摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

ジャズをライブで楽しみました!

2018年07月27日 | 日記

「聴いて学ぶジャズの歴史」と銘打ったジャズの生演奏と講演会が地元・吹田市の吹六公民館でありました。地域の公民館と人権啓発協議会の主催。酷暑の中をたくさんの人びとがライブに来てくれくださいました。不肖私も舞台裏の一員としてコンサートが実現できたことを喜んでいます。
見出し写真はこの日の主役、東かおるトリオの代表東かおるさんがピアニスト西山瞳さんと出された新しいCD。
つまり、東かおるトリオは現役バリバリのジャズミュージシャン3人組。

コンサートは こんな雰囲気で行われました。天井のスポットライトが思った以上に良い効果をあげています。後ろのスクリーンに映るパワーポイントはジャスの歴史に関するレクチャーの折々に効果的でした。

 
ニューオリンズ発祥のジャズの本場はやがてシカゴへ 右下の写真のように➡ 舞台裏の一員としては(これでも技術係をおおせつかんたんだよね…)プロジェクターにパソコンの画面が映るように設定するのに結構苦労しましたが、この経験が次の企画のときに生きてくるはずだと胸中ひそかに自信を持ちました  ➡ プロジェクターの画面によると➡ ジャズの本場はシカゴから次第に人々の活気あふれるニューヨークへと移っていきます。「A列車で行こう」この曲はたびたび耳にしていたけれど A列車とはハーレムに向かうニューヨーク地下鉄の快速列車のことだったと知ってなんだか嬉しくなりました。
「A列車で行こう」演奏中の東かおるトリオ 左からパーカッション・市橋隆さん ボーカル・東かおるさん ギター・ジェッシーフォレストさん

  


Root66を熱唱する東かおるさん ドライブ中に曲想が浮かんできたといわれるこの曲は自動車の時代にピッタリの曲ですね。はるか昔の若い頃マイカー、ドライブ、カーステレオ、英語の唄、ジャズとくれば胸ときめくあこがれの世界だったんですよ。

 

ジャズはやっぱりライブがええなあ。
左から数多くの楽器と音響装置 ➡ 女性ボーカルにうっとりしました ➡ 大学の講義にすれば2年分以上の中身を2時間以内に凝縮してレクチャーしてくださった市橋隆さん ➡ ありがとうございました

  

今のところ、この日の音声(ジャズ)が入っていません。不肖技術係の私は入院が長かったものでこうした点でも忘れたり、退化しています。近日中に音声を入れるべく学習しますので…乞う、ご期待。





梅雨入り前のリハビリ歩き -今年大阪は6月7日に梅雨入りしたらしい-

2018年06月07日 | 日記

(歩数計)
私のスマホにインストールした歩数計は見出し画面の通り。こんふうな画面。スマホのスクリーンショット機能を使って撮った画面をグーグルフォトにアップロードして➡ ブログに取り込んだ。もっと簡単なやり方もあるのかもしれないけどね。このところの目標は1日5000歩。骨折後の足首がまだ痛んでいて、時速3km少々のスピードしか出ないので、元気な人のように、1日10000歩も歩くのはまだまだ遥かに遠い到達目標。当分は無理をしないつもり。
さてインストールした歩数計アプリによると、下の図のように、私は1月30日の翌日からほとんど歩けていない。それもそのはずこの日の夜、踵骨骨折の大ケガをして、4月半ばまで松葉杖や車イスなしにはトイレに行くことさえできない生活をしていたんだから。2月13日に手術をして➡ 2月20日ごろのミリ単位みたいに少ない動きは松葉杖による移動。ベッドからトイレまで25歩とか、大汗かきながら売店まで行って往復100歩とか…ささやかな距離を
「自力で移動できたっ」と喜んでいたよ。

 
(小さな目標をスモールステップで)
3月21日から患側足に1/3荷重OKとなり、4月16日頃から片松葉で用心しながらそろそろと歩けるようになった。片松葉で移動できるということは片手に何かを持ちながらでも歩けるということで嬉しかったな。行動の自由度がうんと広がった解放感があった。
今から思えば、全荷重OKになってからも、おそるおそる恐々(こわごわ)足の痛みにビクつきながら、少しの斜面にも用心しながら、松葉杖を頼りに歩いていた。4月末までは、緊張していないと家の中でも、しょっちゅう何かに引っ掛かかり、その度にあおむけに転倒したり前のめりに転倒したりと、忙しいことだった。転倒すると、その後の打撲傷の痛みからまた余分なところを骨折したのでは…などと、不必要な心配をするから余計なストレスが増えて、精神衛生上、誠(まこと)によろしくなかった。
家の中でも体が不安定だから、戸外に出るのは大冒険。先ず杖をしっかり持って近くの公園に行った。次に郵便ポストへ。その次にコンビニへ。いずれは商店街に行くぞ…と。徐々にじょじょに、小さなステップを上がっていった。
少しづつ歩けるようになったことが嬉しくて、その頃は「目標1日5000歩」なんて意気込んでいた。このころは歩く以外はほとんど家事も何にもしていないね。5000歩も歩いた日はへとへとになって何にも出来なかったもんね。


