まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

初霜に 勝手の違う 散歩道

2018年11月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今季最低の4.8度から13.6度、湿度は78%から60%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の25日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 124/64-60 36.3°C-97% 66.8Kg 1024hPa,8°C,42% 左足膝痛みあり、両足浮腫気味。

 

 今日は不覚にも7時半まで寝てしまっていた。かと言って、昨夜、遅くまで起きていたわけでもなく、20時半過ぎには寝たのだけれど。起きてみれば、足が動かない、身体が動かない・・・。エアコンまでもが動かない。動かないはずだ氷結していた。まわりは白い霜の朝になった。

 

 温まらないエアコンの下でガタガタと震えながら「チコちゃんに叱られる」を見るでもなく眺めていてはっと気が付いた。今日は、前山の「クリーン・ウォーク」の日ではないか。時計をみれば、もう、9時過ぎ・・・。作業は終わっているころ。

 

 毎年、夏と秋の二回、おへんろさんの通る道筋を、有志の方やボランティアの方や地元の方などが一斉に出てゴミ拾いをする日だった。私たちは毎回、この前山ダムを一周してゴミ拾いをすることにしている。今年もそのつもりだったのに、うっかりと寝過ごしてしまったではないか。

 

 早々と、喪中欠礼のはがきが届く。皆さん、律儀だなぁと感心する。私など、そのようなはがきは出したことがない。

 

 でも、外に出るのは寒そうだし、エアコンはまだまだ暖かくならないし・・・ということで、年賀状データの整理をしてみた。

 

 今年の出来事が整理できていないが、とにもかくにも、2月に入院して、心臓の開胸手術で僧帽弁交換手術とペースメーカー植え込み手術がメインのできごと。そして、その後の80日に及ぶ「胸水との闘いの日々」。

 

 ようやく退院できたのが、5月の中旬。その後は、溜り積もっていた作業を片付ける一方、今度は、溢れた胸水以外の水分がどこにたまるのかが不明・・・。いまだになぞのまんま。今年の年賀状がまとまらない・・・。

 

 気分転換にドライブに出かけたが、あたりはもう早くも冬の風景・・・。日差しが弱弱しくて寒々とする田舎の風景。抱えたカメラのシャッターが押せない。

 

 今日のお昼もところてん+カツ丼ミニを半分ほど。残りは迷犬ごんにプレゼント。おかげかどうか、体重は少しずつ減ってはきている。

 

 所属寺院に出かけてみたが、相変わらずがらーんとした伽藍境内。報恩講のご案内もまだない。

 

 今日の掲示板はこれ。「報ずべき 身を粉にもせず 親鸞忌」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。報恩講の最後の最後にいただく「恩徳讃」。我々は何の気なくお勤めしていることが多いが、この著者の「恩徳讃」をいただく時の心構えが伝わってくる。決して驕ることないよう、自己を問いただすかのように書かれたこの句は、時も場所も越え、私に痛烈に問いかけてきた。福井県鯖江市在住の助田小芳さんの句である。

 

 この和讃を讃歌にしたものを「恩徳讃」といい、勝覚寺でも永代経や報恩講のときに皆で唱和する。この和讃の中で親鸞聖人は、「如来大悲」と「師主知識」という二つの恩徳に対する、自らの姿勢をうたわれている。「身を粉にしても報ずべし」と「骨を砕きても謝すべし」。どちらも出来ないことである。しかし、出来ないことをあえて「べし」とおっしゃっているということは、その恩徳ということが、いかに深いものであるか、そしてこの身に余るものであるかということを表しておられるのだと思うのである。それがこの「恩徳讃」である。しかしながら、「報ずべき 身を粉にもせず 親鸞忌」という句は、親鸞聖人が「べし」と二度も重ねておっしゃっている「恩徳」に背いてばかりいるこの私というものが、「恩徳讃」を歌うたびに見えてくるのだろう。そういうことで親鸞聖人には申し訳ないなぁと、逆に聖人に出遇っておられる方の句なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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