摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

中書島って島やったんや

2015年09月07日 | 日帰り小旅行

9月の第一木曜日は京都市伏見区↠寺田屋界隈と秀吉ゆかりの伏見港址、三栖の閘門(みすのこうもん)から宇治川沿いに観月橋(かんげつきょう)までウォーキングしました。 

 

 

 

 

 











 

 

 

 

 

 

 



長建寺のぼたん桜

 長建寺境内に沸く伏見の湧き水。伏見は元は伏し水と書いたとか…

 

 京の桜博士↠佐野藤右衛門の名がここにあります。

 

 長建寺のいわれが

 

 

 
 

 

 

 

  

 

 

 

寺田屋騒動は島津 久光の命により、薩摩の尊王攘夷派が襲撃された事件だと思います。

これにより龍馬も危うく遭難しかけましたが、かろうじて難を逃れました。 

 

 寺田屋騒動など幕末期の騒乱の跡を残す弾痕
別の所には刀傷もありました
 
↑ 
 世の人は われを何とも言はゞいへ
わがなすことは
我のみぞしる
   龍馬

 伏見港の賑わいの只中にあった寺田屋

 

 しばしば寺田屋に宿をとった坂本龍馬

 

龍馬のうそぶいたことば… らしいです

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 花ではよくわからないが…葉をみるとアサガオだってわかりそうです 


 

 ナツズイセン

 

 マメアサガオの花と葉

 

 マメアサガオの葉

 

 

 

 

 

 

 

 

河川の管理区分

 宇治川派流を行く十石舟。桜の花見どきは大いに賑わうそうで…

 

 三栖の閘門(みすのこうもん)  パナマ運河のような仕掛けです。近代になって宇治川浚渫の結果、宇治川派流と宇治川の水位に差が生じたために作られました。 

 

 伏見港付近の水路
むむっ、おけいはんの中書島は島やったんや
 

中書島は宇治川と秀吉が拓いた宇治川派流などに囲まれた地域でその名の通り島になっていました。
 
↓これは(下の図)同じくグーグルの地図で見た宇治川派流の元の流れ。秀吉の建てた伏見城は桃山御陵のあたりだったらしい…
  
伏見出会橋は宇治川派流と濠川(ほりかわ)が合流する所に架かっています。
近くに角倉了以(すみくらのりょうい)が京都の水利に果たした功績を称えた碑があります。
伏見と京を結ぶ高瀬川を拓き大いに京の物流を活性化しました。

 

 ↓ 今、いちど中書島の地図をご覧あれ 

 

 

  ↑今、いちど中書島の地図をご覧あれ

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

   

アブラススキが宇治川の
土手にたくさんありました 




ムラサキカタバミ


マツヨイグサはパイオニア植物で荒地を好んで繁殖する傾向がありますね。

 宇治川の堤で、一木会のメンバーが発見したワルナスビの花

 

 宇治川沿いのエンジュの木。高貴な木として尊ばれたということがそれとなく判るたたずまいでした。

 

マツヨイグサは月見草とも言うよね。

 

 

 

 





 

 

 

 

 


 

 

 

 

 観月橋に至る標識

 

 三十石舟。かつては伏見港↠淀川の水運の主役

 

 舟板と舟板を繋ぐのは木の釘

 今回は、伏見に着いたときカメラが故障してしまい、雨だったためにタブレットも持っていなかったため、ここに載せることができた写真はすべてガラケー(旧式携帯電話)で撮ったものです。ガラケーのカメラも結構な性能があるんやね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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