まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

枯れ落ち葉 踏みしめて来る 冬遍路

2016年11月29日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは寒気の影響で曇ってきた。気温は9.1度から15.1度、湿度は86%から62%、風は3mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の30日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雨が降る見込みらしい。

  

 恒例の火曜日の出勤はここ。なんだかんだのがあって、ここもお久しぶり・・という感じ。相変わらず、「歩き」のお遍路さんが多い。

 

 作業も大詰めになってきて、メンバーは女性陣5名と男性陣4人になった。渡邊会長は依然として古文書の解読、中島先生は分別、多田先生は写真撮影、私は展示用の分別作業・・・。

  

 多田先生は、こうして古文書の撮影。とにかく、画像データとして残さなければ、次の作業に入れない。

 

 現在、作業している寒川家の俵からは、とにかく雑多な紙くずが出てきた。その中の主要な「納め札」は整理が終わって展示中。だが、その他の多様な紙くずを整理中。これは、大正11年の「香川新報」。現在の「四国新聞」の前身である。

 

 これは高野山で回向してもらった書類である。こういうものは大切に仏壇なんぞにしまっておくものだと思うのだが、他の紙くずと一緒くた。

 

 これは大きすぎて見逃したようだが、これでも「納め札」である。こういう大きさの物ははじめて。これも展示しておきたいもの。

 

 これはこよみである。こうしたものを薬屋さんなんぞが配って歩いたものらしい。

 

 その合間に資料室から、衛門三郎のお話の載っている、この「伊予の伝説」と、

 

 「愛媛の伝説」とを借りて来てスキャニングしたけれど、この「愛媛の・・・」は小学生向きで少しも参考にはなりそうもなかった。

 

 この挿絵も・・・少しゆるいなぁ・・・。

 

 来年度の行事予定の中に、「島四国探訪」を予定するので、どこがいいか・・という会長の宿題は、塩飽本島(ほんじま)の「お大師まいり」ということになった。お大師まいり、「おせったい」もいいが、本島には見るところがたくさんあるから・・というのが理由だった。

 

 そう言われれば、しわく広島は石切り丁場ばかり。これという「見せ場」がないなぁ・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ゴミ箱とお仏壇を見ると その家がわかる」というもの。いつもの赤松先生の文字らしい。最近のおうちではゴミ箱を家の外に置いてあるのは見なくなったが、お坊さんはおうちの中にまで入っていくし、お仏壇にもお参りするからよくわかる。まさか、今の時期に、お正月の松がそのまま・・・というおうちはないだろうが、茶色になったお花は、わが家ではしょっちゅうある。特に母がいなくなってからは、そのまんまのことが多い。案外と、紺屋の白袴、医者の不養生、坊主の不信心、医者の若死に、出家の地獄、易者身の上知らず、学者の不身持ち、駕籠かき駕籠に乗らず、鍛冶屋の竹火箸、紙漉きの手鼻、髪結いの乱れ髪、紺屋の白足袋、左官の荒壁、儒者の不身持ち、大工の掘っ立て、椀作りの欠け椀 ・・・などというのは有名なことば。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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