さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は9.8度から17.4度、湿度は88%から70%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の28日は、気圧の谷や湿った空気の影響で断続的に雨が降る見込みらしい。
118/67-59 36.2°C-97% 66.8Kg 1020hPa,12°C,50% 今日は迷犬ごんとの散歩で200mを歩くことができた。もう、左足ひざの痛みはない。
朝の間は、私のホームページの更新作業。ここは容量がほぼいっぱいまで使っているので、新しいことはできないから行事予定表の修正ばかりをやっている。
で、早くも来年の一月の予定表ができあがっている。
奥方は、山から飛んできた落ち葉を一枚ずつ拾ってはビニール袋に詰めていたが・・・。
「ねぇ~ねぇ~じぃじぃ~。とっさん(義兄)連れておうどんに行かない~」とお休み中の奥方の声。最近、施設に慣れてきたものか、退屈になったものか、ほかの利用者さんに暴言を吐いたり、屁理屈を並べたり、大声を出すようになったと、施設側からクレームが届くようになった。そこで、気分転換に義兄を連れ出すことになった。
案の定だ。奥方がどこかに行こうよ~と言い出した時には、奥方の車のガソリンがない時だ。私の顔で、私のカードで、私のカネでガソリンを満タンにしてちょうだいな~という合図でもあるらしい。
「とっさん」というのは、奥方のすぐ上のお兄さん。その上に長男の「こーたろー」がいるが、ともに視力障がい者で鍼灸マッサージをやっていたが、高齢になったために廃業して、奥方のコネと尽力で、神戸から隣町の盲施設に預かってもらっている。
そのとっさんを連れて、おでんのおいしいうどん屋さんに行くつもりが、今日はあいにくと火曜日で定休日だった。
だから、もう一軒の奥方のお気に入りの「溜うどん」に行ってみた。11時半過ぎだったから、まだ、行列はできていなかった。これが12時を過ぎると長蛇の列になるお店なのだ。
私は「温玉肉ぶっかけ小の温いん」をお願いした。
とっさんには、「溜うどん小の冷」をお願いした。奥方はいつだって、どこだって、「かけうどん小」である。
こういうお店だが、すぐにいっぱいになった。お昼までは家族連れが、お昼を過ぎると会社の同僚や仲間などが多くなる。
ところが・・・である。うどん屋を出てすぐに、この「防風通聖散」が効き始めたようで、おうどんがおなかの中で運動会を始めたみたいで、ゴロゴロ、ギュウギューと大騒ぎ。奥方はそんなこととはつゆ知らず、「銀行によってちょうだい」、「郵便局で貯金してくるわ~」などとのんきなことを・・・。
今日の掲示板はこれ。「またひとつしくじった しくじるたびに目があいて 世の中少し広くなる」という榎本栄一さんの言葉から。生きていれば必ず過ちを犯すもの。言ってはいけないことを言ったり、やってはいけないことをやったり、間違ったり失敗することもたくさんあった。問題はそのあとで、そのあやまちをどう受けとめるのかである。居直ったり、ふてくされたり、他人のせいにしたり、責任転嫁したりして事実から眼を背けるのが普通のありかた。だれを恨むことはないのだし、身から出た錆なのだとあきらめるしかない。現実を引き受けたところにしか真実はありえない。過ちを通して学ぶこと、気づくこと、目覚めることは多いもの。あやまちを通して人間は成長するもの。一つのあやまちによって、人生が大きく変わることもあるだろうし、出世コースからはずれることもあるだろうし、失脚してしまうこともあるけれど、しかし世間の評価とか、社会的地位の高いのが良い人生ではない筈。どう、いのちを輝かせて生きるか、悔いない人生を生き切るかである。あやまちは人間を、人生を決めない。あやまちのあとが人間を、人生をきめるもの。仕事で失敗したことは、とり返しのつかない嫌な気分に陥るもの。しかし、そのことによって自分というものが照らされ、気づかされて、自分中心の狭い世界が破られてゆくならば、この失敗でこんなことが教えられ、学ぶことができ、却って人生の味わいが深まり、世界が広くなったと気づかされて、そこに少しだけ広がった世界が見えてくるというもの。
じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。