食パンは耳と中身がワンセットになっている。
トーストを食べるとき、誰もがこの「耳問題」を避けて通りたいのだがどうすることもできない。
食パンの耳が食べられないほどまずければ問題は簡単だ。
食パンの耳は切り落として食べるもの、という食べ方が定着する。
そういうわけにもいかず、大抵の人は仕方なく耳のところから食べ始める。
学校給食では多くの児童が耳を残したがった。
だが先生がそれを許さなかった。
児童たちは毎日食パンの耳を泣く泣く食べた。
そうして児童たちは我慢ということを覚えた。
人生のなるべく初期のうちに、我慢を教えるために食パンの耳はあったのだ。。
人類は月に行けるほどに科学を発達させたのだから、「耳なし食パン給食」なんかはいともたやすく作れるだろう。
すでに種なしブドウ、種なしスイカが作られているのだ。
もし食パンに耳がなかったら、児童たちは我慢を知らぬまま大人になってしまうのだ。
だが耳ファンも多数存在する。
耳愛好家、耳フェチ、中身より耳を愛好する人たちは切ってない食パンのほうを購入する。
こういう人たちは、耳を単純に耳と総称しない。
天井耳、両側面耳、底耳と、それぞれにファンが分かれる。
耳ファン共通のあこがれの部分は、食パンを切るときの無最初の耳。
ファンの間では「初耳」という部分だそうだ
ここんとこを薄く切って食べると…
初耳独特のしなやかさと、みっしり感と、簡単には噛みきれない、繊維がしっかり絡み合ったような密がたまらない。
ということになる。