摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

真夏の高野山散歩

2019年08月20日 | 関西の四季

猛暑日が続く大阪を逃れ8月1日の第一木曜日は高野山へ。ケーブルカーを降りたとたんに感じた第一印象は…【風が涼しい…来た甲斐があった】と、いうことだった。

高野山町の真昼の気温は28℃だった。2~3時間もするとやっぱり夏はどこへ行っても暑いなあと、ぐちったりして、慣れいうものは恐ろしい。人間の欲望にはきりがない。まだまだ修行が足りない。
見出し写真は高野山特別母樹林のスギ。
今回は①イラストマップの右側の奥の院エリア中心に観察・散策した。②一の橋を渡れば奥の院。高野山に来たという感じ。徳川家だとか織田家・豊臣家などの墓所もあった。③猪目(いのめ)ハートマークをいれた立派な囲いのある昔の偉いさん(徳川家の何代目かあるじ?)の墓所
   
  ①        ②         ③

特別母樹林のプレート。植林する際の素になる種子や挿穂 (さしほ) ,接 穂 (つぎほ) をとるために設定した樹林だということで、血統を守るための杉の本家筋の木だぞ…ということか。

一代目が伐採された切り株跡から復活した二代目の杉と三代目のスギ。
見事な生命力に思わず脱帽。


高野山の木といえば高野マキ。お大師様は華美を避け、墓参りには花ではなく高野槇を備えなさいとおっしゃったとか。なるほど…萎れてしまった花よりも高野槇の方がいつまでも艶々と美しくていいね。

悠仁親王のおしるしに使われたのが高野槇(こうやまき)。皇族のおしるしには植物が良く使われているらしくて…そのことに限れば好ましいこと。槍や鉄砲や、ましてや「天下布武」なんて言われだしたら民草は困るもんね。
こんな墓もあった。いずれは大河ドラマの主人公になるという噂の明智光秀。
光秀は最後に落ち武者狩りの農民に槍で脇腹を刺されて亡くなったとかで【ここからは伝説かも】墓をいくら修復しても 墓のお腹のところに槍で刺されたような傷ができるそうだ。②の写真をクリックしたら傷が見える【こんなどこまで本当か?何か不思議な興味をそそる話を昔から高野聖はしてきて高野山の経営を助けてきたのだろう】
 
 ①     ②
ウバユリの生涯 葉が若く花がまだのとき(少年少女時代)

 

花のつぼみが出来た(思春期かな)



ウバユリも咲き誇り今が盛りの青春時代・絶頂期





絶頂期を迎える寸前すでに歯は(葉だったか)ボロボロになっている(ウバユリと言われてもしかたないね)
  

あわれ花もボロボロになってきた・高齢者の仲間入りだ

諸行無常のこの世の中で救いを求めて僧俗は一生懸命に修行をする。寒行で有名な水行場。
私の場合は寒中だったら膝まで水につかっただけで凍ってしまいそう。
摩訶般若波羅蜜多心経


次号ではこのとき学習した山野草などのことを復習することにする