モルモットのワップをかまうのが最近面白い。最初はなんでもカリカリやっているので、かまれる恐怖感があってても触れられなかったのだが、この間、そ~っと指を伸ばして頭に触れた。激しく反応するかと思いキャ、ジーットしているではないか。以来、彼(彼女かもしれないけどわからない)の首やあごの下を掻いてやると、とても気持ちよさそうに目を細める。それがかわいい!今日もワップとスキンシップを楽しんでいると、背後からどーんとぶつかるヤツがいた。うさぎのフクちゃんだ。これまで自分だけが構って貰っていたのが、近ごろはワップばかりって、嫉妬してるんだ。これまた、カワイイ!フクちゃんにもコチョコチョと掻いてやる。甘えるように体を寄せてくる。飼い主の娘が帰ってくるまで、あと一時間。残る時間は限られている。さっそく、この間取っておいたスイカの皮を持ってきて、彼らにご褒美だ。コリコリとおいしそうに食べる彼ら(彼女らかもしれない)をながめているだけでもう幸せ気分に。ありがとう、フクとワップ。仲良くしなよ
「あたし、メガネの男の人、生理的に好きじゃないんです!」さらっと言ってのけた彼女に私が受けた衝撃は言葉で言い表せない大きなものだった。実は当時、コンタクトレンズ。その実はド近眼。牛乳瓶の底みたいなレンズだった。もちろんそんな風采の上がらない男が女の子と付き合えるはずがない。出会うチャンスすら皆目だった。そこで一念発起コンタクトレンズに挑戦した。ハードしかない時代だった。必死に装着指導を受けてコンタクトデビュー!すると、なんと私の青春は灰色からバラ色に変わった。女性のアタックを人生初めて受けた時の喜びと言ったら、たぶん、みなさんには理解できないでしょうね。複数の付き合いを経て、本命と思うようになった彼女。彼女ならメガネをかけても大丈夫かなと思った。ハードコンタクトを一日中装着しておくのはかなりたいへんだった。そこで時々、レンズを外してメガネをかけていたのである。めがね生活ができるなら、もう最高!だなと思いかけた時の、彼女の衝撃的なひと言を聞かされたのだ。もうコンタクトで通すしかなかった。その結果、彼女とは別れるはめに。いまの妻は、私のメガネ顔を「かわいい」と言ってくれた唯一の人だった。結婚して40年近くたった、この間彼女がおもむろに言った。「本当はメガネのあなたって、なんてダサイのかと思ってたのよ。でも、あなたの優しさと誠実さは、その気持ちを乗り越えさせてくれたんだ」と、アッケラカンとした口調でコクった彼女。なんとも複雑な気持ちになったが、思わず妻をだきしめていた。男の資格もないと言われたメガネ男子の、暗さが宿命づけられた青春に太陽の光をもたらしてくれた、わたしの女神に心から感謝している。
党など超えて行動だ
国民による総理大臣の直接選挙制度の実施を望みたい。シラケ世代や政界に失望した末の選挙無関心層に、自分の一票が二本のトップを選べると、選挙へ積極的に参加してもらえるはずだ。
その上で、「疑わしきは罰せられる」という政治家倫理の確立を図れれば、国民の政治回帰は間違いなく実現するだろう。
誠治かが選良と称したいなら、そうあって当然だし、総理大臣は一層の潔癖性を求められてしかるべきなのだ。
そうなれば、現在のような派閥や党の利権や思惑にがんじがらめになって何も出来ない総理大臣を生み出すことはなくなるに違いない。
国民の多数の支持を受けて選ばれた総理大臣はこれまでタブーだった党や派閥を超えたところで、国民サイドの政治行動がとれる。
国民の総意が得られるなら、日本国憲法の見直しを進めて、時代や国民を守る方向性に合致した理想憲法を策定する。それこそ、国民によって直接選ばれた総理大臣の義務であり責務なのではあるまいか。
そうなれば、もはやこれまでのようなつかみどころのない、典型的な日本人の美徳を売り物にした総理大臣はいらなくなる。
(讀賣・1996・7・25掲載)
