物心がついたときに初めて自分がウンチ(運動神経音痴)だと思い知らされた。学校の体育の実技はいつもボロボロ、クラスメートの嘲笑を買った。おかげで運動に関しては劣等感のかたまり。いまだに投げる・走る・飛ぶ……など、まず手は出さない。恥をかくのがわかっているからだ。そんな私が最近目覚めたのはウォーキング。人間、毎日やっているから、スーッと入って行かれた。16キロを完歩したとき、私は目覚めた。「これだ!」歩き終えた後の爽快感は最高だった。ビールがうまかったっけ。以来、小野・加西・三木と各市のウォーキングイベントに足しげく通いだした。これまで歩いた最高は20キロコース。ともに歩く参加者の大半が私と同じ団塊の世代から上の方々。マイペースで歩ける環境は完ぺきではないか。オレンジカラーのリュックを背負って緑豊かな自然の中を闊歩する。これがわたしが自信を持って取り組める、唯一のスポーツなのである。さあ、今日も歩け歩けと行きましょうか。
花をつけない娘の記念の木
小学校2年生になる末娘が生まれた時、記念に庭へ桜の木2本を植えた。 そのうちの一本が去年の台風の直撃で根元から折れた。やっと花を咲かせ始めたと言うのに、幹が裂けてしまってはどうしようもない。娘と一緒に片付け、薪にした。
強風にさらされながら生き残ったもう一本は、土に適応しないのか、葉桜のままだ。折れた桜の方が結構花をつけて楽しませてくれただけに、「おまえはウドの大木か?」と、文句のひとつも言いたくなる。引き倒して別の木を植えたいが、娘が大反対。
「もうすぐ、花丸がいっぱいになるよね」と、つぼみらしきものに話し掛けている。
その翌年の春。娘のお身が通じたのか、桜の花がちらほら開いた。
「ほら、やっと花丸貰えたんだ:
娘は我がことのように喜色満面でつぶやいた。
(讀賣・2005・4・10掲載)
小学校2年生になる末娘が生まれた時、記念に庭へ桜の木2本を植えた。 そのうちの一本が去年の台風の直撃で根元から折れた。やっと花を咲かせ始めたと言うのに、幹が裂けてしまってはどうしようもない。娘と一緒に片付け、薪にした。
強風にさらされながら生き残ったもう一本は、土に適応しないのか、葉桜のままだ。折れた桜の方が結構花をつけて楽しませてくれただけに、「おまえはウドの大木か?」と、文句のひとつも言いたくなる。引き倒して別の木を植えたいが、娘が大反対。
「もうすぐ、花丸がいっぱいになるよね」と、つぼみらしきものに話し掛けている。
その翌年の春。娘のお身が通じたのか、桜の花がちらほら開いた。
「ほら、やっと花丸貰えたんだ:
娘は我がことのように喜色満面でつぶやいた。
(讀賣・2005・4・10掲載)
空を眺め疑うクセ
人の言うことは簡単に信じる性格。占いから血液型、そして同列に並べて申し訳ないが、天気予報もそうであった。しかも、すぐ人に教えたがるおっちょこちょい。あやふやな言い回しの予報を「明日は絶対に雨が降る」なんて余計な“絶対”までつけて。それほど信じていた天気予報だったのに……。
真冬には、雪が降りそうな気配だと家には帰らず、店に泊まるようにしている。翌朝、凍(い)てついた道に難渋するから。この際、目安にするのが天気予報。「明日は晴れ、気温も高くなるでしょう」に安心して帰宅した。
だが、翌朝はなんと寒波襲来の影響が!悪戦苦闘の末、雪の中を半日がかりで店にたどり着いた。
それ以来、天気だけはいくら予報を耳にしても、戸外で空を眺め、「本当かな?」と疑って疑ってしまうのがクセになった。
(讀賣・1988・4・17掲載)
