かっぱえびせんに尽きる。相当昔から食べている気がする。「やめられない、とまらない」のフレーズが自然と口をついて出る。今も我が家の子供たちの好物となっている。ポテトチップが苦手な父親のご意向で、おやつはかっぱえびせんとなっている。お腹が空いているときも、かっぱえびせんは腹抑えにもってこいだ。それにかっぱえびせんは安い!この間イオン系スーパーで78円で売っていたので10袋買い込んでしまった。まさにやめららえない、とまらないのだ。
「そんなに頼んで食べられるのか?」
「うん。お腹減ってるもん」
愛娘と飲食店に入れば、必ずこういうやり取りがある。私や妻は長年の経験から娘の習性は熟知している。だから、妻と私のどちらかが自分の注文は控えることになる。
「お母さん、そんなに少なくて大丈夫?」
娘が母親を思う優しさは嬉しいが、その理由が自分なのはピンと来ないのだろう。
娘は中華丼(ミニ)にチャンポンメンを、私と妻は二人合わせて天津飯と餃子だけ注文。別に小食でもダイエット中とかではない。
「ごちそうさま」
娘が食べ終わると、その前に食べ残しが。昔は「食べられる分だけ注文しろ。勿体ないやろ」と叱ったものの、そのクセは一向に直らない。そこで一人分の注文は抑えて、娘が残したものの大半は結局私の胃袋に納まる。
勿体ない世代の私、おかげでこの間の健康診断でメタボ予備軍の太鼓判。いやはや…!
「うん。お腹減ってるもん」
愛娘と飲食店に入れば、必ずこういうやり取りがある。私や妻は長年の経験から娘の習性は熟知している。だから、妻と私のどちらかが自分の注文は控えることになる。
「お母さん、そんなに少なくて大丈夫?」
娘が母親を思う優しさは嬉しいが、その理由が自分なのはピンと来ないのだろう。
娘は中華丼(ミニ)にチャンポンメンを、私と妻は二人合わせて天津飯と餃子だけ注文。別に小食でもダイエット中とかではない。
「ごちそうさま」
娘が食べ終わると、その前に食べ残しが。昔は「食べられる分だけ注文しろ。勿体ないやろ」と叱ったものの、そのクセは一向に直らない。そこで一人分の注文は抑えて、娘が残したものの大半は結局私の胃袋に納まる。
勿体ない世代の私、おかげでこの間の健康診断でメタボ予備軍の太鼓判。いやはや…!
当事者二人だけでは、きっと結婚に至らなかっただろう。喫茶店の仕事に追いまくられる私に、保母職に情熱を燃やす妻。とても二人の結婚を具体的に進める余裕はなかった。妻が妊娠しても、ただ時の流れに任せるだけ。
「何してんの?男が動かなきゃダメ。結婚はジッとしてると、誰も力を貸してくれないの。幸せな家庭と家族はあなたの手でしっかりと手に入れないと。わかった?頑張りなさい」
妊娠を知った妻の母親が投げた叱責と鼓舞は、決断力に欠ける情けない男を突き動かした。両親に結婚すると告げ、仲人も知人に頼み込んだ。後はトントン拍子だった。
新居も出入りの不動屋さんで決めた。結婚指輪から式場予約…仕事以外の時間をフル活動、わずか半年後に華燭の典が実現した。
きっかけを与えてくれた義母のおかげで、結婚へのふんぎりと行動に至ったのだ。結婚は周囲の支援と祝福なしでは叶わないものだと、いまつくづく思っている。
「何してんの?男が動かなきゃダメ。結婚はジッとしてると、誰も力を貸してくれないの。幸せな家庭と家族はあなたの手でしっかりと手に入れないと。わかった?頑張りなさい」
妊娠を知った妻の母親が投げた叱責と鼓舞は、決断力に欠ける情けない男を突き動かした。両親に結婚すると告げ、仲人も知人に頼み込んだ。後はトントン拍子だった。
新居も出入りの不動屋さんで決めた。結婚指輪から式場予約…仕事以外の時間をフル活動、わずか半年後に華燭の典が実現した。
きっかけを与えてくれた義母のおかげで、結婚へのふんぎりと行動に至ったのだ。結婚は周囲の支援と祝福なしでは叶わないものだと、いまつくづく思っている。
山の幸の宝庫だったが、いまは
