やっとホームページの2010シーズン始まりを更新した。
以下、コピーする。
ニュージーランドの動植物は原生と外来、この2つに区分される。
原生とは元々この国にある物、外来は他所から来た物で主に人間が持ち込んだ物だ。
原生の植物、特に木は生長が遅い。人間が移植しようとしてもなかなか難しい。
それに対して外来の植物は生長が早く、雑草などはあっというまに広がってしまう。
クライストチャーチのハグレー公園には見上げるような大木がたくさんあるが、どれも白人が持ち込んだ物で樹齢は200年ぐらいだ。
原生の木があれだけの大きさになるのには600年以上かかるであろう。それぐらい原生の木の生長は遅い。
外来の植物がよく育つのは理由がある。
それはこの国、この土地の持っているエネルギーが高いのだ。
だから外来の松や杉の木は元々あった場所よりも早く大きく育つ。エニシダはあっという間に山々を覆い尽くす。
僕らが普段食べている野菜も、外来の植物である。この国の野菜がどれも美味しいというのはそこに理由がある。
エネルギーを感じているのは植物だけではない。動物だってそうだ。
ある馬の調教師が言っていた。
「日本では馬は荒っぽくて人を噛んだり、けっ飛ばそうとしたりするんです。ニュージーランドでは人が両手に手綱を持って2頭の馬を引っ張っていくのが当たり前なんですけど、こんなの日本では考えられない。ここでは馬本来の穏やかな性格が現れるんですねえ」
これは馬だってこの国のエネルギーの高さを感じるからなのだろう。
羊だって牛だって豚だって鶏だってそうだ。可哀想な話だがお肉が美味いというのもそこに理由がある。
だからウサギやポッサムやイタチはとんでもなく増えてしまい、害獣として扱われる。道路に出てきてたら問答無用でひき殺される。
国立公園にはワナがしかけられ害獣の数を減らすよう人々は努力している。
そうでもしなければ原生の鳥をはじめとするこの国の自然が枯れてしまう。
それぐらいにこの国の自然はナイーブなのだ。
ボク自身、外来の動物であるので、この国のエネルギーの高さは良く分かる。
20年前、まだ日本とニュージーランドを行き来していた頃、飛行機がニュージーランドに着陸するとホッとした感覚。
あれがこの地のエネルギーを感じ取っていたんだろうな、と今になって思う。
さらにこの国の中でもエネルギーの高い所とそうでない所がある。
とりわけエネルギーの高い所とは原生林や山々や海、あまり人の手が入っていない所で、ほとんどは国立公園だ。
自然のエネルギーといってもいろいろあり、アオラキ・マウントクックで感じるエネルギーとルートバーンの森で感じるエネルギーとは異質のものだ。
アオラキ・マウントクックでは『絶対なる存在感、とにかくでっかくてそこに在るもの』という印象を受けるし、ルートバーンの森では『無数の命』を感じる。
同じように海、湖、川、氷河、雪山、岩、草原、など全て違うエネルギーに満ちあふれている。
キャッスルヒルのように、その場所だけエネルギーの高い場所はパワースポットと呼ばれ、マオリの聖地でもある。
これら全てをひっくるめたものが母なる大地のエネルギーなのだ。
クラブフィールドへ行くには、そういった自然の中を通っていく。
ブロークンリバーやクレーギーバーン、チーズマンはブナの原生林を抜けた所にある。
オリンパスに行く途中には森はないが、高山植物帯を抜けていく。
ブロークンリバーとオリンパスで感じる雰囲気の違いもその辺りにありそうだ。
そういった人の手があまりはいっていない自然(全くの手つかずではない)の中で、ひっそりと人々が造り上げたクラブフィールド。
人間が住む空間にもエネルギーは存在する。
自然のエネルギーの中で、調和がとれた人間界のエネルギーの場。
自然を敬い、恐れ、愛しむ。
傲慢にならず、自分達も自然界の一部として全てを受け入れる。
