ギャラリー北のモンパルナスがコロナ禍のため2020年春から休業して以来、4年8カ月ぶりに再開しています。
3人のうち、松本五郎さん(十勝管内音更町、20年歿)と菱谷良一さん(旭川)は、1941年(昭和16年)の生活図画事件により治安維持法容疑でとらえられて無実の罪で投獄された、当時の旭川師範学校(現北海道教育大旭川校)の学生です。2019年に2人展「無二の親友展」が同ギャラリーで開かれており、ご存じのかたも多いでしょう。
熊田さん(1910~93)は、旭川師範でのお二人の先生に当たります。大阪府茨木市生まれの彼の画業が紹介されるのは、初めてではないでしょうか。
北のモンパルナスの清水さん、田中さんが、ご遺族のおられる岐阜県各務原市まで足を運んで作品を借り、展覧会の運びとなりました。
冒頭画像の左側は展示作で最大の50号の「焦燥」。
サインに1937年8月とあります。
モデルは旭川師範の美術部員だった本間勝四郎。
本間さんは十勝管内で小学校の先生をしていましたが、生活図画事件に連座し、熊田さんとともに実刑判決を受けました。
右側にある肖像画はパステル画で「富樫周蔵氏の像」です。
サインの下に「16.9.18」とあり、1941年の作とわかります。
驚くべきことに、富樫さんは札幌警察署で取り調べを担当していた警察官。熊田さんは、捕まった人が多い旭川から札幌に一時移送されていたと思われます。
特高警察と容疑者の間にどんな意思疎通と交流があり、どんなシチュエーションで肖像を描いてもらったかどうか、いまとなってはくわしいことはわかりません。
清水さんと田中さんは、警察の宿直室で描いてもらったのではないかと推測します。
左側の絵で、畳の上で寝転がっている青年の横に、伏せられてある雑誌は「唯物論研究」のようです。
これは『日本イデオロギー論』などで知られる哲学者の戸坂潤(1900~45)らが中心となって1932年(昭和7年)に創刊した雑誌です。昭和に入ったころから治安維持法による共産党への弾圧が激しくなっていましたが(小林多喜二の虐殺は33年)、唯物論の研究自体は純粋な学問ということでセーフという扱いでした。
37年12月・38年1月の人民戦線事件で、共産党とは無関係の左派の人たちも治安維持法の拡大解釈によって大量検挙されるなど、雲行きが怪しくなり、38年3月に同誌は刊行を終えます。
なので、この絵の時点では、唯物論研究自体はまだ合法で、地下出版などではなかったのです。
熊田さんの絵も、美術部の生徒たちと同様に、いかにも穏やかな写実です。
風景も人物も静物も、やわらかいタッチで描写されていて、どこをどう解釈したら共産主義の宣伝だということになるのか、さっぱりわけがわかりません。
左は「ビスクドール」、右は「学帽の少年」です。
学生帽をかぶっている少年は1970年代以降めっきり減りました。
「ビスクドール」は、小出楢重がたくさん描いたフランス人形を連想しました。
省筆と描き込みのバランスはさすがです。
左の2点は松本さんの晩年の作で「無二の親友」「鉛筆を持つ自画像」、右は菱谷良一さん「スケッチする自画像」(1982)です。
2024年11月5日(火)~12月24日(火)午前11時~午後5時、日・月曜休み
ギャラリー北のモンパルナス(札幌市西区二十四軒4の3)
過去の関連記事へのリンク
■菱谷良一百歳記念作品展 (2021、旭川)
【告知】松本五郎展 ―自由な心を求めて―(2021年8月1~31日、鹿追)
【告知】松本五郎・菱谷良一 無二の親友展(2019)
戦前の「生活図画事件」で投獄された旭川の菱谷さんが個展 (2014)
■第14回えべつ平和を語るつどい「戦争中こんな絵を描いて捕らわれた 生活図画事件犠牲者の証言」 (2009)
・地下鉄東西線「琴似駅」東側改札口エレベーターから約350メートル、徒歩5分
・JR琴似駅から約860メートル、徒歩11分
・ジェイ・アール北海道バス「山の手一条通」から約810メートル、徒歩11分
(都市間高速バスや快速は停車しません)
・ジェイ・アール北海道バス、中央バス「西区役所前」から約1.06キロ、徒歩14分
(都市間高速バスや快速を含む、手稲・小樽方面行きの全便が止まります)
・ジェイ・アール北海道バス「52 琴似工業高校前行き」で「八軒1条東3丁目」から約850メートル、徒歩11分