緑豊かな山々に囲まれたところで生まれ育った。子どもの頃、しょっちゅう山に入り、燃料になる松の葉が枯れ落ちた『こくば』を競い合ってかき集めたものだ。
当時の山は、こくばだけでなく、マツタケ・フキ・ワラビ・ゼンマイ・サンショウ・ヤマブドウ・ヤマイチゴ・あけび…など山の幸の宝庫だった。
その山が数年前から、瀕死の状態になっている。マツクイムシにやられた松の木が、まるで白骨のように並び、あちこちで無残な山崩れが起きている。松の枯死は、マツタケの不毛につながり、手入れをする気力も奪ってしまう。倒木の残骸が行く手を阻むこともあって、山を厄介者扱いしてしまうようになったのも確かだろう。
最近、枯れた松を伐採し、遊歩道を切り開いて、『歴史の森』が生まれた。山の再生事業の一環だが、人と山のかかわりを、もう一度見直す契機にしてみたいと思う。
(讀賣・2006・7・2掲載)
緑豊かな山々に囲まれたところで生まれ育った。子どもの頃、しょっちゅう山に入り、燃料になる松の葉が枯れ落ちた『こくば』を競い合ってかき集めたものだ。
当時の山は、こくばだけでなく、マツタケ・フキ・ワラビ・ゼンマイ・サンショウ・ヤマブドウ・ヤマイチゴ・あけび…など山の幸の宝庫だった。
その山が数年前から、瀕死の状態になっている。マツクイムシにやられた松の木が、まるで白骨のように並び、あちこちで無残な山崩れが起きている。松の枯死は、マツタケの不毛につながり、手入れをする気力も奪ってしまう。倒木の残骸が行く手を阻むこともあって、山を厄介者扱いしてしまうようになったのも確かだろう。
最近、枯れた松を伐採し、遊歩道を切り開いて、『歴史の森』が生まれた。山の再生事業の一環だが、人と山のかかわりを、もう一度見直す契機にしてみたいと思う。
(讀賣・2006・7・2掲載)
娘との“今”大事にしたい
小6の娘が、卒業を前にして、クラスメート4人だけの遠出を体験した。ばすで姫路まで出て、動物園やショッピング(?)を楽しんだのだ。
初めてのことだけに本人より親の方が心配で落ち着けなかったが、娘は晴れ晴れした顔で帰って来た。ただ予定していたバスに乗り遅れて、一時間ほど後発のバスに乗ったとかで、娘の姿を見るまで不安が募りっぱなしだったが、、何とも呑気な様子で帰って来た娘の姿にホッと、安堵の胸を撫で下ろした。
持たせた普段より少し多めのお小遣いは、往復のバス代を含めてものの見事に使い切っていた。その分、娘は楽しい体験談をいっぱい持って帰っており、その夜の食卓は娘の独壇場となった。日頃は表情の乏しい娘なのに、嘘のように変身した明るさを見せて懸命に話すのを楽しく聞いた。
中学生になると、娘の行動半径はもっと広がる。その広がりが、初体験の時のような食事を囲む家族の団欒で、明るい話題の主役になってくれるだろうか……。
いやいや、そんな先の気苦労より、今この時を娘と楽しく過ごすことが最も大切なのだ。
(神戸・1976・3・3掲載)
小6の娘が、卒業を前にして、クラスメート4人だけの遠出を体験した。ばすで姫路まで出て、動物園やショッピング(?)を楽しんだのだ。
初めてのことだけに本人より親の方が心配で落ち着けなかったが、娘は晴れ晴れした顔で帰って来た。ただ予定していたバスに乗り遅れて、一時間ほど後発のバスに乗ったとかで、娘の姿を見るまで不安が募りっぱなしだったが、、何とも呑気な様子で帰って来た娘の姿にホッと、安堵の胸を撫で下ろした。
持たせた普段より少し多めのお小遣いは、往復のバス代を含めてものの見事に使い切っていた。その分、娘は楽しい体験談をいっぱい持って帰っており、その夜の食卓は娘の独壇場となった。日頃は表情の乏しい娘なのに、嘘のように変身した明るさを見せて懸命に話すのを楽しく聞いた。
中学生になると、娘の行動半径はもっと広がる。その広がりが、初体験の時のような食事を囲む家族の団欒で、明るい話題の主役になってくれるだろうか……。
いやいや、そんな先の気苦労より、今この時を娘と楽しく過ごすことが最も大切なのだ。
(神戸・1976・3・3掲載)