こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

わが家のプロセス・その2(1998・10・15・讀賣ファミリーニュース掲載)

2015年06月14日 18時41分56秒 | Weblog
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夏へ宣言だ!

2015年06月14日 12時56分31秒 | Weblog
泳げない、人ごみはすぐ酔ってしまう大の苦手、車の運転は去年の事故以来、あまり乗りたくない。そんな私が夏にやろうとしている野望は、絵手紙スケッチウォーキング!すでにスケッチブック、小筆、ほかの描画道具、画仙紙ハガキと用意は万端である。
ただ、どこを歩いて回るか思案中。最近句が目撃されたという里山には、臆病な私にはまず無理。あまり暑い夏だと、12月生まれで暑さに超弱い私に遠出はまず無理。となると、家に閉じ籠るしか選択肢はなさそうだ。どうも名作を残せなさそうだ。

しかし、夏に私が書く絵手紙をどんどん出しまくるぞ。届いた方は是非ご返事を。もちろんブログにも絵手紙を連発する……気持ちはあるんだけれど……はてさて、どうなるものやら。宣言した後は野となれ山となれのどうしようもないB型人間だもんね、私は。
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ウォーキング・ライフ/あびき湿原に魅了された!

2015年06月14日 12時19分22秒 | 文芸
 ふるさと再発見ハイキング『あびき湿原観察会』に参加した。あさ9時に北条鉄道の始発駅北条町駅に集合したのは総勢19人。加西歴史街道ボランティアガイドさんの引率で28分発のレールバスに乗車一路網引駅を目指した。
 網引駅から、南網引町公会堂へ。そこから山に入る。山道を黙々と歩く一行。そして到着した山あいに広がる湿原!聞けば兵庫県下で最大の湿原になるらしい。数年間に発見されたまだ新参者だが、地元民と多くのボランティアの力を結集して着々と整備が進んでいる。
 湿原には絶滅危惧種の草花や昆虫の姿が見られた。トキソウ、ヒツジグサ、カタクリ、ササユリ、ハナショウブ(原種)、そして食虫植物も複数。その上を跳び、草に泊まる赤いトンボ。ハッチョウトンボのオスだ。よく見ないと見えない小さなトンボが飛び交っている。横を見れば、ヒメヒカゲが舞う。これまた小さいチョウチョウだ。足元を泥にまみれさせながらの散策は、ある意味では感激的だった。
 この貴重な動植物はみんなで保護していかなければならないと、心底思わせる優しく爽やかな絶景だった。
 往復して12500歩。二時間ちょっとのウォーキングだったが、実に意義深いものが残った。これだから「ウォーキング万歳!」である。
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マンガ

2015年06月14日 09時11分32秒 | マンガ
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救急隊員に感謝の気持ち

2015年06月14日 03時22分38秒 | Weblog
救急隊の方に感謝の気持ち

 先日、夜中に長男が高熱でひきつけ、救急車のお世話になった。連絡を入れて十分ぐらいで駆け付けてくれた救急車のサイレンは、おろおろするだけの親にとってまさに地獄で仏。しかもテキパキと対応する隊員の姿が、どれほど安心感を与えてくれたことか。
 長男は病院へ直行、ことなきを得たが、搬送中も、年配の隊員の方が、「○○ちゃん、○○ちゃん!」と呼び続けて下さった。いくら仕事とはいえ、強く印象に残る姿だった。
 これまでは新聞などで報道される断片だけで、どちらかといえば、救急車は事務的で不親切とのイメージを持ってしまっていた自分を恥じながら、素直な感謝の気持ちで、救急隊の皆さんに頭を下げた。
 あれからも、よく救急車のサイレンを耳にするが、その後に、「ああ、まただれかの命が救われているんだ」との感慨を深くしている。
 市民の命を守るために、昼夜を問わず出動態勢をとっている隊員の皆さん、ご苦労様です。そして本当にありがとう。
(毎日・1989・1・28掲載)
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絵手紙

2015年06月14日 02時01分16秒 | 絵手紙
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子どもゆがめる子離れせぬ親

2015年06月14日 00時04分28秒 | 文芸
子どもゆがめる子離れせぬ親

 子どもの学校だよりに「お願い」と強調されていたのが、朝起きるのが遅くなったとか、、ほんの少し体調が悪いなどのささいな理由での、自動車の送り迎えを自粛してほしいということだった。
 改めてお願いしなくてはならないほど目立って多いということだろう。塾や習い事の送り迎えするために校門の前で子どもの終業を待ち構えている親の姿が結構目立つのも、時代の流れだろうか。
 しかし、こんなふうに親が子どもの生活を丸抱えで支えるのも考えものだ。子ども自身の自立への弊害や、子どもの集団生活に対する意識の健全なる成長を妨げる一因になっているのははっきりしているのだから、親は果たしてどうあるべきかを真剣に考え、素直に反省をしなければならない。
 子どもが自分の足で歩いて通学することは、社会生活に適応するための第一歩なのだ。
 身の回りにあって必然の危険を避ける注意力や判断力、そしてとっさの決断力がそれによって身に着く。一緒に登校する上級生や下級生とのふれあいで、仲間意識や思いやりが自然に育つのだ。
 みんなもう少し子離れしてもいいのではなかろうか。
(神戸・1996・2・1掲載)
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