さぬき市地方は湿った空気や前線の影響で雨が一日中降ったり止んだりを繰り返していた。気温は12.5度から17.8度、湿度は94%から74%。風は2mから9mの西風が一時は強かった。明日の9日は、冬型の気圧配置となるため概ね曇る見込みらしい。
毎週火曜日の午前中はここに出勤する。さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」、いわゆる「おへんろ交流サロン」である。ここで、私たちは毎週、「俵札調査」をやっている。今日も歩き遍路の方が数十名、休まれていた。
11月は行事が多いためか、今日の参加者は5名。
私は島の文化祭が終わったので、借りていた遍路札13枚を返納処理。
この市井浦の「上(かみ)リヱ」さんはすぐに分かると思ったが、市井浦には「中谷」とか「上」さんは多くて分からないと言われてしまった。
二千枚余りの遍路札の中に、順番を間違わずに挟み込んで返却するのだから神経を使う仕事だった。
しわく広島は江戸時代から明治あたりは五浦から七浦になっていた。甲路という集落は青木浦から移り住んで「小浦」と呼んでいた地区が「甲路」になったし、江の浦から移住したのが「釜の越」という集落になった。どの集落にも500から700軒の家があったというが、今は40軒とか20軒ほどになってしまった。だから子孫を探しても分からなくなってしまった。
その後は、中島先生と二人で「祈祷札」の整理をやっていた。お寺から授与された祈祷札を開くと、中に本当のお札が入っている。それを丁寧に取り出す作業をやっていた。画像として残すためには外に出さないと写真には写らない。
一方で、私は島の「娘遍路」が持っていたであろう道具を「へんろ資料室」で写真撮影。
今、調べている娘遍路に関する論文に資料として使う画像用である。こんなコンパクトなものに荷物を詰めて、お四国を歩いて回ったのである。
外では雨が降ったり止んだりを繰り返している。
午後からは香川県立図書館に行ってきた。借りていた本の返却日が近づいたためだった。
で、娘遍路の資料になりそうな本を五冊借りて来た。江戸時代から昭和の初めごろは、「成人儀礼」ということで、若者遍路や娘遍路というものが行われたらしい。ところが太平洋戦争で中断し、戦後は意識改革が行われて、そうした若者による遍路はやまってしまった。
だから、娘遍路の痕跡などすっかりと消えてしまった。それを調べ直して、後世に残す必要があるのだと、うちの会長は言うのである。
今日の掲示板はこれ。「生きているということは 死ぬいのちをかかえているということ」というもので、赤松円心先生の書かれた言葉である。これも「東井義雄」先生のことばである。いつ訪れるかわからない「死ぬいのち」をかかえて生きているということは、「生」そのものが当たり前でない、ただごとではないということを知ること で、初めてうなずくことが出来る言葉である。そしてそれは、「死ぬいのち」があるからこそうなずくことが出来るのではないだろうか。3月11日の東日本大震災では、一瞬にして多くの方々のいのちが失われた。そして、今でも厳しい現実に身を置かれている方々が沢山いらっしゃる。しか し、さまざまな情報が流れ、さまざまな問題が浮上してきている中で、情報だけに振り回されている私がいるように思う。今回の掲示板の言葉は、では、私は今何をすべきなのか、何を考えるべきなのかを問われているような気がするのである。
じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。