人の言うことは簡単に信じる性格。占いから血液型、そして同列に並べて申し訳ないが、天気予報もそうであった。しかも、すぐ人に教えたがるおっちょこちょい。あやふやな言い回しの予報を「明日は絶対に雨が降る」なんて余計な“絶対”までつけて。それほど信じていた天気予報だったのに……。
真冬には、雪が降りそうな気配だと家には帰らず、店に泊まるようにしている。翌朝、凍(い)てついた道に難渋するから。この際、目安にするのが天気予報。「明日は晴れ、気温も高くなるでしょう」に安心して帰宅した。
だが、翌朝はなんと寒波襲来の影響が!悪戦苦闘の末、雪の中を半日がかりで店にたどり着いた。
それ以来、天気だけはいくら予報を耳にしても、戸外で空を眺め、「本当かな?」と疑って疑ってしまうのがクセになった。
(讀賣・1988・4・17掲載)
日本の魂もつアヤコに共感
プロゴルファーの岡本綾子選手のインタビューをテレビで拝見した。明確な会話が、実績に似合ったたくましさを感じさせる。30代で頭の半分が既に白髪だとの秘話。メジャーゲームの初優勝を逃した瞬間に覚えた動揺。腰痛に苦しみ抜いた時期の苦悩。ちょっぴり照れ臭そうにしゃべる姿はとても身近に感じた。
「米国籍に変えられたほうが、もっと飛躍出来るのでは?」の問いに、さして恰好をつけるでもなくサラリと、「親がいる間は一緒にいたい。でも、日本には大半いない現状だから、せめて名前だけでも、戸籍の中で親の隣に置いときたいんですよ」。
ほほえみながら語る彼女に、思わず膝を正した。米国を本拠地にする彼女に、最近忘れられつつある日本人の大事なものを教えられた気がしたのである。
親と別居が前提の結婚。親がボケたり、寝たきりになると専門施設にまかせて知らぬ顔。そんな風潮の昨今を見るにつけ、「よくぞ言ってくれた!」である。
翌夕、「岡本さん、総理大臣顕彰」の記事を見つけ、快哉(かいさい)を叫ぶ。あれだけの実績を積み上げ、その上、より日本的な心を持ち続ける彼女に、絶大なる賛辞を送りたい。
(朝日・1987・12・6掲載)
プロゴルファーの岡本綾子選手のインタビューをテレビで拝見した。明確な会話が、実績に似合ったたくましさを感じさせる。30代で頭の半分が既に白髪だとの秘話。メジャーゲームの初優勝を逃した瞬間に覚えた動揺。腰痛に苦しみ抜いた時期の苦悩。ちょっぴり照れ臭そうにしゃべる姿はとても身近に感じた。
「米国籍に変えられたほうが、もっと飛躍出来るのでは?」の問いに、さして恰好をつけるでもなくサラリと、「親がいる間は一緒にいたい。でも、日本には大半いない現状だから、せめて名前だけでも、戸籍の中で親の隣に置いときたいんですよ」。
ほほえみながら語る彼女に、思わず膝を正した。米国を本拠地にする彼女に、最近忘れられつつある日本人の大事なものを教えられた気がしたのである。
親と別居が前提の結婚。親がボケたり、寝たきりになると専門施設にまかせて知らぬ顔。そんな風潮の昨今を見るにつけ、「よくぞ言ってくれた!」である。
翌夕、「岡本さん、総理大臣顕彰」の記事を見つけ、快哉(かいさい)を叫ぶ。あれだけの実績を積み上げ、その上、より日本的な心を持ち続ける彼女に、絶大なる賛辞を送りたい。
(朝日・1987・12・6掲載)
あびき湿原観察会に参加した。総勢十九人、ボランティアガイドに引率されて現地に足を踏み入れた。数年前に発見、整備と保護が進められる湿原は兵庫県下で最も大きいと言う。
ちょうど六月。湿原の三種の神器と言われるハッチョウトンボ・ヒノヒカゲ(蝶)・ヒメタイコウチが揃って見られた。カキラン・トキソウ・ハナショウブ(原種)と希少植物も湿原を賑わす。驚きと感動を連続して味わう。
二十㍉にも満たないハッチョウトンボに目を奪われ、しばし子供に戻った。湿原の一部に底なし状態の泥地があった。大人の腰のあたりまで泥に沈み込むらしい。凄い!
