難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

装用して6ヶ月の人工内耳(2)

2008年06月01日 22時19分12秒 | 人工内耳
080531-154152.jpg今晩は協会の理事懇談会だった。先週の総会で理事二人を補充したので、協会の歴史や組織の実状について学んでもらったのだ。

会議には磁気ループ、手話通訳、要約筆記がつく。
人工内耳をT回路で聞いていたがどのマップを使ってもボリュウムをゼロにして聞いてもうるさいので切ってしまった。
昨夜声として聞こえた4チャンネル目のマップもうるさくてだめだった。こうした時にどうすればよいのか、機能聞こえて、今日は聞こえない。これをどう受け止めるべきか。
今の医療の中では次の診察日を待つしかない。

懇談会後、人工内耳はどうか聞かれた。総会の前に人工内耳と補聴器の併用に踏み切った理由を聞いたので関心を持ったからだそうだ。片耳は全く聞こえないが片方で補聴器で聞いている人だが、残る方がいつ聞こえなくなるかと心配している人は意外と多いのかもしれない。
 

ラビット 記






2種類の補聴器イヤーモールド

2008年06月01日 11時47分36秒 | 補聴器
080531-153608.jpg大学病院の補聴器外来でイヤーモールドを緑のクリアーで作成したが、それまでのR社のと耳の中に入る部分の長さが違う。

R社のイヤーモールドは挿入する際にひねって入れるようにするので少し痛いがフィット感は抜群。高出力の補聴器はしっかりとしたイヤーモールドを作らないと必ずハウリングが起きる。

医師がイヤーモールドの型を取ってくれたが医師は補聴器の調整をしない。イヤーモールドは補聴器の聞こえに深い影響があるので、やるなら補聴器のフィッティングまで徹底して関わるべきだし、やらない方がよいのではないか。
一日に何十人も、イヤーモールドをとって耳に合わせて補聴器の微妙な調整をする専門店の担当者とたまにしか取らない医師とではいかんせんキャリアが違う。


ラビット 記




難聴者の聞こえの理解を妨げる原因の一つ

2008年06月01日 03時39分55秒 | 生活
難聴者は、感音性の難聴、聴神経や内耳が障害を持っている場合、閾値が非常に狭くなっている。つまり、小さい音や声は大きくしないと聞こえないが大きすぎると耳に痛みを感じて、聞くことが出来ない。

補聴器を適正なボリュウムにして聞いていた時に、騒音がしたり、大きな声で話す人がいたりするとうるさいのでボリュウムを絞ってしまう。
しかし、その声の大きい人が話し終わって違う人が話し始めても難聴であることを意識させてしまうので、補聴器に触れたりボリュウムを戻すのが見られたくない気持ちから、あるいはまたうるさくなると思ってそのままにしていることがおおい。

そうすると他の人が話しかけて来ても良く分からないということになりがちだ。

まずは、補聴器の特性、難聴者の聞こえの特性を理解してもらわないと誤解が増幅するだけだ。


ラビット 記


装用後6ヶ月の人工内耳の聞こえ(1)

2008年06月01日 03時28分21秒 | 人工内耳
12月4日に、人工内耳を装用してから、6ヶ月が経過した。

右耳の補聴器側は、相変わらず、耳だれが治らない。これは右の奥歯の虫歯が化膿し始めていて、その影響で薬もそちらの方に回ってしまって、耳穴の中の化膿止めになっていないのではないか。
電気ドリルやメスのこともあるので、今度受診した時に歯科も紹介してもらおう。

これまでは、人工内耳フリーダムの2チャンネル目に登録したマップで聞いていたが、うるさくなって来たのでボリュウムをゼロにしていることが多くなった。頭が締め付けられるように感じて、日によってはスイッチを入れないこともあった。

31日土曜日に、人工内耳の4チャンネル目のマップを使ってみた。これは、補聴器のように聞こえるがあまりに音が強大すぎるので封印していたものだ。
テレビの音を消した静かな部屋なら、時計の針の音と後パソコンのファンの音だか何かが聞こえるが、相手の声が補聴器程ではないが、口や手話を見ながらだと十分分かる。

その後、テレビを見ていたが、字幕が表示される前でもキャスターや解説者が話しているのが口を見られれば時々「聞こえた」。

手話がない場合、口が見えない場合はまだ難しいが、1ヶ月前にはうるさくて使えなかったマップが1時間でも聞いて大丈夫なようになった。


ラビット 記




難聴者のセルフアドボカシー(2)

2008年06月01日 02時37分00秒 | エンパワメント
080531-082434.jpg中途失聴・難聴者向けの手話講習会に、こうしたセルフアドボカシー能力の重要性を気付かせる講義を入れ、聴覚障害の基本的理解と合わせて、手話の習得とこうした学習が相乗効果をもたらすようなカリキュラムが必要だ。読話講習会も同じだ。
コミュニケーション手段の習得を自己目的にしない方がよいということだ。


ラビット 記
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自分の聞こえない状況をいかに仔細に分析して客観的に説明するか、これはロールプレイなどで試しに実験してみるとわかりますが、結構練習と訓練がいります。いきなり今日明日からできるような能力じゃないです。
自己をいかに客観的に見られるか、という訓練をしながらも、適当な息抜き(ストレス解消法、難聴のピアのサポートグループ)をすることがセルフアドボカシー能力の発達に必要です。難聴者がお互いにこういうことを訓練できるピアサポートグループができたらいいですね。

それからこの到達度レベルは一個人のある時点での固定的なレベルではないです。
本人のその日の調子によって(例:風邪をひいていたり、疲れていたり、お酒のあとで勇気が倍増しているなど)、あるいは周りの環境によって同一人物でも 入門者になったり上級者になったりしますね。

