原子力
2011-03-17 | 日記
世の中、何が正しくて何が間違っているのか分からない。
自分が正しいと思っていたことが実は間違っていた、ということはよくある。
それは情報のソースからも違ってくるだろう。
バケツを逆さから見れば、底が無くフタの開かない入れ物だ。
巷にはいろいろな情報があふれている。
ある情報は操作されているだろうし、もちろん正確な情報もある。
そのうちのどれを選ぶかは自分で判断すればよい。
ある日、親友トーマスが話してくれた。日本の電力の話である。
電気の需要というのは一年を通して一定ではない。
一番多くなるのが夏だ。みんながエアコンを使うから。
電気は保存できないので、その夏に電気が足りなくならないよう発電所を増やす。
一年を通して考えると発電所は今ほど必要はないのだが、夏という一番のピークに合わせると原発を含め今ある発電所の数になるそうな。
なるほどね・・・。
そう考えるといろいろと見えて来る。
ここ数年、毎年毎年暑い夏になっている、というのも無関係ではないのだろう。
エアコンをたくさん使えば、周りはそれだけ暑くなる。
これが大規模になれば、地域の最高気温も上がる。
毎年毎年暑くなっているというのは、地球からのメッセージじゃないか。
だからと言ってエアコン=悪というのは短絡的だ。
えらそーに言ってるボクだって、夏の暑い日にクーラーの効いたお店に入れば、ああ涼しくて気持ちいいなと思う。
だけど、ほどほどにということもある。
これは以前読んだシーナマコトのエッセイの話だ。
ある夏、鉄道で移動をしていたところ車内の冷房が効きすぎて寒かったそうな。
車掌に冷房を弱めるよう頼んだところ、一人のおばはんが「暑いから冷房をもっと効かせろ」と言い張っているから困っているとのこと。
でっぷり太ったおばはんは暑い暑いと言い、他の乗客は寒さでガタガタ震えながら目的地に向ったと・・・・・・。
真夏の暑い中、冷蔵庫のようにキンキンに冷えた列車が走っていく。これぞエネルギーの無駄遣い。
たぶん似たような話はいくらでもあるのだろう。
エアコンをガンガンに効かして毛布をかぶって寝る、とかね。
こうして夏の需用電力は増え、電力会社はそれに応えるべく発電所は増えていく。
人間の生活で今や電気は欠かせないものだ。
それをつくる発電、このシステムも時代と共に変わりつつある。
先ずは一番原始的な水力。位置エネルギーというものは水がある限り枯れることはないが、いろいろな手間がかかり一定量の電気を作るには一番コストが高い。
次いで火力。エネルギーの素は石油や石炭、ガスなどの化石燃料。効率はまずまずだが大気汚染など公害も出る。燃料も無限ではないし安くない。
そして核エネルギーの原子力発電。一定量の電気を作るのに一番コストが安い。1回燃料を注入すれば1年もつそうだ。大気も汚さない。一番の問題は安全性だが電力会社は安全だと言い張る。
いろいろな情報があると思うのでこれ以上詳しくは書かない。
ここから先はボクの直感で話をさせてもらう。
はっきり言って、原発について良いイメージは湧かない。
今回の地震で津波が街を破壊する映像が地震当日こちらでも流れた。
同じ時に原子力発電所の映像も流れた。その時には何の情報もなくただ原発が静かにそこにあるという映像だった。
その時に何かイヤーな感じを受けた。直感で感じてしまったのだから仕方がない。
何事もなければいいなと思ったのだが、意に反して今回のようなことが起こってしまった。
父親は以前から原発の反対運動をしている。
その影響があるのかどうかは分からないが、ボク自身、原発には賛成できない。
何故かは分からないが、心の奥からそう思うのだ。
ある本で読んだが、原子力というのはもともと破壊のエネルギーだ。
最初に使ったのが原子爆弾、というので頷ける。
その破壊のエネルギーから何かを作りだす、というところに無理がある。何かとはそう、電気だ。
ナルホド・・・・・・。
だから今までだって原発の事故というのはあちらこちらにあった。その都度周りは大騒ぎだ。
関係者は安全だということを繰り返すが、ボクはその言葉を信用しない。
山と同じで100%の安全というものはない。リスクは常につきまとう。
原発はそのリスクが大きすぎる。
ボクの直感がそう言っている。
ニュージーランドには原発はない。
この国の電力は6割が水力、3割が火力、残る1割が太陽風力地熱発電だ。
それは人口400万人だからそれで済むのであり、この国土に1億人の人がいたらここにも原発はできることだろう。
今の世の中がそういう仕組みで動いている。この文明は電気なしでは成り立たないのだ。
じゃあどうすればいい?
