あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

仙台そしてニュージーランド

2011-03-21 | 日記
昨日ボスのリチャードが日本から帰ってきた。
ボクはクィーンズタウンを引き払い、クライストチャーチへ帰ることになっていたのだが、運良く彼に会うことが出来た。
彼は一年ちょっと、仙台で家族と共に暮らす予定だった。仙台の外国人学校で体育の先生をやり、子供2人はそこの学校に通う。奥さんは英語の先生だ。
本来は6月までの予定だったのだが今回の地震で帰国を早めた。
リチャードとはもう20年近くのつきあいになるか。
ボクの事を良く分かってくれる人で、こういう人のところで働くのはすごく楽だ。
ここ数年、特に去年ぐらいから彼との距離がさらに縮まり、かなり奥深くまで話せる関係となった。
周波数が合う、というのだろうか、全てを話さなくても理解しあえる間柄である。
困ったことに彼と話していると涙があふれてくる。別に悲しいわけでも嬉しいわけでもないが、涙が出てしまうのだ。
これはリチャードが日本から無事に帰ってきたからその感激でというわけではない。去年あたりから2人で深く話をしたりすると泣けてしまうのだ。
普通に話していて涙をぬぐうのはちょっと変なので、涙があふれないようにする。
彼と目を合わせるとさらに涙が出るので、視線をさまよわせてしまう。困ったものだ。
約一年ぶりに彼と出会い話を聞く。
コーヒーをいれてもらい、お菓子をご馳走になる。
「たくさん食べてくれ。近所の人がみんな持ってきてくれてね。うちには今、ケーキ類がどっさりあるんだよ」
ボクはコーヒーを飲みながらクライストチャーチの事を話す。
「クライストチャーチの地震の時は庭にいてね、電気と水は止まったけどうちの周りはそんなに被害もなかったし、家の中も9月の地震ほど物が落ちなかったから、余震の一つぐらいに思っていたんだ。その日は歯医者の予約が入っていて、地震の後も歯医者に行こうとしたぐらいでね。後でテレビで映像を見て始めて被害の大きさを知ったよ」
「うちも仙台で同じことさ。家はわりと山に近い方だから津波の現場を見たわけじゃない。道路がひび割れたぐらいで家の周りはほとんど被害も無かった。電気と水は止まったけど。」
「そうか、やっぱりね。トモコさんとテレビを見ながら話していたんだよ。リチャードはきっと守られているから大丈夫だろうってね。だから心配はしなかったよ」
「あははは、そうか。地震後しばらくは川の水をくんだり、森で薪を拾って火を起こしたりしてたんだ。そうしたら福島の原発事故だろう?その時には携帯がつながるようになっていて、ネットを見られるようになった。片方は日本の政府が発表している情報で、もう片方は外国政府が発表している情報。真実はその間のどこかにあるのだろうとは思った。だけど仙台の近くにはもう一つ原発があって福島のと挟まれるような状態だったで何が起こるか分からないから、仙台を出ることにしたのさ。」
「なるほどね。今回のようなことがあってまずいのは、国民が行政に不信感を持つことじゃないかな」
「そうだな、日本の政府は国民がパニックにならないようにああいう形にするんだろうけどね・・・。でもあの時に仙台を出て良かったと思う。その前でも後でもなく、あの時がそのタイミングだったんだろうな。」
「それでそれで?」
「仙台から同僚の家族と一緒に車4台で山を抜けて日本海側へ出て京都へ。京都には知り合いもいたしね。そこで数日過ごしてニュージーランドへ帰ってきたというわけさ」
「ふう、クライストチャーチでもドラマがあったけど、それとは比べものにならないね」
「まだドラマは終わっていない。オレは日本に戻るよ。向こうの家もそのままにして出てきたし、岩手とか京都とかあちらこちらに車を置いてきたからね。」
「落ち着いたら、でしょ」
「そう、落ち着いたらだな」
落ち着いたら。それが来るのはいつだろうか。
そう遠くない将来だとボクは見ている。
「でもな日本はやっぱり食い物が美味くてな~。それにスキー場も近くにあったから滑りまくってたよ」
「いいないいな。今度いつかブロークンリバーに一緒に行かなきゃね。その時はオレがガイドだよ」
「今年は無理かもしれないけどなあ」
「いつか、でいいんだよ」
そして僕らは固い握手をして別れた。話の終わりで暗くならないのがリチャードの良いところだ。

こちらでは毎日ニュースで日本のことを報道している。と言っても原発のことがほとんどである。
ニュースでは流れない場所での被害や混乱は常にあるのだろう。
リチャードのように仙台に居ながらも津波の被害を受けなかった人もいるし、別の場所で死んだり家が壊れて住む所を失った人もいるはずだ。
地震の後で、自分になにができるのだろう、という声をよく聞くし常に自分もそう思っている。
自分なりの答としては、暗くならないで今自分が置かれている状況での幸せに焦点をあてていく。
五体満足で健康なことの幸せ。家族が全員揃う幸せ。当たり前に電気が付く幸せ。水とかお湯が出る幸せ。美味しい物が食べられる幸せ。夜、よく眠れる幸せ。そしてなにより生きている幸せだ。
こうやってあげたものが欠けている人々がいるのは重々承知だ。
だからと言って自分がそれらの物に恵まれているのに、自分を落としてはいけない。
今そこにある幸せを感じながら、明るく前向きに生きることが、自分にできることではないだろうか。
明るく生きることに罪悪感を持つな。
1人1人が悲観的にならず明るく生きることで地球のエネルギーを上げ、間接的に復興の力にもなる。
その上で、募金なりボランティアなりをすればいい。
まずは自分自身を幸せに、でなかったら良い仕事はできない。
混乱はまだ続くだろうが、そう長くも続かないとボクは思っている
そう信じて生きていこうじゃないか。
君もボクも一緒に。
コメント (2)
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