 

5月下旬にもなると杖を突きながらでも、公園以外のところに行けるようになった。駅やスーパーにも行けるようになった。善光寺さんにお礼参りに行ったのは5月25日。
【おかげさまで歩けるようになりつつあります。合掌】
下図のように歩数計で見る限りは、大ケガする以前と同じ歩数を歩いている


とはいえ、さすがにただただ歩くだけのリハビリには飽いてきた。
空はこんなに美しい時もあるのに、ズキズキする足を引きずりながらひょこひょこ歩くのって、もううんざりええかげんに気が滅入るよね。


(楽しみながら歩く)
歩くことの中にも楽しみを見出せないと、次第次第に歩かなくなるんだよね。
まずは左から、電車に乗って西梅田の珈琲院へ、桜橋渡辺病院の隣にあってむかーし人間ドックの検査の後でホッと一息入れた珈琲が美味しかったので、行ってみたかったところなんだよね。その隣は近くの公園の花壇。ノースポールとゴデチア(イロマツヨイグサとも言うらしい)が植えられていた。その右は河川敷に咲くポピー。
   

うろうろ歩きながら花や草木の名前を覚えていくのは本当に楽しい。人間も同じで知らん人に会うよりも名前を知っている人と会うほうが安心やし面白いのと違うかな。
そんなわけで花壇にノースポールと一緒に植えられていた華やかな赤い色の花の名前が知りたくて、公園の世話をしている方に教えてもらった。ゴデチア(またはゴデチャ=)と、名前は教えてもらったけどすぐには覚えられずに何度も尋ねて、メモをしてやっと覚えた。それまでは、金魚草かな?カーネーションの新種かな?といろいろ調べたんだけどまるで判らなかった。何の見当もつかなかったから…思い切って尋ねて本当に良かった。理解と記憶の悪い爺さん相手に繰り返し親切に教えてくださったお姉さんへ、
【ありがとうございました!】<m(__)m>
(花などの名前を知ることも楽しみの一つ)
 


念のために家に帰ってからネットで調べたら、新・花と緑の詳しい図鑑というサイトにゴデチャーは別名イロマツヨイ、北アメリカ原産のアカバナ科とあってひと安心。何しろウイキペディアにも載っていなかったんだもんね。
さらに誕生花の辞典というサイトにはこの花にピッタリの情報があった。
ゴデチャーことイロマツヨイグサは6月4日の誕生花でカリフォルニアでは【フェアウエル・ツー・スプリング】「春よさらば」または「夏への扉」と呼ばれるらしいと…花の時期といい葉の豪華さといいカリフォルニアの人は何とピッタリの名前を付けたもんやなあ。名前がひとつ判ると次々と楽しい気分になるよね。
ことのついでに、前回名前が判らなかった花の名前を挙げると…これこの下の写真を見ておくれ
善光寺さんの境内の親鸞聖人の像のそばに美しくかつひっそりと咲いていた上品でありながら…とても丈夫な低木なんだけど…残念なことに名前が判らなかった
実は…我が家にある「樹木図鑑」日本文芸社刊で調べたところ花の様子からすると…どうもタニウツギの仲間らしい(葉っぱとかは違うし、花の様子も微妙に違うけど…)と気付いて 新・花と緑の詳しい図鑑にあたってみたんだよね。するとタニウツギの仲間という項目に花も葉も耐寒性などの性質もピッタリのオオベニウツギというのがあったビンゴ
これは多分…オオベニウツギやと思うで。ウィキペディアによるとタニウツギは日本海側の雪や雪崩の多そうなところを好んで生きているらしいね

 

 もたもたブログしているうちに6月6日大阪もついに梅雨入りしてしまった。
【雨の中傘と杖を持ってウオーキングするのは難儀やな】
ジムやプールに通うほどリッチでもないし。
雨の日に…図書館の中や寂れかけのアーケード商店街でよたよた歩いている爺さんを見かけたら…それが私やで。
ランやバラのことは知らないけれど野草のことなら少しだけ知っているで。


