まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

はや紫蘭足下にいる春の亀

2020年04月25日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8.5度から18.7度、湿度は68%から34%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の26日の香川県は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 104/58/78 36.1c-96% 61.8Kg 体調に変化は無い。ただ、右目が重たいようでなんだか気分が悪い。この手術が終わるまでは何もできないというか、すると危ないというか・・・。

 

 今朝のお絵かきは何にしようかと思案していたのだが、思わぬ「フェイント」(フェイント (feint) は、球技・格闘技などで相手を惑わせるためにする動作である。 フェイク (fake) とほぼ同義であり、『特定動作をするふりをする』と一般的には解釈されている)。食パンの上に生卵を置いてレンジに掛けたらしいが、生卵は生卵のままになった。なんとも言えぬ味になった。

 

 さて、固定資産明細帳が完成したので、今度は「人生会議」の完成に向けて作業をしていた。エンディングノートとは、高齢者が人生の終末期に迎える死に備えて自身の希望を書き留めておくノートで、 自身が死亡したときや、判断力・意思疎通能力の喪失を伴う病気にかかったときに希望する内容を記録する書類である。特に後者の内容を、事前指示(英: Advanced directive)と呼ぶ場合があるらしい。

 

 これも、民生委員会の席上で配られた資料の中にあったものを流用してみた。

 

 そういうことで、今日も「人生会議」の準備中。自分が最後まで自分であり続けるための「生活設計書」みたいなものだ。

 

 それを、「Aアドバンス・Cケア・Pプランニング)」と言うのだが、漢字で書けば「人生会議」になるのだという。

 

 私の場合、「心不全」という病気は治ることがない。しかも「ステージD」で「終末期」であるという。お仏壇のおロウソクが数ミリしか残っていないような状態である。風が吹けば、消えてしまうような風前のともしびであるとドクターは言った。

 

 で、ドクターの持ってきた「エンディングシート」にも、このノートを参考にして記入して提出した。もう、あの病院に戻ることはないし、あの病院が私を受け入れることもない。

 

 私のお葬式・・・。お坊さんの世界では、あれこれとお葬式論争が激しいし、それなりの理由にも頷けるのだが、私にお葬式は必要も無くて、家族の有志が静かに送ってくれればいいと思っている。家族葬というか、有志葬というか、お坊さんもいらないし、読経もいらない。花輪も盛り籠もいらないし、香典もいらない。みんなでお念仏してさえくれればそれでいい。

 

 今日のお昼はこれ。豆の入ったご飯だった。

 

 午後には、エンディングノートの製本も終わった。これで、もう、思い残すことはない。

 

 午後3時からは歯医者さんの診察日で、納豆を食べて折れてはじけた下の前歯の修理だが、なんだのかんだので1時間も掛かったのに、来週の土曜日でないと歯が入らないらしい。

 

 文句を言っても仕方がないので、来週まで待つことになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「元気を出せ。人生に必要なものはイマジネーション(想像力)とカレッジ(勇気)とサムマネー(若干のお金)だと」いうチャップリンの言葉からである。まさに、その通りだなぁと、私の短い人生を振り返って納得するばかりだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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