そんなクラブフィールドへ僕は行き続ける。
以下、コピーする。
ニュージーランドの動植物は原生と外来、この2つに区分される。
原生とは元々この国にある物、外来は他所から来た物で主に人間が持ち込んだ物だ。
原生の植物、特に木は生長が遅い。人間が移植しようとしてもなかなか難しい。
それに対して外来の植物は生長が早く、雑草などはあっというまに広がってしまう。
クライストチャーチのハグレー公園には見上げるような大木がたくさんあるが、どれも白人が持ち込んだ物で樹齢は200年ぐらいだ。
原生の木があれだけの大きさになるのには600年以上かかるであろう。それぐらい原生の木の生長は遅い。
外来の植物がよく育つのは理由がある。
それはこの国、この土地の持っているエネルギーが高いのだ。
だから外来の松や杉の木は元々あった場所よりも早く大きく育つ。エニシダはあっという間に山々を覆い尽くす。
僕らが普段食べている野菜も、外来の植物である。この国の野菜がどれも美味しいというのはそこに理由がある。
エネルギーを感じているのは植物だけではない。動物だってそうだ。
ある馬の調教師が言っていた。
「日本では馬は荒っぽくて人を噛んだり、けっ飛ばそうとしたりするんです。ニュージーランドでは人が両手に手綱を持って2頭の馬を引っ張っていくのが当たり前なんですけど、こんなの日本では考えられない。ここでは馬本来の穏やかな性格が現れるんですねえ」
これは馬だってこの国のエネルギーの高さを感じるからなのだろう。
羊だって牛だって豚だって鶏だってそうだ。可哀想な話だがお肉が美味いというのもそこに理由がある。
だからウサギやポッサムやイタチはとんでもなく増えてしまい、害獣として扱われる。道路に出てきてたら問答無用でひき殺される。
国立公園にはワナがしかけられ害獣の数を減らすよう人々は努力している。
そうでもしなければ原生の鳥をはじめとするこの国の自然が枯れてしまう。
それぐらいにこの国の自然はナイーブなのだ。
ボク自身、外来の動物であるので、この国のエネルギーの高さは良く分かる。
20年前、まだ日本とニュージーランドを行き来していた頃、飛行機がニュージーランドに着陸するとホッとした感覚。
あれがこの地のエネルギーを感じ取っていたんだろうな、と今になって思う。
さらにこの国の中でもエネルギーの高い所とそうでない所がある。
とりわけエネルギーの高い所とは原生林や山々や海、あまり人の手が入っていない所で、ほとんどは国立公園だ。
自然のエネルギーといってもいろいろあり、アオラキ・マウントクックで感じるエネルギーとルートバーンの森で感じるエネルギーとは異質のものだ。
アオラキ・マウントクックでは『絶対なる存在感、とにかくでっかくてそこに在るもの』という印象を受けるし、ルートバーンの森では『無数の命』を感じる。
同じように海、湖、川、氷河、雪山、岩、草原、など全て違うエネルギーに満ちあふれている。
キャッスルヒルのように、その場所だけエネルギーの高い場所はパワースポットと呼ばれ、マオリの聖地でもある。
これら全てをひっくるめたものが母なる大地のエネルギーなのだ。
クラブフィールドへ行くには、そういった自然の中を通っていく。
ブロークンリバーやクレーギーバーン、チーズマンはブナの原生林を抜けた所にある。
オリンパスに行く途中には森はないが、高山植物帯を抜けていく。
ブロークンリバーとオリンパスで感じる雰囲気の違いもその辺りにありそうだ。
そういった人の手があまりはいっていない自然(全くの手つかずではない)の中で、ひっそりと人々が造り上げたクラブフィールド。
人間が住む空間にもエネルギーは存在する。
自然のエネルギーの中で、調和がとれた人間界のエネルギーの場。
自然を敬い、恐れ、愛しむ。
傲慢にならず、自分達も自然界の一部として全てを受け入れる。
そんなクラブフィールドへ僕は行き続ける。