国民による総理大臣の直接選挙制度の実施を望みたい。シラケ世代や政界に失望した末の選挙無関心層に、自分の一票が二本のトップを選べると、選挙へ積極的に参加してもらえるはずだ。
その上で、「疑わしきは罰せられる」という政治家倫理の確立を図れれば、国民の政治回帰は間違いなく実現するだろう。
誠治かが選良と称したいなら、そうあって当然だし、総理大臣は一層の潔癖性を求められてしかるべきなのだ。
そうなれば、現在のような派閥や党の利権や思惑にがんじがらめになって何も出来ない総理大臣を生み出すことはなくなるに違いない。
国民の多数の支持を受けて選ばれた総理大臣はこれまでタブーだった党や派閥を超えたところで、国民サイドの政治行動がとれる。
国民の総意が得られるなら、日本国憲法の見直しを進めて、時代や国民を守る方向性に合致した理想憲法を策定する。それこそ、国民によって直接選ばれた総理大臣の義務であり責務なのではあるまいか。
そうなれば、もはやこれまでのようなつかみどころのない、典型的な日本人の美徳を売り物にした総理大臣はいらなくなる。
(讀賣・1996・7・25掲載)
時の重要性を知る
社会人になった早々、遅刻するはめに。もちろん相当の理由があったので悪びれずにいたら、上司のさりげない忠告を受けた。
「職場は仲間で成り立っている。時間に遅れるのは、その仲間を裏切るってことだろう。君に正当な理由があっても、遅れて迷惑をかけたのは事実だ。もう何分か早く家を出ていたら間に合っていたかも知れないじゃないか。時間は人間が使いこなすものなんだぞ」
いつもギリギリの時間で間に合わせていたわたしは、上司の言葉を前に何も言えず、自然に職場のみんなに頭を下げていた。
以来、わたしは約束の時間15分前には目的の場所へ到着するように心がけている。おかげでわたしの信用度は抜群である。“時は金なり!”まさにそれを実感させてくれた上司の助言だった。
(神戸・1990・6・9・掲載)
社会人になった早々、遅刻するはめに。もちろん相当の理由があったので悪びれずにいたら、上司のさりげない忠告を受けた。
「職場は仲間で成り立っている。時間に遅れるのは、その仲間を裏切るってことだろう。君に正当な理由があっても、遅れて迷惑をかけたのは事実だ。もう何分か早く家を出ていたら間に合っていたかも知れないじゃないか。時間は人間が使いこなすものなんだぞ」
いつもギリギリの時間で間に合わせていたわたしは、上司の言葉を前に何も言えず、自然に職場のみんなに頭を下げていた。
以来、わたしは約束の時間15分前には目的の場所へ到着するように心がけている。おかげでわたしの信用度は抜群である。“時は金なり!”まさにそれを実感させてくれた上司の助言だった。
(神戸・1990・6・9・掲載)
昨夜は徹夜して、そのまま一番に飛んでいくつもりだった、コンビニに、新聞を買いに。ところが、目が覚めたのは7時過ぎ。(ウワァーッ)と飛び起きた。あわてて、シャツに手を通し、ズボンをはいた。靴下はまあいい。帰ってきてからゆっくりと履こう。
大分前にバタバタとあせって立ったまま靴下を履こうとした。(アレ?)と思う間もなくバランスを崩した。「グギッ!」と変な音がした。痛みは後で襲って来た。なんと、捻挫だけではなく、骨折だった。
あれ以来、靴下は慌ててるときは履かないでいる。別に素足だからと言って誰も気にしないし、迷惑かけるわけじゃない。ただ、一日素足でいて帰宅して靴を脱いだ時の、あの悪臭は…!想像するのは、まあ遠慮しときましょう。朝から気分が台無しだもんね。
一応身づくろいができると、慎重に車を飛ばした。昨年の大事故(?)がトラウマになっている。なにしろ1週間も入院を余儀なくされたのだ。別にぶつけたわけじゃなく、ぶつけられた……ああ、また脇道へそれかえてる。いかんいかん。