その問いの答えは分からない。
現実に原発は世界中に存在していて、それに依存をして人間は生活をしている。
原発が悪だ、と言っているのではない。分かっていながらもどうしようもないことは、世の中にいくらでもある。
世界で今すぐ原発をやめましょう、というのはどだい無理な話だ。
批判するのは簡単だが、そこからは何も生まれない。
ただ、これを機会にエネルギーというものを考えよう、と言うことはできる。
これは原子力に限ったものではない。
石油、石炭、こういうものだって無限にあると思われ、文明は進んできた。そしてそうではないことに人類は気がついた。
過去を見て、今現在自分にできることをするのだ。同じ過ちは繰り返してはいけない。
考えられることはいくらでもある。
不必要な電気を消す。不必要な町の街灯やネオンをなくす。歩いて行ける距離に車を使わない。自転車を使う。公共の乗り物を利用する。クーラーの設定温度を上げる。暖房の温度は下げるなどなど。
原発もこれ以上の建設は止める。もういいでしょう、これ以上リスクを増やさなくても。
今あるもので、今あるエネルギーで何とかやっていこう。
みんなが一つになればそれは可能だ。
そのためには各個人が自分の中のエゴと向き合う必要がある。
自分さえよければいいのではない。
自分も相手も含めた全ての人が住む地球が良くなる。
そんな状態を夢見るのだ。
そうやって見た夢は、現実となり世界を変える。
それをやるのはどこかの誰かではない。
自分だ。
自分が正しいと思っていたことが実は間違っていた、ということはよくある。
それは情報のソースからも違ってくるだろう。
バケツを逆さから見れば、底が無くフタの開かない入れ物だ。
巷にはいろいろな情報があふれている。
ある情報は操作されているだろうし、もちろん正確な情報もある。
そのうちのどれを選ぶかは自分で判断すればよい。
ある日、親友トーマスが話してくれた。日本の電力の話である。
電気の需要というのは一年を通して一定ではない。
一番多くなるのが夏だ。みんながエアコンを使うから。
電気は保存できないので、その夏に電気が足りなくならないよう発電所を増やす。
一年を通して考えると発電所は今ほど必要はないのだが、夏という一番のピークに合わせると原発を含め今ある発電所の数になるそうな。
なるほどね・・・。
そう考えるといろいろと見えて来る。
ここ数年、毎年毎年暑い夏になっている、というのも無関係ではないのだろう。
エアコンをたくさん使えば、周りはそれだけ暑くなる。
これが大規模になれば、地域の最高気温も上がる。
毎年毎年暑くなっているというのは、地球からのメッセージじゃないか。
だからと言ってエアコン=悪というのは短絡的だ。
えらそーに言ってるボクだって、夏の暑い日にクーラーの効いたお店に入れば、ああ涼しくて気持ちいいなと思う。
だけど、ほどほどにということもある。
これは以前読んだシーナマコトのエッセイの話だ。
ある夏、鉄道で移動をしていたところ車内の冷房が効きすぎて寒かったそうな。
車掌に冷房を弱めるよう頼んだところ、一人のおばはんが「暑いから冷房をもっと効かせろ」と言い張っているから困っているとのこと。
でっぷり太ったおばはんは暑い暑いと言い、他の乗客は寒さでガタガタ震えながら目的地に向ったと・・・・・・。
真夏の暑い中、冷蔵庫のようにキンキンに冷えた列車が走っていく。これぞエネルギーの無駄遣い。
たぶん似たような話はいくらでもあるのだろう。
エアコンをガンガンに効かして毛布をかぶって寝る、とかね。
こうして夏の需用電力は増え、電力会社はそれに応えるべく発電所は増えていく。
人間の生活で今や電気は欠かせないものだ。
それをつくる発電、このシステムも時代と共に変わりつつある。
