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酒井忠康さんの講演「野外美術館をつくったころ」を聞いて思ったこと

2023年12月08日 23時23分45秒 | つれづれ日録
 12月7日、毎日新聞北海道版を開いたら、先日、SCARTS で行われた酒井忠康さん(世田谷美術館長、美術評論家、後志管内余市町出身)の講演「野外美術館をつくったころ」の記事が載っていました。

 酒井さんは、日本の公立美術館の先駆けとして知られる神奈川県立近代美術館の学芸員として働いていた時分、当時の匠秀夫館長とともに、札幌に足繁く通って、芸術の森野外美術館の作家選定などに深くかかわったのです(匠秀夫さんは日本の近代美術についての著書も多くある、やはり北海道ゆかりの方です。酒井さんはその後、同美術館の館長になりました)。

 毎日新聞の記事で、札幌芸術の森の野外美術館で一番印象深い彫刻家を尋ねられた酒井さんが、砂澤ビッキと即答したことが、最初のほうに書かれています。
 まあ、自分でもそれを記事の主要な要素におくだろうなあと思います。
 選定委員会で、北海道新聞学芸部(当時)の記者として美術・映画を長らく担当していた竹岡和田男さん(故人)が
「砂澤ビッキの作品がなければ画竜点睛を欠く」
と発言し、木彫ゆえの耐久性を心配する声に反論したとのこと。
 酒井さんがビッキに電話すると、彼は
「おれの作品は100年はもつ」
と言ったという話です。

 もう一つ、毎日の安味さん(毎日新聞社を定年退職し、いまは契約記者です)が書いているのは、「環境造形Q」の「北斗まんだら」のこと。
 野外美術館オープンのころは苗木だった木々が大きく育ち、地面に埋め込まれて並ぶ石をすっかり見えにくくしているこの作品。当初は数倍の広がりを持たせるつもりだったそうですが、公平性などの指摘が出て、現在の規模になったそう。
 たしかに「時間の経過による変化」を取り入れているという点では、全作品のなかでもユニークな存在です。
 いや「100年もつ」と言った砂澤ビッキの作品も、まさに時とともに変わっていったのですが。

 酒井さんは半ば冗談めかして、環境造形Qの面積をもっと広げちゃえば良かった、みたいなこともおっしゃっていましたが、筆者にはなんだかその気持ちがすこしわかるような気がしました。
 匠さんや酒井さんは、1980年ごろの段階で最良と目されるラインアップを考えて彫刻家を選んだのは間違いないと思います。
 しかし、歴史の移り変わりにともない、作家の評価も、美術史のとらえかたも、変わっていきます。
 たとえば、当時は「サイトスペシフィック」という観念がまだあまり普及していなかったので、裸婦像などが、札幌以外のマチなどと同じように設置されています。仮にいま野外美術館を設計するとしたら、おそらくこういう作品は採らないでしょう。

 野外彫刻は、さも永遠の美の結晶のような顔をして、立っています。
 でも、札幌芸術の森野外美術館の作品の顔ぶれには、ある特定の時代の価値観が刻印されているのです。

 そのことを、酒井さんは、一種の苦みをおぼえながら、振り返っておられるのではないだろうか…。
 講演を聴きながら、筆者はそんなことを考えていました。
 とはいえ、どんな思想も時代の限界からは逃れることはできません。また、現代(そのつどの同時代)ときちんと格闘し、向き合った思索だけが、長い生命を持つのではないかとも思います。

 その意味では、あの時点でのベストな彫刻作品群が札幌芸術の森野外美術館に集まっているのであり、それには大きな意味があるといえるのではないでしょうか。


https://mainichi.jp/articles/20231207/ddl/k01/040/035000c


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