まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山桜散りゆくときも咲くときも

2020年04月03日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇りの天候になった。気温は5.5度から16.3度、湿度は88%から48%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の4日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 104/58/80 36.5c-98% 59.2Kg 体調に変化はない。花冷えとでも言うのだろうか肌寒い朝になった。

 

 早速の自治会長のお仕事であるが、県道(津田-川島線)とさぬき市道が分岐する交差点(三叉路)での工事立会(専門用語で”りっかい”と云う)である。この右手には自治会堂がある。ま、普段にはこの交差点は自治会の会員が多く利用するので、その意見調整みたいなものだろうか。この直線が本来の「さぬき市道」であるが・・・。

 

 その自治会堂では、車両事故で玄関の差し掛け屋根や支柱の柱が壊されてしまい、その復旧作業が行われている。そういう立会も1時間ほどで終わって解散した。

 

 これは昨日に買った郵便切手であるが、オリンピックのトーチリレーの記念切手だが、今年は、このリレーが行われないので、「幻の切手」になるはずだが、郵便局では公然と販売を続けているし、値引きもしてくれない。普通だったら、取りやめになったポスターなんぞは廃棄されてしまうはずだが、郵便局は強気だなぁと感心した。

 

 しかも、金額を表示する数字が小さくて貧弱なこと。これで84円切手だとわかるのか・・・。

 

 ま、よそさまのことはさておいて、奥方が買った食材なんぞのレシートがずいぶんと貯まってしまっていたので、一気に家計簿に投入しておいた。

 

 こちらは、預金通帳ベースの会計帳簿で、先の家計簿はカード類で引き出された現金ベースの家計簿である。これと同じ様式で自治会の会計帳簿も整理しておいた。こうした事務作業は落ち着かないとなかなかにはできないものだ。

 

 お昼過ぎに、再度、現地確認に行ったら、ほぼ差し掛け屋根ができていて、屋根じまいをしているところだった。なお、この工事は自治会とは関係なく、保険会社と大工さんとの契約による工事で、自治会は被害者だから口出しや監督指示はすべきではない。

 

 で、問題のライン引きである。まっすぐに進めば簡単なのに、右折も左折も大きくカーブして市道に入ることになる。これが安全上のカーブらしい。

 

 つまり、さぬき市道からは直角に県道に向かい、左右を確認して進路を取ることになるらしい。よく話が見えないのだけれど、そういうことらしい。

 

 先日に奥方が見つけてきたワラビである。しばらく水に浸してあく抜きをしてから、

 

 これが今夜の食事のおかずになるらしい。春と云えば春の香りと味である。

 

 今日の掲示板はこれ。「ちるサクラ 残る桜も散る桜」聞き飽きた言葉だけれど、時期的なことばなので掲示しておく。この句は、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛和尚の辞世の句と言われている俳句である。意味は、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと。」というように受け取れる。要するに限られた「いのち」ということである。今の世の中はさまざまな悩み事が多くあるもの。仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のことなど、幸せな事より悩み事の方が多く重たくのし掛かっている毎日ではないだろうか。しかし、物事にはすべて結果があることは言うまでもない。無常にも時間は止めることができない。ならばどう時間を過ごすのかを考えること。 即ち、限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでをいかに充実したものにし、悔いの残らないようにすることが大事だと思うのである。また、この良寛和尚の句から親鸞聖人が得度をされる時にお詠みになられたと伝えられる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌 を連想させられる。「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」とそのような心境で親鸞聖人は慈鎮和尚に得度を願われたことと思うのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>