上級レベルまで行くには本人の日ごろの訓練・努力もさることながら、相手が「ある程度理解してくれそう」な周囲であることが感じられないと訓練の成果も発揮できませんしそういう気分にもなれません。やはりコミュニケーションは双方通行ということですね。

せっかく上級レベルの能力がありながら全く無理解な周囲のせいで落ち込んでしまい入門レベルの行動しかとれていない人もいるでしょう。
逆に今は入門レベルの対応しかできていない難聴者でも理解ある周囲に囲まれていれば機会を得るごとに徐々に上級レベルの対応ができるようになるかもしれ ません(まれだとは思いますが)。

いずれにせよ、まず私たち難聴者がアドボカシー能力を育てなければ周囲は変わらないでしょう。


以前ラビットさんが、よく聞こえないのにわかったと言ってしまう背景には、もう少し先まで聞けばわかるかもしれないという期待感があるから、ということ を言っていましたが、これは難聴者と話者との関係の深さ(浅さ)と誤った自己認識を示しているように思います。
話者に対して100%満足のいく話し方をお願いできないような浅い関係だということ。

あるいは会社の会議などの場合、目立ちたくない、注文の多い難聴者と思われたくないなど、日本的な「出る杭は打たれる」または恥の精神文化も寄与しているでしょう。

誤った自己認識、というのは90%だけ聞こえても10%をたくましい想像力と過去の経験から「穴埋め」して理解した「つもり」になっている悪い癖のことです。でも90%の理解でも100%わかったと本当に思っていたら、それは難聴者が自己イメージを傷つけないために永年かけて無意識に発達させてきたサバイバル能力なのかもしれません。
知らぬは仏ー難聴者のみなりけり、なのですがね。


余談ですが、にどう聞こえて聞こえないのか周囲の健聴者に説明する手段として、当地ではSound HearingというCDが出ています。軽度、中度、重度、ろうの4段階の聴覚障害の聞こえ方を音で(文章で)デモンストレーションしているので、耳栓 したりせずとも実感をもってわかってもらえます。
私はよくこのCDを使って健聴者に4段階の聞こえ方を試してもらいディスカッションしてもらいます。「肩がこった」とか「軽度でもこんなに聞こえにくい とはしらなかった」とか「不安になった」とか様々な反応が出て有益です。日本にもこういうCDがいいなと思いました。






難聴者のセルフアドボカシー(1)

2008年06月01日 02時03分02秒 | エンパワメント
080531-160414.jpgハワイの風さんから、セルフアドボカシーについて、メールがあった。

難聴者が、自分の障害を以下に説明し、対処方法をコントロールするかというのはやはり「学習」が必要だ。
障害者自立支援法の個別給付の「自立訓練」の難聴者版を早急に作らねばならないと感じた。


ラビット 記
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難聴者が聞こえない状況をきちんと説明できないことが「周囲の無理解」を生みだしているということは大いにあります。そして周囲の無理解にさらに拍車を かける。。。
これまで、あのサムトライチン教授や他のHLAAのセミナーで学んだこと、ラビットさんのブログを元にわたしなりの考えをまとめるとすれば、以下のよう になります。

セルフアドボカシー(自分の障害やニーズ、権利について周囲に理解されるように説明できる)能力の到達度レベル
◯入門レベル―よく聞こえなかったときに、「は?」「え?」「なに?」「ん?」としかいえない。ひらがな5文字でしか反応できないのはちょっと。。。

◯初級レベル―「ワラマラ?」「にょにょにょにょ?」のように、どう聞こえたかそのとおりを反復する。少なくともどう聞こえたのかは話者にわかる。話者は同じ文章を繰またり返し言うかもしれないが、聞こえ方はおそらく変わらない。

◯中級レベル―「明日は○▲□×」と聞こえた場合、「{明日は}までは聞こえたのですが、その後がわかりません。{明日は}から後の部分をもう一度言っ てくれませんか」と、どの部分が聞こえてどの部分が聞こえなかった(わからなかった)かを説明する。打ち解けた間柄ら、「えっ?明日は何だって?」
いずれにせよ話者は、ああそうか、後半部分だけ聞こえなかったのだな、と理解できる。でも「ワラマラ」のようにあまりに短い文ではちょっと無理。

◯上級レベル―何回聞いてもナンセンスに聞こえる場合、「なんかまだよく分からないので、別の言い方で言い換え(パラフレーズし)てくれませんか」「これに書いてくれますか」。うまく対応してくれたときには「おかげでわかりました。どうもありがとう」と。お礼を言われて悪い気がする人はいない(次にも 同じことをしてくれる可能性が高まる)。

しかしながら、こうまでして聞き返さなければならないような状況を生み出す以前に(会話が始まる前に)、話者に、自分が難聴であること、どのように話してほしいか、話者が途中で話し方を変えたりするかもしれない(長い話になる)場合には{ゆっくり、はっきり、顔を見て等}話してほしい、という合図 (例:ドラえもん人形を高く掲げる)を送るという取り決めをしておく、会議などの場合は会場と席の下見と話者への事前自己紹介(メールでOK)、町中の銀行、郵便局、病院でなら職員に同じことをあらかじめ説明、などなど。。。

巷で見知らぬ人から声をかけられた場合はこのような対応は難しいが、その人と是非話をしたければ、やはり同じように事前説明する。あまり重要でない人(会話)なら来たるべきアドボカシーのストレスを避けるため「すみません難聴なのでよく分かりません、ごめんなさい!」といって逃げ去る。少なくとも変人とか狂人とは思われない。

会話(話者)の重要度によってアドボカシー能力を使い分ける(蓄える)のもストレス管理(息抜き)の立派な方法だと思います。私たち難聴者もただの人 間。いつでも完璧にアドボカシー能力を発揮きるわけじゃないですから。