浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

数の子

2021-01-02 | 日々是好日

数の子は正月のおせち料理専用の食べ物なのか。

縁起の良さそうな姿かたちではあるが、普段はほとんど口にしない。

数の子そのものにはあんまり味はない。

ひたしたダシの味しかしない          

特に栄養があるとも思えない。

口の中にいれたとたん、ポリポリのポーリポリ。

数の子の一粒一粒が潰れる音は心地良い音だ。

デパートなどでコップや陶器を買うと包んでくれるプチプチだらけの包装シート、プチプチシートというものがあるが数の子のプチプチも、あれに似た快感がある。

数の子を食べている人のすぐ隣にいると、はっきりと音が聞こえてくる。

両隣の人が食べているとかなりうるさい。

欧米のマナーでは、食事で音を立ててはいけないことになっている。

そのうち「噛んでも音のしない数の子」というのが、品種改良されて出てくるかもしれない。

 

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季節限定食品

2021-01-02 | 日々是好日

雑煮といえば日本の正月のシンボル、大御所である。

だけどよく考えてみると、雑煮はなぜ正月だけのものなのか。

春夏秋冬、いつ食べたっていいじゃないか。

誰がいけないと言ってるわけ

七草粥にしたってそう。

雑煮の場合は松の内に食べるという日にちに幅があるが、七草粥に至っては七日の当日限り。

誰がそう決めたわけ

お殿様が決めたわけ

いつ食べたっていいじゃないか。

今は民主主義の時代です。

どんどん自由に食べましょう、いつでもどんな食べ物でも。

日本にはこうした「当日限定」とか「時期限定」の食べ物が多い。

そしてそれを全国民が意外にきちんと守っている。

桃の節句の雛あられや桜餅。

五月の節句になれば柏餅。

十五夜には月見団子。

お彼岸にはおはぎをきちんと食べ、十一月には七五三の千歳飴。

千歳飴なんて、いつ誰が食べたっていいはずなのに七五三(主として11月15日)限定、しかも子供限定。

ジジババが桜の咲くころ「千歳飴が食べたいな」と言い出してもそれは無理。

ジジババが桜の咲くころ千歳飴をしゃぶってもいいはずなのに、実行する人はいない。

全国民が、こうした食の封建主義をきちんと守っているからなのだ。

 

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鏡餅

2021-01-02 | 日々是好日

鏡餅は厄介だ。

正月中は置き場所があるからいいが、そのあとが困る。

いまどき鏡開きの日に鏡餅を割って食べる家などどこにもない。

戸棚の奥のほうにしまいこんで、そのうちどうにかなったら捨てよう、と思っているのだが、いつまでたってもどうにかならない。

昔の鏡餅には威厳があった          

威風堂々、正月の儀式を取り仕切る風格があった。

たとえ小さなものでも、不思議な重量感が備わっていた。

最近のビニールとプラスチックと印刷物によるゴテゴテの厚化粧は、あれはいったい何だ。

鏡餅の真空パックは、あれはいったい何だ。

鏡餅は真空パックになってから、かつての威光をすべて失った。

鏡餅受難の時代、ということになったのだ。

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