こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

常識のない若者に出会った日…?

2015年06月04日 13時56分04秒 | 文芸
常識にかける若者に出会った日

 三重の前に置いておいた自転車を若者がヒョイと乗って行った。後を追いかけた追いかけなんとか取り返して来た。若者は近くの有名な予備校に通う男の子だった。
「遅刻しそうやったんで借りただけや」ととんでもない弁解をしたそうだ。
「他人のもんを黙って乗り逃げしとって、そんな言い草があるかい」
 夫は腹が治まらない様子だった。それは当然で、自転車を追いかけた夫は、もう息が切れる寸前だった。興奮して忘れていた足も痛いと気付いている。
 翌日、予備校生が母親に引っ張られる感じで店にやってきたが、本人はわれ関せずといった態度。母親は菓子箱を突き出して苦笑しながら、「「うちの子がおたくの自転車を無断でお借りしたそうで、ほんとにまあ、この子と言ったら…」
 カチンと来た。(あなたの息子さんは、借りたんじゃなく盗んだの。それをはっきりと本人に自覚させなきゃダメでしょ!それが親の大事な役目じゃないの!)思わず怒鳴りそうになったが、グッと抑えた。夫も私も事を荒立てるような性格ではない。いくら形だけとはいえ謝られたら、それ以上何も言えなかった。だいたいこんな事件にいままで遭遇したことがないのだから。
 そう!この事件があった10年ほど前のあの頃から、勉強ができても非常識そのものという若者がどんどん増えてきた気がする。
(讀賣・1996年3月17日掲載)
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4コマ漫画

2015年06月04日 09時42分18秒 | マンガ
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やはり子はかすがい

2015年06月04日 08時09分13秒 | 文芸
やはり子はかすがい

「愛情がないんだ、最初から。お互いに憎しみ合ってるから、別れるしかない。でも、子どもだけはかわいいから、困ってる」
 今にも泣きそうに訴えて来る。最近知り合った20歳の若者である。彼の言い分だと、結婚なんかしたくなかったが、、子どもができてしまったので。男らしく責任を取ったのだとなる。それが、新婚生活一か月にもならぬ危機を迎えている。
(バカヤロ!カッコつけるなら、最後まで責任を取り続けてみろ!)と怒鳴りつけたいところだが、ややこしいのは避けて、あやふやに頷いてみせる。
 それを相づちと思ったのか、自分の立場を正当づける弁舌に弾みがつく。同い年の妻は、飯は作らない、掃除・洗濯はしない、たえず出歩くなどなど言いたい放題。まるで悪妻のモデルではないか。
「僕らに、もう家庭はない。飼えるのも嫌で、最近は一晩中、呑みまわってやってる」
 なんともご大層な結論付け。聞いてるだけで反吐が出そうになる。なぜそこまで無理に結婚する必要があったのか。
 確かに妊娠は大きな理由だが、それならそれで、なぜその子どものために、いい家庭を作ろうとしないのだ。結局、身勝手なご都合主義としか言えまい。だから収まるものも収まりゃしない。
 子どもは愛玩物じゃない。だのに、子どもはかわいいと言うだけ、ほかはそっちのけで、互いの自己弁護にきゅうきゅうとしているなんて、親失格だ。「子はかすがい」は、もはや新人類世代の辞書から削られてしまった言葉なのだろうか。
 恥ずかしながら、かくいう私も、子どもが出来てしまって、結婚を急いだ口なので、あまり強くはいえないが、、「子はかすがい」は、私たち夫婦には、ちゃんと生きている。どんなひどい喧嘩中でも、「おとうちゃんとおかあちゃん、いじめっこしてる」と、4歳の長女に見つめられ、どちらからともなくニヤリ、そのまま仲直りなんてのはしょっちゅうだ。
 既に結婚生活も5年目。社会生活を長く経験する機会もなく嫁いでしまった妻には、試練の毎日が続いている。実家に間借りの状態だから、姑や兄嫁への対応に苦慮しているさまは分かっているのだが、ご多聞に漏れず雑事われ関せずで亭主面の私。
「いいわね、のんびりできて。でも、子どもが手を離れたら即離婚ってはやってるらしいわよ」
 きっと煮えくり返る腹を抑えるのに四苦八苦しているのだろうが、明るく皮肉で返す妻に掬われいる。
 それにこちらもいたって楽天家。
「じゃあ、子どもがいる間は大丈夫か。まあ、社会に子どもらが出るころは、おれも使い物にならなくなってる年だ。いいよ。新しい相手を見つけな。その方がおれもひと安心して死ねるよな」
 余裕十分に冗談で受ける。これで、険悪な二人はどこかへ行ってしまう。子どもが無邪気な顔で私と妻の手を握ってニッコリ頬笑むと、それであの幸せな家庭が帰って来る。
 夫婦は互いに自己を確立している人間同士だから、行動や意見が食い違うのは当たり前。でも、その度に本気の喧嘩をして憎しみ合えば、これはもう夫婦じゃなくなる。
 やはり、ある部分は我慢して認めてやれる包容力をお互いに持てなければ。かわいい子どもの存在がそれを助けてくれるはず!……とは、旧人類世代の思い込みなのかな、さて?
(朝日・1987年10月7日掲載)
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絵手紙

2015年06月04日 01時18分35秒 | Weblog
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ヨチヨチ歩きの孫に母のため息が…

2015年06月04日 00時08分29秒 | Weblog
ヨチヨチ孫に母はため息を

 1歳になる息子がヨチヨチ歩きはじめた。これには家族みんなが「ばんざ~い!」とやったが、七十五歳になる私の母は、可愛い孫に目を細め、抱きしめながらも、「フーッ!」と大きなため息をついた。
 上の7歳と6歳の子どもの面倒を一切見てくれた母だが、今回は寄る年波に勝てなくて、たまにしかタッチできなかったのが悔しかったのかも知れない。ポソッとつぶやいた母。
「かわりに、わしの足が動かんようになったわい」
 顔は笑っていたが、実感がこもって寂しそうだ。それでも翌日から、何回となく顔を見せて、「天気がええさかい、外にも連れて行ってやろうかい。子どもは外で遊ばせるんが一番いいんじゃ」と、連れだして、杖を頼りにヨタヨタと一緒に歩いてくれる。
 私ら子どもとその孫たちが、この母の年を食ってしまったのだと、感慨しきりで、母を見つめた。
(讀賣・1990年2月26日掲載)
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