善光寺にお礼参り➡何とか歩けるようになりました

2018年05月25日 | 日記

【骨折その後・経過】
せっせと小魚を食べたり牛乳を飲んだりしたおかげかもしれませんが( ^^) _~~折れた足の骨も次第にくっつき始め3月のお彼岸を過ぎて 4月も終わりに近づくと…少しづつ松葉杖から離れることができて…嬉しかったなあ
お医者様の診断はこうだった。3月23日左足荷重1/3 4月9日左足荷重2/3 4月18日左足荷重全荷重OK。
4月18日からケガした方の左足に全荷重OKとはなったものの➡ 恐るおそる恐々(こわごわ)で松葉杖を突きながら(両松葉で)それまで宙に浮かせていた足を地上にそろーっと降ろし ➡極度の緊張をしながら歩いていたもんやったな
その頃は…杖なしで歩けていたのは病院の屋上庭園のような安全が確保されたところでだけで、「さあトレーニングやあ!」とばかりに大いに気張って200%の緊張状態やったな!一周160歩のところをフーフー言いながら今日は2周➡ 明日は3周と少しずつ目標を上げていったもんや。いつのまにか次第次第に歩幅も広がり…➡ 目を吊り上げて、大汗かいて頑張らなくとも、片方の松葉杖だけで…不安なく歩けるようになると➡ 嬉しくて嬉しくて家の近くの公園までえっちらおっちら歩いて行ったもんやった。

【転倒したよ・怖かった】
…とはいうものの、このころは(4月半ばからGWのころまで)家の中ではしばしば松葉杖ごと転倒した。よろよろしながら、(最終的には松葉杖を頼って)立ったり歩いたりしているから、インターホンや電話が鳴ったりして慌てると➡杖や足もとがちょっと何かに引っ掛かっただけでもドッシーンとコケていたんや…5月の大型連休のころまでそんな状態が続いていたから 街に出るのは怖かったな。
【いつのまにか、歩き回れるように】
気持ちの上でも浮いたり沈んだり・行きつ戻りつしながらGWも終わってみると やがて階段や大きな段差の登り降り以外は松葉杖からも離れ、次第に自信がついてきて…5月後半に入ると…公園以外のところも自信を持って歩けるようになってきた。それもこれも、家族や医療スタッフや皆さんのおかげと感謝…
松葉杖からはなれたとはいうものの…外出時などはまだ手に杖を持っているねんけどな…
【お礼参りや】
何とか歩けるようになった喜びと感謝の気持ちを表現したくて、善行寺さんにお礼参りに行ってきた。
泊めてもらったのは善光寺の宿坊。見出し写真のようにユースホステルになっていた。
教授院という名の宿坊は、あるじが丁寧に育てたバラなど美しい花が咲き、うるおい館という湯量豊富・泉質最高な近場の天然温泉に行けたり、住職のご案内でお朝事に連れて行ってもらったりして、経済的にも精神的にもたいへんお得な宿(やど)でしたな。感謝!合掌!
その住職のお話では善光寺の建築のありようは神社の屋根などと様子がよく似ているということで…言われるまで気がつかなかったけれど…確かにそうやった。

神仏習合の走りのような民間信仰(『何やらありがたい神様が異国から来られて霊験あらたか』と思われていたふしがある…)の上に善光寺があったのかもね。明治期の廃仏毀釈や神がかり的な国家神道に違和感を感じる私にとっては ただそれだけでも、善光寺さんに有難さを感じてしまうんだよね。合掌
写真は左からバラ→ 教授院→ 善光寺仁王門→ 善光寺本堂→ 特急信濃
     

 

ワードとFotor無料オンライン版を組み合わせて上の写真を合成しましたが出来はイマイチです。次はもう少し上手くつくるからね こうご期待?

長野駅で見た北陸新幹線はくたか。上の写真の北陸新幹線もワードと写真の組み合わせ。その左は車窓から見る田植え前後の初夏の水田。新幹線やったら振り子式電車みたいに揺れないけれど、こんな美しい田園風景をゆっくり見ることも難しいやろうな。

  

善光寺境内の仏足石 しっかり撫でて足の快癒を祈りました…合掌


同じく善光寺境内にあった親鸞聖人像 
四天王寺さんと同じで民衆に愛される懐の深いお寺には何故か親鸞聖人像がいらっしゃるんだよねと…勝手に納得していました

 

親鸞聖人像の足もとにあった満開のつつじ
 

その近くでみたこれまた美しい花。なんて名前か知らないんだけどね。




高村光雲作の仁王像 あ 口が開いてるで

 

同じく光雲の仁王像 ん 口が閉じているで 阿吽(あうん)の呼吸っていうよね。最初の呼吸あ から最後の呼吸ん までピッタリ息の合ってることを言うらしいで



【またおいでよね】と『牛にひかれて善光寺参り』の手ぬぐいが呼んでいます
今後もリハビリに猛訓練で励み 今のようなヨチヨチ歩きから抜け出して 次回は9月末ごろにかっこよく歩けるようになって そのお礼参りに来るで
その時にまた骨折後の足の経過報告もしますよね

