まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

受診して 安堵ため息 親鸞忌

2018年11月29日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10.5度から15.9度、湿度は88%から62%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の30日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 118/62-62 36.4°C-98% 65.8Kg 1018hPa,20°C,50% すっきりとした初冬の景色になってきた。体調はほぼ良好。

 

 今日は県立病院での予約診察日。予約時間は10:30-11:00。だから午前9時過ぎに病院に入った。ま、血液検査に1時間を要するので、9:30でもよかったのだが、たまたま、道路が混んでいなかったというか、信号機が順調に動いていたというか。少しばかり早く着いてしまった・・・という印象。

 

 だと、いきなり、「116番さん、中央処理室へお入りください」とのアナウンス。今日の私の受付番号は116番だった。で、いきなりの「検体検査」ということで採決された。今日は胸部X線検査も、尿検査もなかった。今月は一か月に二度目(11/1と11/29の二回)の診察だかららしい。

 

 さぁ、それからの1時間が待ち遠しい。その間にトイレに4回も行ったり、自販機でお茶を飲んだりと時間つぶしをするのだが、そういうときの時計は怠け者かあんまり動かない。

 

 これが私の担当ドクターの日浦ドクターである。平成19年の2月に「急性心不全」で緊急入院してからのお付き合いだから、もう、11年9か月余りもお世話になっている。だから、私のクセも性格も生活実態もお見通しの先生である。

 

 「あれ、体重が5Kgも減ってるじゃないですか。何かしましたか?」と、私の記録してある記録表を見ながらドクターが言う。「ええ、漢方の「防風通聖散」と、少し食べ物を変えましたが・・」と言うと、「じゃぁ、理想体重の60Kgまで落としましょうよ。あと、5Kgですよ。年末年始に食べ過ぎないようにね。それと飲み過ぎないように・・」で診察はおしまい。「今度は年末の27日の木曜日ですよ」。

 

 会計に行くと、「保険証は今月1日に拝見していますので、今回はいりません。それと、酸素圧縮機のリース料を頂いていませんので、本日、頂戴できますか」というので、「はい、用意してきましたが、何十万円要りますか」というと、「いえ、一か月分で結構です」という。「じゃぁ、来月は二か月分ですか」と聞くと、「いえ、来月分も一か月分です」という。

 

 前回の1日に支払わなかったし、19日の整形外科の診察の時にも支払わないし、今月も1か月分だけというのはおかしなものだと思っていたが、「そうだ、機械のリース料は1か月分。私が月に2度目の診察を受けたから二回、支払う必要があるのだと勘違いしていただけ。なんだか、おばかなお話だったということか。

 

 で、いつもの調剤薬局に行くと・・・。

 

 いつものように28日分のお薬が用意されていた。向かって右が漢方薬の「防風通聖散」で、左がこれまでの朝食後と夕食後の薬。昨年の今頃だと、27,800円くらいを支払っていたはず。毎月、薬代を支払うのに四苦八苦していたもの。それが今年からは二割負担になって18,000円ほどになった。ああ、それなのに、「あなたの制限枠はオーバーしていますから、薬代はいりません。」という。

 

先日にも整形外科で処方してもらった湿布薬もタダでいただけた。何がどうなって制限枠を超えたんだろうか・・・。ま、ありがたいことはありがたいことなんだけれども。これで、この週末の忘年会にはお値段のするお酒が買えそう・・・わくわく。

 

 ドクターに毎回提出しているこのデータは、

 

 心臓病の患者さんに記入を勧めているこの手帳からである。ここに手書きで血圧や心拍数、自覚症状や薬の飲み忘れチェックなどを記入するのだが、いまさら手書きでもあるまいと、パソコンで記録するようにしてもう四年。その量は膨大になっている。それを今は整理中・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「むつかしいお経を読めと言われて、「庄松助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と読んだという。」という、小砂説教所跡にあったお皿のことばから。

 上の一条は、勝覚寺の先代住職は庄松同行を非常に愛撫せられ居りしが、役僧の一人がそれをうらやま しく思い、一つ庄松を困らせて恥しめんとて、三部経の中の下巻を取り出し、庄松に向かい、「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここ の御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。

 

 *「五劫思唯の大悲の本願も、ただかかる自分一人の為の御苦労であった、勿体なや」と御開山親鸞聖人は喜ばれた。わが身一人に、如来の本願を受け止める無学で経の読めぬ庄松の獲信、「庄松を助くるぞ」と読む・・・。これ、真の大経読解でもあろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>