(承前)
…という題をつけたけど、話は歴史に関する学問一般のことだ。
この本に限らず、美術史の書物を読んでいると、過去の本や新聞などからの引用が多い。
美術史だけではない。学問の世界では、すべての歴史は、「書かれたもの」が対象になっているのだ。
書かれていないものは、存在していないと同じである。
学問というものが厳密さを信条とする以上、当然のことといえる。
書かれていないものを対象にするのは、歴史学ではなく、考古学や文化人類学になってしまうのだ。
もちろん、対象となっている作家が存命の場合、本人へのインタビューが行われることはあるし、関係者への聞き取りがなされることもあるだろう。
しかし、基本は、紙に書かれた文字が中心だ。
北海道の美術は、本州以南にくらべると、明治以前の歴史をほとんど持たないといってよい。
また、雑誌も少ないことから、したがって、文献資料の多くは、新聞となる。
ここで、筆者は思う。
その時々の新聞というのは、美術状況をちゃんと反映しているのか?
…まあ、筆者がなにを書きたいのか、熱心な読者のみなさんはもうおわかりかもしれない。
新聞(とりあえず、「札幌タイムズ」は健闘しているものの)が、きちんと美術のことを報道しているのであれば、こんなに時間を削ってサイトやブログはやってないということだけは、まちがいない。
もし遠い将来、学芸員や大学の先生が、21世紀初頭の道内の美術の歴史を調べようとしたとき、まずこのサイトをひらくようになれば-と、筆者はひそかに願っている。
いまは、図録の参考文献のところにURLが書かれることは、道内ではほとんど例がないけれど、その状況は変わって行くにちがいない。
…という題をつけたけど、話は歴史に関する学問一般のことだ。
この本に限らず、美術史の書物を読んでいると、過去の本や新聞などからの引用が多い。
美術史だけではない。学問の世界では、すべての歴史は、「書かれたもの」が対象になっているのだ。
書かれていないものは、存在していないと同じである。
学問というものが厳密さを信条とする以上、当然のことといえる。
書かれていないものを対象にするのは、歴史学ではなく、考古学や文化人類学になってしまうのだ。
もちろん、対象となっている作家が存命の場合、本人へのインタビューが行われることはあるし、関係者への聞き取りがなされることもあるだろう。
しかし、基本は、紙に書かれた文字が中心だ。
北海道の美術は、本州以南にくらべると、明治以前の歴史をほとんど持たないといってよい。
また、雑誌も少ないことから、したがって、文献資料の多くは、新聞となる。
ここで、筆者は思う。
その時々の新聞というのは、美術状況をちゃんと反映しているのか?
…まあ、筆者がなにを書きたいのか、熱心な読者のみなさんはもうおわかりかもしれない。
新聞(とりあえず、「札幌タイムズ」は健闘しているものの)が、きちんと美術のことを報道しているのであれば、こんなに時間を削ってサイトやブログはやってないということだけは、まちがいない。
もし遠い将来、学芸員や大学の先生が、21世紀初頭の道内の美術の歴史を調べようとしたとき、まずこのサイトをひらくようになれば-と、筆者はひそかに願っている。
いまは、図録の参考文献のところにURLが書かれることは、道内ではほとんど例がないけれど、その状況は変わって行くにちがいない。