 


骨折以来長いー入院生活でした

2018年05月10日 | 日記

踵骨骨折って治癒するまで長くかかるんですよね。踵(かかと)の骨だから…本来全体重がかかるはずの骨が壊れたために、自分の足で歩けない・立てない状態が月単位で続いたんですよ。
1月30日の夜、(@@)思いもよらぬことから大ケガをして以来、もう3か月と10日経ちました。
やりたいことはいっぱいあったんですが…なにしろ起き上がることさえ出来なかったんだから 
見出し写真は病院の窓から見える小学校のグランド。元気な子どもの姿が見えたら気持ちだけ元気になったね。
こうなったら仕方がないと覚悟。我慢ガマン辛抱シンボウと思い定め…ひたすら治療とリハビリのために注意力と体力を使ってきました。しかしなにしろ70歳の老人ですから回復が遅いんですよね。回復のテンポのあまりのスローテンポさに時には絶望的な気分になったりしましたよ。
それでも一日いちにちじわじわと回復し、ようやくヨチヨチ歩きが出来そうになりつつあります。この間、再び思わぬことに…予定外の再入院があったりして、晴れて病院の外に出ることができたのは何と4月25日だったんですよ(>_<)
今日は中間総括として、第1回目の退院前のころ目にしたものをアップするよね。
第1回目の退院は3月12日(月)のことでした。まだまだ折れたほうの左足には荷重をかけてはイケナイ状態でしたから、一日の大半はベッドの上で足を上にあげてじっとしていました。目にするものは病室のカーテンと狭い青空だけやったな。こんな空でも空が見えるゆうだけでよろこんでたんや…

 
移動の手段は松葉杖か車椅子。このころは回復期であるというわけで➡松葉づえで25歩離れたトイレに行ったり…4階の病室から地下1階の売店に行って新聞を買ったりするのが気晴らしでしたね。
ある日、同室の骨折患者仲間から『屋上に行ったらええ眺めやで!(^^)』と教えられて、えっちらおっちら松葉杖突きながら行ってみたらこんな良い眺めが広がっていました。
生駒山を背景にしたメロード吹田のビル【病院の東南】



はるかに望む大阪市梅田付近の高層ビル【病院の南】 西の空に沈む日【病院の西】
    

六甲山系と手前のマンション群【病院の西】


屋上にはちょっとした植栽があり左から満天星(どうだん)つつじ、葉牡丹、パンジーやビオラ、ガーデンシクラメンなどが目を楽しませてくれました。
まだまだっ赤に腫れている私の左足  アイスノンで冷やして高く上げていました。たまに松葉杖ついてフーフー言いながら、1階の自動販売機の曳(ひ)き立て珈琲を飲みに行くのが…この頃の大冒険旅行でした。それにしても、自分の足で早く歩けるようになりたいと…このころは毎日のように思っていたな…
    


雪道で骨折→入院中でーす(@@)

2018年02月20日 | 日記
1月30日。あちこちに雪が残っている湖西路。暗がりで1. 7m 下の用水路に落っこちました!その一瞬、何が起きたのか?腑に落ちなかったんだけど……
「アチャーこれはいけません!とにもかくにも、地上に出なくっちゃ」
焦りに焦りましたが、その時折れた左足首は体重を支えられず、右足と腕力だけでは這い上がることができず……「南無阿弥陀仏。明日の朝までには凍死体または意識不明者になるかも。もはやこれまでか」と、諦めかけたとき閃(ひらめ)いたんです(^_^)v
【そうや!スマホがあったんや!これで助けを呼ぼう。助かるかもしれん。こうゆうときのための119やっ!】
10分後、サイレンの音がして屈強な救急隊員によって病院に運ばれました。
写真は湖西線のホーム。この日のお昼ごろ。日なたでも雪がどっさり残っていました。この頃は寒くて、よく雪が降りましたね。

包帯でグルグル巻きになった左足。
命拾いして良かった✌良かった✌

2月13日(火)骨折した左足首の腫れが引くのを待って手術していただきました。
2月19日(月)
術後1週間→ この日からトイレは松葉杖で行きます。消灯後は用心のため車椅子で。
車椅子と松葉杖とが日々生きて行くために極めて重要なツールになっています。


教訓→ 1. 高齢者は雪の夜道を歩かない 2.万一の場合に備えてスマホ(または携帯電話)を肌身離さず持っておく
3.多少のオカネも(持てるときには)持っておく。 4. 人里近くでも遭難することがあるので用心する
高い授業料を払って学びました(@@)
このブログは入院中のためスマホで投稿しました✌