難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

聴覚リハ カウンセリングの出来るオージオロジスト

2008年08月04日 21時15分03秒 | 補聴器

banana.jpg「カウンセリングの出来るオージオロジストですね。」と聞いたところ、次のような返事があった。


ラビット 記
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ううん、やはりカウンセリングはカウンセリングの専門の勉強をちゃんとやった人がやるべきなのですが、オージオロジストがこれまで「2時間待ちの10分診療」で有名な医者と同じ医療従事者という見方をされていたのに対して、これからは時間をかけて難聴者の気持ちや意見を聞くカウンセラーのように、クライアント本位のサービスを提供する専門職になってもらうため、「聴く」訓練を受ける必要があるという意味であって、カウンセリングができるとかカウンセラーの肩代わりという意味ではないです。

だからカウンセリングのできるオージオロジストというより、聴覚リハビリテーションを成功させるためにカウンセリング知識のあるオージオロジストが必要という意味です。

写真はばななの花。





聴覚リハビリテーション補足

2008年08月04日 20時15分13秒 | 補聴器

banana.jpgハワイの風さんから補足説明が来た。

送ってもらったの写真はバナナの花。


ラビット 記
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私費でARを受けることを推進しているわけではありません。医療保険対象外のARが保険対象になるまでには数年以上要します(というか、まったくならない可能性もあります)。
その間、何もしないで待つのではなく、私費でも効果のあることはできる人はして、同時に、保険適用医療行為にするための運動も並行してやるのがいいのです。

アメリカでは一般的なカウンセリングはほぼ定着していますから、難聴者も何か問題があれば一般的なカウンセリングに行くことはできます。
が、聴覚専門のカウンセラーはまずいません。聴覚専門のカウンセラーを育てる努力をしながら、数としてもすでに断然多いオージオロジストにもカウンセリングの素養を身につけてもらうことで、カウンセラー的なオージオロジストを増やすことはできる。

私が原稿で書いたことはクライアントへの歩み寄りの施策のことです。すべての医療従事者がカウンセリングの基本から学ぶことは多いですから。

聴力検査は医療行為で保険が適用されます。その検査を行うのはほとんど場合アメリカではオージオロジストで、場所も病院ではなくて一般の聴覚センターや地域クリニックのことが多い。
主治医にまず照会してもらわなければなりませんが、まず問題ありません。

聴力検査後、補聴器のフィッティングのために同じオージオロジストのクリニックへ行くわけで、満足いくフィッティングをしてもらうまでは何度でもそこへ通います。いやなら別のオージオロジストに変えることもできる。
気に入った人ならば親身に生活上の悩みなどを聞いてもらうことは十分ありえます。
私がサンフランシスコで見てもらったオージオロジストは二人とも辛抱強く、注文の多い難聴者(つまり私)にきちんと対応できるすばらしい人たちでした。カウンセラーとしての素養も持っていたと思います。ただ、

一般的にオージオロジストがみなそうなわけではありません。現状はオージオロジーサービスに不満な難聴者が多いから、カウンセリングの資質を育てるためのオージオロジー博士課程ができた、ということになったのではないかと思います。

だとすればそれは難聴者アドボカシーの結果で、好ましいことです。そして、博士号を持つオージオロジストに見てもらえばARを保険適用にできるようにしよう、といったことも当然目論見のひとつにしているわけです。

ラビットさんと一緒にいったバンクーバーのWIDHHのようなところが増えれば、実はもっといいですね。オージオロジストにカウンセラー的なことをさせなくても、聴覚問題専門のカウンセラーがいますから、補聴器のフィッティング以外のことはこの人に話せばいいのです。

日本ではあまりに分業化しすぎるのはどうか、という声も出そうですが、アメリカでも有資格カウンセラーはカウンセリングはちゃんと医療行為で保険請求できますから。
ただ北米でも、ああいった総合的な聴覚センターが十分にあるわけではないので、オージオロジストにもカウンセリングの資質があれば、ないよりまし、当座はこれで補える、ということなわけです。

いずれにしてもカウンセラーの肩代わりをさせる、というのではなく、すべての医療従事者に必要な「患者の(クライアント}の気持ちや状況を理解できる」技術を身につけさせようという、医療の消費サービス化という潮流で考えるのがよいと思います。