それで、もっとも近い所にあるコンビ・セブンイレブンの駐車場に車を止めた。葬儀場が隣り合わせていて、駐車場は共同使用になっているから、べらぼうに広い。一番端っこに止めて、テクテク急ぐ。
「いらっしゃいませ!」いい声だ。見るとおばちゃんだが、元気がいいのは悪くない。大体こんな時間にうら若い店員がいるわけがないではないか。「グーン」と開いた自動ドアを一足入ったところに目的のものがあった。新聞のスタンドだ。迷わず神戸新聞を手に取った。そこで立ち読みしたiいところだ。掲載されていなかったら買わなくて済むと、まあ貧乏人の発想である。しかし、今朝はそんなはしたないことはしたくない。
「ありがとうございました」明るく弾む、おばちゃんの声を背にコンビニを出た。愛車の運転席で新聞を開いた。なじみのページを開く。「あったー!」新聞の一面を飾るわたしのエッセー作品。挿絵つきである。原稿用紙に換算して10枚、入選賞金〇万円。
紙面の作品を読んでいると、いっぱしの作家になった錯覚に酔いしれる。再びコンビニに取って返した。結局三部買った。家に戻って朝のトイレをしよう。そこへ新聞を持ち込んで、「うーん、うーん」うなりながら、またまた自分の作品に読みふけることにしようっと。とりとめのない話で失礼しました、みなさん。
大分前にバタバタとあせって立ったまま靴下を履こうとした。(アレ?)と思う間もなくバランスを崩した。「グギッ!」と変な音がした。痛みは後で襲って来た。なんと、捻挫だけではなく、骨折だった。
あれ以来、靴下は慌ててるときは履かないでいる。別に素足だからと言って誰も気にしないし、迷惑かけるわけじゃない。ただ、一日素足でいて帰宅して靴を脱いだ時の、あの悪臭は…!想像するのは、まあ遠慮しときましょう。朝から気分が台無しだもんね。
一応身づくろいができると、慎重に車を飛ばした。昨年の大事故(?)がトラウマになっている。なにしろ1週間も入院を余儀なくされたのだ。別にぶつけたわけじゃなく、ぶつけられた……ああ、また脇道へそれかえてる。いかんいかん。
それで、もっとも近い所にあるコンビ・セブンイレブンの駐車場に車を止めた。葬儀場が隣り合わせていて、駐車場は共同使用になっているから、べらぼうに広い。一番端っこに止めて、テクテク急ぐ。
「いらっしゃいませ!」いい声だ。見るとおばちゃんだが、元気がいいのは悪くない。大体こんな時間にうら若い店員がいるわけがないではないか。「グーン」と開いた自動ドアを一足入ったところに目的のものがあった。新聞のスタンドだ。迷わず神戸新聞を手に取った。そこで立ち読みしたiいところだ。掲載されていなかったら買わなくて済むと、まあ貧乏人の発想である。しかし、今朝はそんなはしたないことはしたくない。
「ありがとうございました」明るく弾む、おばちゃんの声を背にコンビニを出た。愛車の運転席で新聞を開いた。なじみのページを開く。「あったー!」新聞の一面を飾るわたしのエッセー作品。挿絵つきである。原稿用紙に換算して10枚、入選賞金〇万円。
紙面の作品を読んでいると、いっぱしの作家になった錯覚に酔いしれる。再びコンビニに取って返した。結局三部買った。家に戻って朝のトイレをしよう。そこへ新聞を持ち込んで、「うーん、うーん」うなりながら、またまた自分の作品に読みふけることにしようっと。とりとめのない話で失礼しました、みなさん。
塾へ行かねば時間たっぷり
小学校で先生が「みんなは家の手伝いをどれぐらいしているのか?」と質問されたそうだ。6年生の息子の答えは「毎日やってる」だった。
わが家では、小学校に上がるとみんな例外なく家事の役割分担が課せられる。まず子どもたちは学校に行く前と夕方に、三匹の飼い犬の散歩と食事の世話、犬小屋の掃除は欠かせない。そのうえにお風呂の水入れと湯沸しがある。
この春までは三人で交代しながらやっていたが、姉が今年中学生になって、クラブ活動やなんやかやで、朝早くでかけ、帰宅はかなり遅くなるので、さてどうするかな?と思ってみていると、兄弟二人で見事にこなし始めた。男の子だからそれだけでは済まず、薪運びや花壇作りの手伝い。そのほかの手伝いがしょっちゅうある。
