こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

七夕の記憶の風景

2015年06月29日 19時26分20秒 | 文芸
 8月7日。子どもにとっては夏休みの前半で最大のイベントだった。
 笹飾りをして祭るのは、その年の新一年生がいる家。そこへ子どもたちは誘い合い訪問して回った。ワクワクドキドキしながら、上級生の尻について駆け巡った。
「よう来たな。うちの子もよろしゅうにな」
 訪問先の家では、家人が顔を綻ばせて迎えてくれる。縁先に飾られた笹飾りと祭壇に交代で一礼すると、家人がお菓子を配った。子どもたちに最大の喜びを与えてくれる瞬間だった。このために暑い中駆け回るのだ。
 家では食べたことも見たこともないお菓子が配られると、もう大騒ぎだった。時には取り合ったり大変である。当時は今のような甘いおやつはそう簡単に手に入らなかった。ふかしイモやソラマメを炒ったものなどや、時にはおむすびがおやつ代わりだった。
 七夕の由来を知ったのは、中学生の時。それまで七夕はおやつが貰える待望の日だった。

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実情にマッチしない

2015年06月29日 12時40分07秒 | 文芸
実情にマッチしない

 これまでの「成人」年齢20歳論は、確かにイメージ的にも区切りがついていて、適当なのかもしれないが、最近の風潮を見るにつけ、どうも実情にそぐわない気がする。
 事実、現在の高校、大学生らは政敵のも成熟、経済的な面でもアルバイトなどを通じて社会人並みどころか、それ以上の所得を挙げている例が多い。新規格の会社設立で、経営者におさまる場合もある。もはや「学生の分際で」は通用しそうにない世の中である。
 むしろ彼らに「成人」の資格を与える方が、社会に活力を生み出す源として期待ができそうだ。
 それに中学までが義務教育と定められているのだから、それ以後は「成人」と認めても支障はないはずだ。若者のパワーを期待して、成人年齢ひさげ論が実現するのを望みたい。
(讀賣・1988・1・23掲載)

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ボクのオムカエ

2015年06月29日 11時01分00秒 | 文芸
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自転車ばんざい!

2015年06月29日 08時14分22秒 | 文芸
自転車ばんざい!

 最寄りの駅まで25分ぐらいかかっての自転車通勤を初めて、もう1年。最初はからだもなかなか慣れなくて、足や腰が痛くてため息ばかりの毎日でした。それが今ではスーイスーイラクラクで、道沿いの景色を楽しみながら自転車を走らせているのだから、慣れって不思議なものだと思います。
 自動車の多い県道を走るのは相変わらず苦手だけど、自然が多く目につく細い裏道を走ると、もう爽快そのもの。道に沿って古い家が続く。崩れかけた土塀越しにツバキや梅、桜……季節感をタップリ味わわせてくれるたくさんの木や花が頬笑んでくれるので、電車の発車時間を忘れて、ボケーッと見とれていたあげく、遅刻したりなんて失敗もありました。
 でもこの1年で、忘れていた人間らしさをいくらか取り戻せた気がしています。それもこれも自然の風を受けながらの自転車通勤のおかげでしょう。自動車なんかお呼びじゃないって感じです。
 年の初めにやっとこさ自動車の免許を手に入れたけれど、自転車の魅力の前に用無し状態です。ただ一つだけ弱っているのは、心なしか太ももが太くなった気がすること。もともと太目の体なので尚更気になるのかも知れません。まだ乙女なんです。でも、あんな爽快さとの引き換え……あきらめなくちゃね。
(神戸・1991・4・15掲載)

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4コマ漫画・足は万能

2015年06月29日 02時46分40秒 | マンガ
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草野球にこそスポーツの原点

2015年06月29日 01時47分15秒 | 文芸
草野球にこそ学ぶべき原点

 本来社会人スポーツとは、仕事の余暇に練習や試合をするものだと思う。それが近年スポーツ社員というか、それが仕事のような様相を呈してまるでプロのようになった。ちょっと行き過ぎの感を覚えていただけに、今回の不況による川崎製鉄神戸野球部等の休廃部は、社会人スポーツの現手に返るいいきっかけにしてほしい。
 会社丸抱えを当然とした甘えの現状ゆえに、景気不景気にほんろうされる羽目になったことを思い知るべきである。必要最小限の費用を出し合って仕事の余暇の限られた時間で懸命に努力する姿勢が、今こそ必要なのだ。
 早朝に集まってやる草野球や夜遅く練習に励むママさんバレーなどの真剣な姿勢に学ぶべきで、社会人スポーツは決して企業スポーツになり得ないことを知るべきだ。
 論者の、仕事との両立を図ることが大切なのだという意見こそ、昨今忘れられてしまっている社会人スポーツの原点なのである。
(神戸・1994・9・20掲載)

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意味のない禁煙表示なんて

2015年06月29日 00時04分57秒 | オレ流文学
意味のない禁煙表示なんて

 先日、夫婦二人で赤ちゃんを連れて大阪に出向いた。久しぶりの大阪で、不思議と目についたのが「当店では喫煙できません」「禁煙コーナーあります」などの表示。ブティックから飲食店まで、けっこう多く目につく。(なるほど、さすがに都会だよな。ちゃんと嫌煙権が市民権を得ているのか)と感心する。
 ところが、あるファーストフード店に入って、実態は全然違うのを知らされた。3階まである店の二階部分に、大きく目立つ「この階はお子様の健康を考えて禁煙になっています」との表示板。(ああ、これは安心だ)と入ってみれば、なんと紫煙が充満している。
 アベックと学生と、中年のおばさんがスパスパやりながらハンバーグを食べている。喫わない家族連れの姿も見られるが、別に迷惑顔をしているわけでもなく、完全な共存である。赤ん坊連れでその仲間入りをするわきのもいかず、きびすを返したが、どうにも納得がいかない。
 一体、あの禁煙表示はなんなのか?長いものには巻かれよ式の、日本人的な悪い風潮の前には、全くのお飾りに過ぎない表示。この状況から判断すれば、日本の喫煙マナーの向上など、机上の空論に過ぎない。愛煙家の皆さんの自覚を待つしか方法はないものか!?
(神戸・1989・2・22掲載)

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