地元の区長さんの説明に湿原の魅力が溢れている。その湿原の自然を守っている誇らしさと自負が、区長さんの表情にあった。
湿原を守る地元の人々と、呼び掛けに集まったボランティアの協力で県下有数の湿原が実現したのだ。自然と共生する素敵な人達の姿をダブらせ、しばしあびき湿原を堪能した。
ちょうど六月。湿原の三種の神器と言われるハッチョウトンボ・ヒノヒカゲ(蝶)・ヒメタイコウチが揃って見られた。カキラン・トキソウ・ハナショウブ(原種)と希少植物も湿原を賑わす。驚きと感動を連続して味わう。
二十㍉にも満たないハッチョウトンボに目を奪われ、しばし子供に戻った。湿原の一部に底なし状態の泥地があった。大人の腰のあたりまで泥に沈み込むらしい。凄い!
地元の区長さんの説明に湿原の魅力が溢れている。その湿原の自然を守っている誇らしさと自負が、区長さんの表情にあった。
湿原を守る地元の人々と、呼び掛けに集まったボランティアの協力で県下有数の湿原が実現したのだ。自然と共生する素敵な人達の姿をダブらせ、しばしあびき湿原を堪能した。
歩行者になって発見したこと
商売をしているので、ふだんは店ばかり。外に出るといえば車を走らせるのが生活パターン。それがひょんなことから駅まで歩いて行く羽目になって「久し振りに歩くのもいいだろう」と気楽に店を出たものだ。
ところが、最近の町はそんな気楽に歩ける現状ではない。最初の四つ角で早くも思い知らされた。「パパパパッ!」といきなり警笛が鳴ったかと思うと、目の前を徐行の気配すら見せないで走り抜ける乗用車。ムカッとして確かめれば、ちゃんと一時停止の標識がある。
(これは用心して行こう)と慎重に歩き出したが、なんと次の交差点でも車の横暴さに遭遇してしまった。
遠くに車を確認して安心しながら渡りかけると「キキィーッ!」と急ブレーキで停まる車。あ然とするわたしをしり目に、ロボットみたいな冷たい視線を浴びせて悠然と車を走らせていく。
いくら車が機会だからといって、運転者まで機会に変身することもあるまい。そこでフッと気付いた。「運転してる時のおとうさん、怖いよ」って子どもの言葉である。
他人ごとではない。わたし自身が車を運転するロボットだったのだ。
やっと駅に着いた時、(明日から優しい気持ちで運転するぞ!)と思わざるを得なかった。
(神戸・1988・8・16掲載)
商売をしているので、ふだんは店ばかり。外に出るといえば車を走らせるのが生活パターン。それがひょんなことから駅まで歩いて行く羽目になって「久し振りに歩くのもいいだろう」と気楽に店を出たものだ。
ところが、最近の町はそんな気楽に歩ける現状ではない。最初の四つ角で早くも思い知らされた。「パパパパッ!」といきなり警笛が鳴ったかと思うと、目の前を徐行の気配すら見せないで走り抜ける乗用車。ムカッとして確かめれば、ちゃんと一時停止の標識がある。
(これは用心して行こう)と慎重に歩き出したが、なんと次の交差点でも車の横暴さに遭遇してしまった。
遠くに車を確認して安心しながら渡りかけると「キキィーッ!」と急ブレーキで停まる車。あ然とするわたしをしり目に、ロボットみたいな冷たい視線を浴びせて悠然と車を走らせていく。
いくら車が機会だからといって、運転者まで機会に変身することもあるまい。そこでフッと気付いた。「運転してる時のおとうさん、怖いよ」って子どもの言葉である。
他人ごとではない。わたし自身が車を運転するロボットだったのだ。
やっと駅に着いた時、(明日から優しい気持ちで運転するぞ!)と思わざるを得なかった。
(神戸・1988・8・16掲載)