先ずは一番原始的な水力。位置エネルギーというものは水がある限り枯れることはないが、いろいろな手間がかかり一定量の電気を作るには一番コストが高い。
次いで火力。エネルギーの素は石油や石炭、ガスなどの化石燃料。効率はまずまずだが大気汚染など公害も出る。燃料も無限ではないし安くない。
そして核エネルギーの原子力発電。一定量の電気を作るのに一番コストが安い。1回燃料を注入すれば1年もつそうだ。大気も汚さない。一番の問題は安全性だが電力会社は安全だと言い張る。
いろいろな情報があると思うのでこれ以上詳しくは書かない。
ここから先はボクの直感で話をさせてもらう。
はっきり言って、原発について良いイメージは湧かない。
今回の地震で津波が街を破壊する映像が地震当日こちらでも流れた。
同じ時に原子力発電所の映像も流れた。その時には何の情報もなくただ原発が静かにそこにあるという映像だった。
その時に何かイヤーな感じを受けた。直感で感じてしまったのだから仕方がない。
何事もなければいいなと思ったのだが、意に反して今回のようなことが起こってしまった。
父親は以前から原発の反対運動をしている。
その影響があるのかどうかは分からないが、ボク自身、原発には賛成できない。
何故かは分からないが、心の奥からそう思うのだ。
ある本で読んだが、原子力というのはもともと破壊のエネルギーだ。
最初に使ったのが原子爆弾、というので頷ける。
その破壊のエネルギーから何かを作りだす、というところに無理がある。何かとはそう、電気だ。
ナルホド・・・・・・。
だから今までだって原発の事故というのはあちらこちらにあった。その都度周りは大騒ぎだ。
関係者は安全だということを繰り返すが、ボクはその言葉を信用しない。
山と同じで100%の安全というものはない。リスクは常につきまとう。
原発はそのリスクが大きすぎる。
ボクの直感がそう言っている。
ニュージーランドには原発はない。
この国の電力は6割が水力、3割が火力、残る1割が太陽風力地熱発電だ。
それは人口400万人だからそれで済むのであり、この国土に1億人の人がいたらここにも原発はできることだろう。
今の世の中がそういう仕組みで動いている。この文明は電気なしでは成り立たないのだ。
じゃあどうすればいい?
その問いの答えは分からない。
現実に原発は世界中に存在していて、それに依存をして人間は生活をしている。
原発が悪だ、と言っているのではない。分かっていながらもどうしようもないことは、世の中にいくらでもある。
世界で今すぐ原発をやめましょう、というのはどだい無理な話だ。
批判するのは簡単だが、そこからは何も生まれない。
ただ、これを機会にエネルギーというものを考えよう、と言うことはできる。
これは原子力に限ったものではない。
石油、石炭、こういうものだって無限にあると思われ、文明は進んできた。そしてそうではないことに人類は気がついた。
過去を見て、今現在自分にできることをするのだ。同じ過ちは繰り返してはいけない。
考えられることはいくらでもある。
不必要な電気を消す。不必要な町の街灯やネオンをなくす。歩いて行ける距離に車を使わない。自転車を使う。公共の乗り物を利用する。クーラーの設定温度を上げる。暖房の温度は下げるなどなど。
原発もこれ以上の建設は止める。もういいでしょう、これ以上リスクを増やさなくても。
今あるもので、今あるエネルギーで何とかやっていこう。
みんなが一つになればそれは可能だ。
そのためには各個人が自分の中のエゴと向き合う必要がある。
自分さえよければいいのではない。
自分も相手も含めた全ての人が住む地球が良くなる。
そんな状態を夢見るのだ。
そうやって見た夢は、現実となり世界を変える。
それをやるのはどこかの誰かではない。
自分だ。