まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

タケノコの皮剥く妻の手には皺(しわ)

2020年04月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.0度から18.3度、湿度は68%から42%、風は5mから1mの西北西の風が一時は強かった。明日の15日のさぬき市は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 96/54/78 36.1c-98% 60.8Kg 体調に変化はない。しばらく歩いても、少々思い物を持っても平気になった。一時のような「ゼーゼーハーハー」ということはなくなった。「油断をしちゃぁダメよ」と奥方はうるさいばかり。

 

 今朝の朝食はこんなもの。そんなに変化はない。

 

 「あ、これはわかる・・、こいのぼり。」と云うのでこいのぼりである。

 

 今日も相変わらずのデスクワーク。例の「エンディングノート」用の我が家の固定資産台帳の写しである。

 

 これらの土地は、私の祖母のフジヱさんが戦前の昭和初期に25円だかで購入したものであると聞いた。それはそれは、爪に火をともすようにして蓄えたお金だったはず。それなのに、孫の私が耕作放棄してしまい、元の山林に戻してしまった。

 

 朝の間、三男の「たっくん」が綾歌町(丸亀市)からタケノコを掘って持ってきてくれた。我が家のこのあたりでは、イノシシが掘って食べてしまうか、お猿が頭をかじってしまって、私たちの口には入らない。

 

 早速に奥方が皮むき作業。皮むきにもいろんな作法があるようだが、我が家は真っ二つに縦割りして皮を剥ぎ取ってしまう。通ぶった人は、そのまんま鍋に入れて皮ごと湯がくとおいしいとか云っていたが、なんだか無駄なことを・・・と思ってしまう。

 

 そうすると、こんな風になる。

 

 よく、通ぶって、地面から出たけのこは食べられたものじゃないとか、黄色くなったタケノコは捨てるものだとか云うけれど、掘ったばかりのタケノコだから、なんら問題はない。ホントのタケノコを食べたことがない人の言うことだと全く気にしない。

 

 皮をむいてしまえば、これだけになった。

 

 それを鍋に入れてゆがくとこうなった。よく、あく抜きに「ヌカがいいとか」「木灰がいい」とか云うけれど、我が家では、そういうものさえ入れたことはない。掘ったばかりのタケノコをすぐに湯がくと、タケノコのお刺身にもなってしまう。これは早速にお昼のおかずのお刺身にもなった。

 

 エンディングノート用(弟二人と娘用)+我が家の奥方用の計四冊を作るために、印刷用紙も準備してきた。

 

 この時期の山を見ると、樹木の若葉で「へ へ へ」と云う字が見える。まさに「山が笑っているよう」にみえるのだ。だから春の季語になっている。これが、「山滴る(したたる)」になれば「夏の季語」、「山装う」は言わずと知れた「秋の季語」で、「山眠る」になれば「冬の季語」になる。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人の悪口はウソでも面白い 自分の悪口はホントでも腹が立つ」というもの。そういうことって、周りにはいくらもある。だからと言って、腹ばかりも立ててもいられない。極力、そういうことを聞かなくするしかないが、これまた、聞こえなくなると余計に不安になったりする。とかく我ら凡夫は悲しいさがの生き物であることか・・・。自分の土地に生えてきたタケノコを猿に食べられたらすごく腹が立つものであるが、よそ様の土地に生えているタケノコを猿がかじってあったら、「ざまぁ、みろ~」と思ってしまったりする。自分の物と他人のものとは、同じようなものだけれど、受け取り側の気持ちだけでどうにもなるものなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。 


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