まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

舞う落ち葉 戻らぬ過去の いとおしさ

2018年11月17日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で夕方から曇ってきた。気温は12.0度から17.9度、湿度は88%から65%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の18日は、高気圧に覆われて晴れるが、午後は気圧の谷の接近で曇る見込みらしい。

 

 初冬らしい冷え込みと朝露のきらめきはさわやかなのだが、どうにも身体が重くていうことをきかない。

 

 そこで、体重計に乗ってみたら、な、な、なんと、はじめて記録する70Kg超え。これは緊急入院状態だが、あいにくと今日は土曜日。ま、救急の場合はそんなことは言うておられないのだが、それだからと言って、呼吸ができないとか歩けないとかという非常事態ではない。単に体重が70Kgを超えた・・・というだけのこと。血圧や脈拍や体温にはなんら異常はない。

 

 ま、様子を見ることにして、三男の「たっくんち」で預かったおみやげを、次男の「よっくんち」へ届けたり、我が家の庭木の剪定をしたりと運動をしながら、水分を体外へ排出するように動いていた。

 

 さて、先日の大窪寺のイベントだが、あれこれと広報をしたし、各種HPなどでもPRしたのだが、ゲストさんの申し込みはわずかに二人で、実際に参加してくれたのは一人だけだった。いろいろと原因を考えてみたが、大窪寺の紅葉はさぬき市民にしてみれば珍しくもないのかもしれないし、一般の民衆は、おへんろのお作法なんぞ、どうでもいいことなのかもしれない。

 

 それだし、内容も似たり寄ったりで斬新さに欠けるのかもしれない。来年三月のイベントの内容も似たり寄ったりになっている。

 

 じゃぁ、ほかに何があるのかと調べてみたら、過去には、護摩山をめぐるコースがあったらしい。

 

 護摩山というのは、旧多和小学校の北にある変わった形の山である。昔、弘法大師が四国巡礼の際に、護摩山が異様な光を発しながら鳴動し、地元の人たちが恐怖におののいているのを見て、弘法大師はこの鳴動を鎮めようと、護摩山へ登ったという。そして岩場で護摩を焚き、麓の小庵(のちに一夜庵と呼ばれる)で一晩中祈り続け、鳴動を鎮めたそうである。また、弘法大師は、大窪寺を建立する場所を決めるにあたり、護摩山に登り、東の朝空を眺めたところ、紫色の雲が広がり霊気に満ちているのを感じ「あれこそ天与の地」と言って喜んだそうで、現在の大窪寺の奥の院がある場所に「大窪寺」を建てたと言われている。

 

 こういうコースもいいなぁと思ったことだった。

 

 私的には、「大窪寺の山頭火句碑巡り」とか、「大窪寺の文学碑散歩」というのも提案してみたいと思ったことである。

 

 それとか、「大窪寺の石碑・石仏巡り」もどうかなぁと思っている。案外と、こういうものを見ても何が何だかわからないままに通り過ぎているような気がする。

 

 これだって、なんで、こんなものがここにあるんだろうと、いぶかしげに眺めながら通る人たちが多い。

 

 春のシャクナゲ園散策と打ち込みうどん+大窪寺参拝とか・・・。

 

 夏のあじさい園散策とうちこみうどん+大窪寺参拝とか・・・。そんなことを考えながら、休養日を過ごしていたわけである。

 

 今日の掲示板はこれ。「裏をみせ おもてをみせて 散るもみじ」という良寛さんの辞世の句といわれる言葉から。そこはかとない悲しさと、ほのぼのとしたやさしさというのだろうか、良寛さんの飾り気のない人柄がよく出ているように感じられる句である。この句は、晩年に交流の深かった貞心尼という尼僧さんに向けられたものだといわれているが、自分の心の中の弱い部分も含めて全てを見せてきた人(貞心尼)に対して、何か肩の荷を下ろすような、そんな気持ちをがあったのかも知れない。また、一説には、この句は、もともと谷木因が詠んだ「裏ちりつ表を散つ紅葉哉」という句を良寛が作り直したもので、『はちすの露』に収録されているともいわれているし、『裏をみせ 表もみせて 散るもみじ』ともいわれている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら。いいね。


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