「まず好きになりなさい。そしたら努力も出来る。そして成果を得られる」
そう教えてくれたのは、祖父だった。寡黙で黙々と働くイメージしかない祖父は、ちいさい頃の私には怖い存在だった。
その祖父が、小学校に上がった私にボソッと言ったのが、文頭の言葉である。
その教えは私のその後をしっかりと支えてくれた。とにかく好きになるんだ。何でもかでも好きになるんだ。といつも思っていた。
その結果は、ちゃんと現れた。好きになった絵はコンクールで入賞続き。アマチュア劇団もメインキャストにまでなった。文章も全国公募に何度も入賞するようになった。
妻も、私が片思いながら好きになったので、彼女の方からプロポーズしてくれた。
いま思えば祖父のあの言葉は私を裏切ることはなかった。
いまもあの言葉は、私の座右の名として、わが子や若い人に伝えている。
そう教えてくれたのは、祖父だった。寡黙で黙々と働くイメージしかない祖父は、ちいさい頃の私には怖い存在だった。
その祖父が、小学校に上がった私にボソッと言ったのが、文頭の言葉である。
その教えは私のその後をしっかりと支えてくれた。とにかく好きになるんだ。何でもかでも好きになるんだ。といつも思っていた。
その結果は、ちゃんと現れた。好きになった絵はコンクールで入賞続き。アマチュア劇団もメインキャストにまでなった。文章も全国公募に何度も入賞するようになった。
妻も、私が片思いながら好きになったので、彼女の方からプロポーズしてくれた。
いま思えば祖父のあの言葉は私を裏切ることはなかった。
いまもあの言葉は、私の座右の名として、わが子や若い人に伝えている。
定年を前に孤独感募る
家の中がシーンと静まり返っている。もうすぐお昼。夜勤明けのわたしが目覚めれば、最近いつもこんな感じ。夫婦と子ども4人、少し前までは、いつもにぎやかだったのが、まるでうそみたい。孤独感に襲われる瞬間だ。
長女は介護施設の職員。長男は今年から大手の居酒屋チェーン店に勤め始めた。二人とも夜勤が多くて時間もまちまちの職種。次男は大阪で学生生活だ。それにこの時間は、パートの妻や小学生の末娘がいるはずもない。
ひとりでごそごそと用意して食べる昼食。むなしさは募る。実は今年いっぱいで定年を迎えるわたし。先を考えればなおさらわびしくなる。
若い時は、気にもかけなかったひとりぼっちの状況が、かなりこたえ初めている。「人間ひとりじゃ生きられないんだよ」って言葉が実感をもって迫る。
でも、負けてはいられない。子どもたちの巣立ちは喜びだが、そのあとをどうするか?自分で見つけだすしかないんだ!余生をどう充実させられるかの道は。
(神戸・2008・7・19掲載)
家の中がシーンと静まり返っている。もうすぐお昼。夜勤明けのわたしが目覚めれば、最近いつもこんな感じ。夫婦と子ども4人、少し前までは、いつもにぎやかだったのが、まるでうそみたい。孤独感に襲われる瞬間だ。
長女は介護施設の職員。長男は今年から大手の居酒屋チェーン店に勤め始めた。二人とも夜勤が多くて時間もまちまちの職種。次男は大阪で学生生活だ。それにこの時間は、パートの妻や小学生の末娘がいるはずもない。
ひとりでごそごそと用意して食べる昼食。むなしさは募る。実は今年いっぱいで定年を迎えるわたし。先を考えればなおさらわびしくなる。
若い時は、気にもかけなかったひとりぼっちの状況が、かなりこたえ初めている。「人間ひとりじゃ生きられないんだよ」って言葉が実感をもって迫る。
でも、負けてはいられない。子どもたちの巣立ちは喜びだが、そのあとをどうするか?自分で見つけだすしかないんだ!余生をどう充実させられるかの道は。
(神戸・2008・7・19掲載)
ビデオ録画は何のため?
「きのうのテレビ映画すごく良かったなあ。胸がジーンとしてさ、目が潤むほど感動したもんね」
まだ残る余韻に酔いながら話すわたしに、友達は無表情にサラリと言ってのけた。
「ああ、あれならビデオにとってあるよ」と。
それがどうしたんだよと口に出かかる。悔しいが、テレビに関する二人の会話はいつもこう。
名画のすべてはビデオに収めるのが自慢の友達だが、それらの作品についての感想は耳にしたことがない。確かに文明の利器を使ってビデオ保存するのもいいが、それどまりというのも情けない話しだ。
名作名画は何も記録されるために作られるわけじゃない。それを観る人に精神的な影響を与えるのが役目だ。作品に含まれた意味はとてつもなく大きいはずだ。
それがコピーされたまま整理されているだけというのは、作った人へのぼうとくになるのじゃないだろうか。録画するのに使う労力を、たまには鑑賞にあてても罰は当たるまい。
そして感想を語り合おうじゃないか。友よ。そうすれば少しは人間的な会話になるかもしれない。
(神戸・1987・6・27掲載)
「きのうのテレビ映画すごく良かったなあ。胸がジーンとしてさ、目が潤むほど感動したもんね」
まだ残る余韻に酔いながら話すわたしに、友達は無表情にサラリと言ってのけた。
「ああ、あれならビデオにとってあるよ」と。
それがどうしたんだよと口に出かかる。悔しいが、テレビに関する二人の会話はいつもこう。
名画のすべてはビデオに収めるのが自慢の友達だが、それらの作品についての感想は耳にしたことがない。確かに文明の利器を使ってビデオ保存するのもいいが、それどまりというのも情けない話しだ。
名作名画は何も記録されるために作られるわけじゃない。それを観る人に精神的な影響を与えるのが役目だ。作品に含まれた意味はとてつもなく大きいはずだ。
それがコピーされたまま整理されているだけというのは、作った人へのぼうとくになるのじゃないだろうか。録画するのに使う労力を、たまには鑑賞にあてても罰は当たるまい。
そして感想を語り合おうじゃないか。友よ。そうすれば少しは人間的な会話になるかもしれない。
(神戸・1987・6・27掲載)