(札幌駅前=旧札幌西武前=から出ていますが、本数は1、2時間に1本しかありません)
3人のうち、松本五郎さん(十勝管内音更町、20年歿)と菱谷良一さん(旭川)は、1941年(昭和16年)の生活図画事件により治安維持法容疑でとらえられて無実の罪で投獄された、当時の旭川師範学校(現北海道教育大旭川校)の学生です。2019年に2人展「無二の親友展」が同ギャラリーで開かれており、ご存じのかたも多いでしょう。
熊田さん(1910~93)は、旭川師範でのお二人の先生に当たります。大阪府茨木市生まれの彼の画業が紹介されるのは、初めてではないでしょうか。
北のモンパルナスの清水さん、田中さんが、ご遺族のおられる岐阜県各務原市まで足を運んで作品を借り、展覧会の運びとなりました。
冒頭画像の左側は展示作で最大の50号の「焦燥」。
サインに1937年8月とあります。
モデルは旭川師範の美術部員だった本間勝四郎。
本間さんは十勝管内で小学校の先生をしていましたが、生活図画事件に連座し、熊田さんとともに実刑判決を受けました。
右側にある肖像画はパステル画で「富樫周蔵氏の像」です。
サインの下に「16.9.18」とあり、1941年の作とわかります。
驚くべきことに、富樫さんは札幌警察署で取り調べを担当していた警察官。熊田さんは、捕まった人が多い旭川から札幌に一時移送されていたと思われます。
特高警察と容疑者の間にどんな意思疎通と交流があり、どんなシチュエーションで肖像を描いてもらったかどうか、いまとなってはくわしいことはわかりません。
清水さんと田中さんは、警察の宿直室で描いてもらったのではないかと推測します。
左側の絵で、畳の上で寝転がっている青年の横に、伏せられてある雑誌は「唯物論研究」のようです。
これは『日本イデオロギー論』などで知られる哲学者の戸坂潤(1900~45)らが中心となって1932年(昭和7年)に創刊した雑誌です。昭和に入ったころから治安維持法による共産党への弾圧が激しくなっていましたが(小林多喜二の虐殺は33年)、唯物論の研究自体は純粋な学問ということでセーフという扱いでした。
37年12月・38年1月の人民戦線事件で、共産党とは無関係の左派の人たちも治安維持法の拡大解釈によって大量検挙されるなど、雲行きが怪しくなり、38年3月に同誌は刊行を終えます。
なので、この絵の時点では、唯物論研究自体はまだ合法で、地下出版などではなかったのです。
熊田さんの絵も、美術部の生徒たちと同様に、いかにも穏やかな写実です。
風景も人物も静物も、やわらかいタッチで描写されていて、どこをどう解釈したら共産主義の宣伝だということになるのか、さっぱりわけがわかりません。
左は「ビスクドール」、右は「学帽の少年」です。
学生帽をかぶっている少年は1970年代以降めっきり減りました。
「ビスクドール」は、小出楢重がたくさん描いたフランス人形を連想しました。
省筆と描き込みのバランスはさすがです。
左の2点は松本さんの晩年の作で「無二の親友」「鉛筆を持つ自画像」、右は菱谷良一さん「スケッチする自画像」(1982)です。
2024年11月5日(火)~12月24日(火)午前11時~午後5時、日・月曜休み
ギャラリー北のモンパルナス(札幌市西区二十四軒4の3)
過去の関連記事へのリンク
■菱谷良一百歳記念作品展 (2021、旭川)
【告知】松本五郎展 ―自由な心を求めて―(2021年8月1~31日、鹿追)
【告知】松本五郎・菱谷良一 無二の親友展(2019)
戦前の「生活図画事件」で投獄された旭川の菱谷さんが個展 (2014)
■第14回えべつ平和を語るつどい「戦争中こんな絵を描いて捕らわれた 生活図画事件犠牲者の証言」 (2009)
・地下鉄東西線「琴似駅」東側改札口エレベーターから約350メートル、徒歩5分
・JR琴似駅から約860メートル、徒歩11分
・ジェイ・アール北海道バス「山の手一条通」から約810メートル、徒歩11分
(都市間高速バスや快速は停車しません)
・ジェイ・アール北海道バス、中央バス「西区役所前」から約1.06キロ、徒歩14分
(都市間高速バスや快速を含む、手稲・小樽方面行きの全便が止まります)
・ジェイ・アール北海道バス「52 琴似工業高校前行き」で「八軒1条東3丁目」から約850メートル、徒歩11分
(札幌駅前=旧札幌西武前=から出ていますが、本数は1、2時間に1本しかありません)