もちろん子どもたちの仕事ぶりは遊びの園長みたいなものだから、実に遅々としたものだが、ちりも積もればで結構仕事は捗るから大いに助かっている。
それでも子どもたちは遊びや宿題を怠るわけでもなく、毎日を充実させている様子だ。塾通いをしていない分、子どもたちには時間はたっぷりあるからである。
(神戸・1996・6・7掲載)
小学校で先生が「みんなは家の手伝いをどれぐらいしているのか?」と質問されたそうだ。6年生の息子の答えは「毎日やってる」だった。
わが家では、小学校に上がるとみんな例外なく家事の役割分担が課せられる。まず子どもたちは学校に行く前と夕方に、三匹の飼い犬の散歩と食事の世話、犬小屋の掃除は欠かせない。そのうえにお風呂の水入れと湯沸しがある。
この春までは三人で交代しながらやっていたが、姉が今年中学生になって、クラブ活動やなんやかやで、朝早くでかけ、帰宅はかなり遅くなるので、さてどうするかな?と思ってみていると、兄弟二人で見事にこなし始めた。男の子だからそれだけでは済まず、薪運びや花壇作りの手伝い。そのほかの手伝いがしょっちゅうある。
もちろん子どもたちの仕事ぶりは遊びの園長みたいなものだから、実に遅々としたものだが、ちりも積もればで結構仕事は捗るから大いに助かっている。
それでも子どもたちは遊びや宿題を怠るわけでもなく、毎日を充実させている様子だ。塾通いをしていない分、子どもたちには時間はたっぷりあるからである。
(神戸・1996・6・7掲載)
風呂で練習中におぼれたぞ
泳ぎが大の苦手なわたし。そのせいで小さい頃から夏が来なければいいのになあと、本当に願った。海水浴の前日なんて、目の前が真っ暗になる思いを何度もしたものだった。
そんなわたしが親になった。わが子の小さい間はなんてことはなかったのだが、物心がつき出すと、大変なことになってしまった。
「うちのおとうさんの水着姿、いっぺんも見たことないわ」「友だち、おとうさんとまた、海へ行ったんだよ」「おとうさんに泳ぎを教えてもらいたいな」と、子どもたちの大合唱である。
「おとうさんは、忙しいから無理言わないの」と妻がいつも助け舟を出してくれていた。しかし、毎年、毎年では、その手も使えなくなった。大体、オヤジの面子(めんつ)が随分、丸つぶれになってしまったのが悔しい。
今年の夏は「海に行こう!」とみんなをビックリさせようと、この間、お風呂で顔をつけるのに挑戦した!……ところが、目や鼻にお湯が……!で、「ワ、ワップ」。
お風呂で溺れるとは、なんとまあ情けない限りだ。こんなザマでは、言い訳を考える方が楽だな。ああ~~。
(讀賣・1997・7・20掲載)
泳ぎが大の苦手なわたし。そのせいで小さい頃から夏が来なければいいのになあと、本当に願った。海水浴の前日なんて、目の前が真っ暗になる思いを何度もしたものだった。
そんなわたしが親になった。わが子の小さい間はなんてことはなかったのだが、物心がつき出すと、大変なことになってしまった。
「うちのおとうさんの水着姿、いっぺんも見たことないわ」「友だち、おとうさんとまた、海へ行ったんだよ」「おとうさんに泳ぎを教えてもらいたいな」と、子どもたちの大合唱である。
「おとうさんは、忙しいから無理言わないの」と妻がいつも助け舟を出してくれていた。しかし、毎年、毎年では、その手も使えなくなった。大体、オヤジの面子(めんつ)が随分、丸つぶれになってしまったのが悔しい。
今年の夏は「海に行こう!」とみんなをビックリさせようと、この間、お風呂で顔をつけるのに挑戦した!……ところが、目や鼻にお湯が……!で、「ワ、ワップ」。
お風呂で溺れるとは、なんとまあ情けない限りだ。こんなザマでは、言い訳を考える方が楽だな。ああ~~。
(讀賣・1997・7・20掲載)