まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山あざみ 切れぬはさみの もどかしさ

2014年05月22日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、朝方は雲が多かったが高気圧に覆われて晴れていた。気温は13度から26度、湿度は88%から51%。風は3mから6mの北北西の風が少し。日中はエアコンをかけて走ったほど。なんだか蒸し暑いなぁと感じたから・・・。明日の23日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 ときおり出てくるこの風景。我が家から南を見た風景なんだが、最近は少しずつ風景が変わっている。この真ん中の部分・・・。ズーム・インしてみたらこうなる。

 

 下の方の道路には防災板による防護壁が立っていて片側通行になっている。で、昨日にはチェーンソーで雑木を切り倒して、今日は重機が山を登り始めた。地震が起きると、地盤の軟らかくなっているこの山が崩壊して道路をふさいでしまう恐れがあるのだとか。それで、山肌を切り取って防護するらしい。

 

 これは昨日の画像だが、この正面のおうち。昨日の夕方、救急車でおじさんが運ばれて行った。三月の地神さんの例祭にはニコニコとしてお参りしていたのに、その後、車に乗れなくなり、トラクターにも乗れなくなり、動けなくなって、今は寝たきりになったとか・・。「くどれるのが早いなぁ・・」と云うていた。「衰弱するのが早いなぁ・・」と云う意味だ。

 

 おとといの事だったか、しわく広島のセンター長さんから「レキ墓研究会」の成果報告書を書いて下さい・・・という電話をもらったのは・・。とりあえず、昨年の報告書はプリントアウトして、そのまんまにしてあった。報告書の様式をどうしたもんだか・・・と思案していたのだ。

 

 すると、今朝になって、「報告書の形式は、前回は①活動の目的 ②活動の過程 ③今後の課題という形式でしたが、今回は①活動の目的 ②活動の経過 ③活動の成果 ④今後の課題ということでお願いします・・・というメールが来た。やらな、しょうがないな(苦笑)。

 

 福武財団というところから、研究助成ということでいくばくかのお金を頂いているもので、成果報告は仕方がない。ま、A4版用紙二枚程度・・・というので、軽く考えていたが、いざ、まとめ出すと・・・中身がない。画像をいっぱい貼り付けようと思ったが、それも面倒になってきて。実に飽きっぽい性分なのだ。

 

 ということで、二時間ほどかかって、ようやく二ページの原稿を書き上げて、メール添付でしわく広島コミュニティーセンターへ送信しておいた。あとは適当にお願いしたいものだが、おそらく、そのまま、福武財団に転送されておしまいになるのかも。

 

 「英国士官レイクの墓」

 明治元年十二月二十日、この広島沖に二隻のイギリス軍艦が停泊していた。一隻は燈台技師ブラントンの乗った燈台敷地調査船のマニラ号、もう一隻は護衛艦のアーガス号。日曜日の礼拝のために錨泊中、フランク・ツーベイ・レイクという十九歳の航海士官候補生が急死した。
 燈台寮の会計官権判事であった長谷川三郎兵衛が島の役人に「英国海軍人を埋葬したい」旨申し出て、レイクの棺を医光寺所有地の砂地に埋葬した。葬儀では東京の役人上野敬助が短いスピーチをした。最後に儀仗兵による弔銃の一斉射撃が行われ、船からは弔砲が発射された。式の後、村人が榊の小枝を捧げるのを見て、ブラントン一行は日本人の優れた性質に感激して帰っていった。

 

  明治二年、英国測量船シルビア号が瀬戸内海測量のために来航した。艦長はヘンリー・クレイブン・セント・ジョンだった。彼は広島にあった英国士官レイクの木の十字架を目にして墓参した。
 その後、十字架は風雨や霜や雪などで朽ちて倒れた。明治四年(1872)になって、江の浦の庄屋で医師の岡良伯は、村長であった寺脇儀右衛門らと相談して花崗岩で「英国士官レキの墓」という墓標を同所に建てた。
 その後、明治九年(1876)になって、再び近海をシルビア号が航行したとき、艦長のセント・ジョンは、乗組員一同を連れて広島に上陸し、同国人の墓参りをした。一行は立派な石碑が建ち、墓前にたくさんのお供えや美しく供えられた花を見て、島民の温情や厚意に心を打たれた。セント・ジョン艦長は帰国するにあたり、ジョン艦長から島の人たちに感謝状が送られた。

 

  さらにまた、明治三十二年(1899)、神戸の領事館のジョン・C・ホールが、瀬戸内海の小島に英国海軍人の墓があることを耳にし、香川県の吉原県知事に調査を依頼した。その報告書が東京の英国公使であったアーネスト・サトウに届けられ、青木周蔵外務大臣にも感謝状が届けられた。これがイギリスの新聞「タイムズ紙」に掲載されて話題になった。
 このことは明治初期における博愛と人道の精神と行為が国境を越えて人の心に届き、国際親善となった心温まる美しい話である。
                                   「イギリス士官レキ研究会」

 

 以上が私どもが調べた結果を整理したものだが、なんの驚きも感動も残らない。私たちは何をやったんだろうか・・・みたいなむなしさばかりが残ったようなことだった。もっとも、こういうものを文学的に書くのもどうか・・・みたいなこともあったのだけれど。

  

 今日の掲示板はこれ。「自分のことより ちょっと他人のことを考える こんな人を心豊かな人という」と云うもの。雪山 隆弘著 『ブッド・バイ -み仏のおそばに-』より。最近、何かにつけて、車の運転や道を歩いていても、クラクションを鳴らしたり、すぐカッとなってイライラしている私を見かけます。ほんの数秒のことなのに、お先へどうぞとは言えないのである。待つ 親切をされる 怒られる 注意される しかしのかかし、自分だけの世界しかみられないから、さらにイライラしてしまうのだ。それぞれがこの地球に共存しているし、自分だけの空間ではないのだが。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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