家へ戻り湖を見ながらビールで乾杯。
「いやあ、今日は良かったです。ありがとうございました」
「いやいや、楽しかっただろう。密度の濃い時間というのかな、あんなのをな」
「そうですね。濃かったです」
「例えばだな、ダラダラテレビを見ていても半日、あーやって遊ぶのも半日。同じ半日でも明らかに違うよね」
「そうですね。今日は何か、子供の頃に帰ってお兄ちゃんと遊んでいる。『あっちの方にもっと面白い所があるから行ってみようぜ』って冒険しているような、そんな感じでした」
「よかよか」
「ああー、なんかこの国に住むのが分かるなあ」
「そうだろう。どうだ?住みたくなっただろう?」
「なりました」
「だけど今はその時じゃあないよな。オマエには世界一周という大きな目標があるんだから。オマエがやることは、あちこち旅をして自分の目で世界を見ることだ。それで一段落したらここに戻ってくればいい。ここの自然は待ってくれるよ」
「そうですね。いやあ、それにしても今日は良かったあ」
「よかよか」
僕は自転車で旅する人が好きだ。
自分が車を運転している時でも、荷物をたくさん持ったチャリンコ野郎とすれ違う時には手を振ってあげる。ただ単に自転車に乗る人には手を振らない。
以前、自分がされてうれしかった事を今、人にしている。
たとえむこうは手を振り返す余裕がなくてもうれしいものだという。
ぼくはこういう人達を見ると、すぐに家に呼んで「おつかれおつかれ、まあビールでもどうぞ」と言いたくなってしまう。
そしてそのままウマイ物も食わせたくなってしまう。
彼らで受け身の人はいない。
全て自分で調べ、自分で計画を立て、自分で一歩進んでやっている。
ペダルを漕がなくては、自転車は進まない。
時速100キロで車がビュンビュン通る所を行くのだから事故の危険だって当然ある。
数年前には自転車で旅行中の人が車に巻き込まれて死んだ。
走っている車からビールびんを投げられて、それが膝に当たり大ケガをした人もいた。
当然どろぼうだっている。
安全は人が与えてくれるものではなく、自分の責任で守るものだ。
これが本当の意味の自己責任である。
そこには言い訳がない。こういう人達と話をしていると楽だ。
これは自転車に限らず、全てのアウトドアスポーツにも共通するし、見方を広くすれば人生にも繋がることである。
そんな旅人をもてなしたくなる自分が好きでもある。
続
「いやあ、今日は良かったです。ありがとうございました」
「いやいや、楽しかっただろう。密度の濃い時間というのかな、あんなのをな」
「そうですね。濃かったです」
「例えばだな、ダラダラテレビを見ていても半日、あーやって遊ぶのも半日。同じ半日でも明らかに違うよね」
「そうですね。今日は何か、子供の頃に帰ってお兄ちゃんと遊んでいる。『あっちの方にもっと面白い所があるから行ってみようぜ』って冒険しているような、そんな感じでした」
「よかよか」
「ああー、なんかこの国に住むのが分かるなあ」
「そうだろう。どうだ?住みたくなっただろう?」
「なりました」
「だけど今はその時じゃあないよな。オマエには世界一周という大きな目標があるんだから。オマエがやることは、あちこち旅をして自分の目で世界を見ることだ。それで一段落したらここに戻ってくればいい。ここの自然は待ってくれるよ」
「そうですね。いやあ、それにしても今日は良かったあ」
「よかよか」
僕は自転車で旅する人が好きだ。
自分が車を運転している時でも、荷物をたくさん持ったチャリンコ野郎とすれ違う時には手を振ってあげる。ただ単に自転車に乗る人には手を振らない。
以前、自分がされてうれしかった事を今、人にしている。
たとえむこうは手を振り返す余裕がなくてもうれしいものだという。
ぼくはこういう人達を見ると、すぐに家に呼んで「おつかれおつかれ、まあビールでもどうぞ」と言いたくなってしまう。
そしてそのままウマイ物も食わせたくなってしまう。
彼らで受け身の人はいない。
全て自分で調べ、自分で計画を立て、自分で一歩進んでやっている。
ペダルを漕がなくては、自転車は進まない。
時速100キロで車がビュンビュン通る所を行くのだから事故の危険だって当然ある。
数年前には自転車で旅行中の人が車に巻き込まれて死んだ。
走っている車からビールびんを投げられて、それが膝に当たり大ケガをした人もいた。
当然どろぼうだっている。
安全は人が与えてくれるものではなく、自分の責任で守るものだ。
これが本当の意味の自己責任である。
そこには言い訳がない。こういう人達と話をしていると楽だ。
これは自転車に限らず、全てのアウトドアスポーツにも共通するし、見方を広くすれば人生にも繋がることである。
そんな旅人をもてなしたくなる自分が好きでもある。
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