まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

びわの実が ふくらんでいる 雨になる

2014年05月21日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は気圧の谷の影響ではじめは雲が広がっていたが、昼前過ぎからは高気圧に覆われて次第に晴れてきた。気温は15度から24度、湿度は94%から47%。風は4mから7mの北西の風がときおり吹き荒れていた。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は曇っていて、しかも小雨が降っていて、これでは出掛けても楽しくはならないなぁ・・・と云うことでお出かけを諦めた。

 

 で、昨日に図書館で借りてきた本をスキャニングする作業に入った。プリンターに内蔵されているスキャナーを使って本の資料や画像なんぞをパソコンに取り込む作業。

 

 この「巡礼の文化人類学的研究」という本の「邊土:へんど」に関する部分をスキャニングしたが、450Pもある論文集のわずか26Pしか読み込めなかった。内容が濃いもので読み込んでは確認し、修正したりしながらの作業だから・・・。

 

 私の家はお遍路さんが通る「へんろみち」沿いではなかった。それでも、子供の頃には大窪寺(四国霊場88番札所)に向かうらしい「おへんどさん」がぞろぞろと歩いていた。家族も近所の人たちも「おへんどさん」と云うていた。「いうことを聞かん子はへんどに連れていてもらうぞ!」などと叱られたこともあった。だから、「おへんどさん」はおそろしいものだと子供ごころにも感じておった。

 

 汚い服を着ていたり、泥んこのままで遊んでいると、「へんどみたいな姿をするな」とか、食べながら歩いたりすると「へんどみたいにするな」とかと、なにかにつけて叱られた。そう云われると、意味もわからぬままにおとなしくしたものだった。

 

 気が付けば、そういうおへんどさんはいつの間にかいなくなっていた。そして、昭和40年頃からか、「お遍路ブーム」と讃岐うどんブームがわき起こった。あの「おへんどさん」は何だったんだ・・・という、永年の疑問を、いまさらながらのように掘り起こしてみたいと考えたのだ。

 

 つまり、次男・三男の口減らし、結核やハンセン病だと宣告された人たち、仕事や家庭を失った人たち、犯罪などで古里を追われた人たち、身体障害者や労働に耐えられない人たち・・・。そんな世の中からはじきだされた人たちが、四国の「お接待」というシステムの中で、「お四国」と呼ばれるシステムの中でいのちをつなぎながら・・・四国の土になった。

 

 このグラフは、西国三十三ヶ所を回った人の宗派別の巡礼者数。昭和62年から63年にかけての年間の巡礼者だという。ここは観音霊場なのだが、なぜだか浄土系で参詣者の52%を超えている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9B%BD%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E6%89%80

 

 こちらは秩父三十四観音霊場の宗派別参詣者数。ここでも浄土系が二割ほどいる。これは平成2年から3年の数値である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A9%E7%88%B6%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%AE%87%E6%89%80

 

 こちらはお四国霊場のお遍路さんの数値。」平成8年から9年の数値である。ここでも浄土系が二割をキープしている。ま、一般的に言って、浄土系の信者さん、門徒さんの数が圧倒的に多いから・・・ということも関係しているようだが。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80

 今日の掲示板はこれ。「毎日毎日の足跡がおのずから人生の答えを出す きれいな足跡にはきれいな水がたまる」という相田みつをさんの言葉から。一日はあっという間に過ぎて行くもの。小さい出来事しかないかもしれないのだが、一日一善という言葉が、多くの人に受け入れられるように、一日一日は大切なものであり、貴重なものであったりするのである。だから、精一杯の出来ることをするように心がけて、悔いのないように生きる努力をしていきたいものだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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