梅雨だ。もうジトジトの雨は大嫌い。とはいえ傘をさすのが面倒くさい。少々の雨ならひとっ走りで突っ切る。どんどんぶりなら、しかたがない。子供頃から今までに一回でも使った後、忘れ去られた存在の傘をひっぱり出す。時には子供用の小さい傘ってこともある。別に恥ずかしくもない。雨さえしのげれば十分なのだ。だから、出先で雨が止んだりするとしょっちゅう忘れてくる。考えてみれば使い捨て傘だな。雨合羽にしても、一度切ると、あとはたたんでしまっておけばいいのだが、やはり邪魔くさい!結局そこらにおっぽいておいて、次に使うときは、どこにあるかわからない状態に。また雨が降り出した。きょうは村の集まりがあるけど、安物の透明傘がある。骨が一本折れてるけど、集会場は近くだし、まあ問題ないでしょう。もし忘れてくれば、次のゴミの日に集積場にいけば、傘がゴロゴロしてる。何本かいただいてかえります。一度、どっかで見た傘だと思ったら、自分が忘れた傘だったっけ。まあリサイクルしに協力してると思えば、こんなにいいことはない。梅雨を乗り切る私の強い味方は使い捨て(?)の傘である。
山の幸の宝庫だったが、いまは
緑豊かな山々に囲まれたところで生まれ育った。子どもの頃、しょっちゅう山に入り、燃料になる松の葉が枯れ落ちた『こくば』を競い合ってかき集めたものだ。
当時の山は、こくばだけでなく、マツタケ・フキ・ワラビ・ゼンマイ・サンショウ・ヤマブドウ・ヤマイチゴ・あけび…など山の幸の宝庫だった。
その山が数年前から、瀕死の状態になっている。マツクイムシにやられた松の木が、まるで白骨のように並び、あちこちで無残な山崩れが起きている。松の枯死は、マツタケの不毛につながり、手入れをする気力も奪ってしまう。倒木の残骸が行く手を阻むこともあって、山を厄介者扱いしてしまうようになったのも確かだろう。
最近、枯れた松を伐採し、遊歩道を切り開いて、『歴史の森』が生まれた。山の再生事業の一環だが、人と山のかかわりを、もう一度見直す契機にしてみたいと思う。
(讀賣・2006・7・2掲載)
緑豊かな山々に囲まれたところで生まれ育った。子どもの頃、しょっちゅう山に入り、燃料になる松の葉が枯れ落ちた『こくば』を競い合ってかき集めたものだ。
当時の山は、こくばだけでなく、マツタケ・フキ・ワラビ・ゼンマイ・サンショウ・ヤマブドウ・ヤマイチゴ・あけび…など山の幸の宝庫だった。
その山が数年前から、瀕死の状態になっている。マツクイムシにやられた松の木が、まるで白骨のように並び、あちこちで無残な山崩れが起きている。松の枯死は、マツタケの不毛につながり、手入れをする気力も奪ってしまう。倒木の残骸が行く手を阻むこともあって、山を厄介者扱いしてしまうようになったのも確かだろう。
最近、枯れた松を伐採し、遊歩道を切り開いて、『歴史の森』が生まれた。山の再生事業の一環だが、人と山のかかわりを、もう一度見直す契機にしてみたいと思う。
(讀賣・2006・7・2掲載)