まで行く列車なので、電車でないのは道理です。
1輛編成のディーゼルカー内は、通学の高校生でそれなりに混雑していました。
扇風機に「JNR」の文字が刻まれて、いかにも昭和の車輛です。
列車は水田地帯を貫く線路をまっすぐに走り、6分後に深川に到着しました。
昼食を食べて、正午ごろ店を出ました。
外は相変わらず雨が降っています。
納内駅までは10分弱の道のりです。
道道51号旭川深川線に沿って、近年は甲子園出場で有名になったクラーク記念国際高等学校があります。
校舎に隣接してたっているのが、冒頭画像の建物です。
これ、めっちゃ渋くないですか?
なんか由緒がありそうな、美しい建物です。
駅前通りと道道の交叉点に、開拓記念公園があります。
斜め向かいは納内神社の境内です。
記念碑や鐘などが並びますが、野外彫刻のたぐいは設置されていないようです。
「屯田歩兵第一大隊大五中隊本部跡」という碑が立っています。
そうかあ、納内は屯田兵が開いた村だったんですね。
開拓当時の井戸とおなじ水源の泉もありましたが、冬季なので水は止まっていました。
納内村は1963年、深川町・一已村・音江村と合併し深川市となっています。
駅前通りに入ります。
米穀店、電機店などがありますが、シャッターをおろしたままの店もあり、あまりにぎわっているとはいえません。
脇道には木造の家も散見されます。
古そうなれんが造りの建物がありました。
サイト「純喫茶ヒッピー」によると
「旧「納内村」の開拓者であり村長だった村上清孝氏の大正初期の自宅」
とのこと。
再活用すればおもしろそうです。
納内駅舎は市の納内支所を兼ねています。
時計台になっているあたりに、明治時代のわりには時間にやかましかったであろう屯田兵村らしさを感じるのは筆者だけでしょうか。
無人駅なので、ICカード用の自動改札機はこんなふうに設置されています。
ICカードを持っていない人は、ふつうの路線バスとおなじように、乗るときに整理券を取って降りるときに運転手の横の運賃箱に現金を入れるのです。
納内は札幌と旭川を結ぶ道内屈指の幹線にある駅ですが、特急はすべて通過するので、1日に来る普通列車は9往復にすぎません。
納内0時23分発の普通列車。
電化複線区間にもかかわらず、やって来たのは単行のキハ54系ディーゼルカーです。
深川からローカル線の留萌線に入り石狩沼田まで行く列車なので、電車でないのは道理です。
1輛編成のディーゼルカー内は、通学の高校生でそれなりに混雑していました。
扇風機に「JNR」の文字が刻まれて、いかにも昭和の車輛です。
列車は水田地帯を貫く線路をまっすぐに走り、6分後に深川に到着しました。
(この項続く)