クィーンズタウンの仕事を無事終え、クライストチャーチへ戻ってから1週間。
今は毎日ポーターズへ行っている。
お客さんは日本からレーシングキャンプで来ている人達で、下は小学生から上は年輩の方までまで老若男女、にぎやかな大所帯である。
ボクの仕事はドライバー。スキー場までバスを運転する。
レーシングキャンプの朝は早い。スプリングフィールドの宿を7時に出発する。
ボクは家から通っているので、家を出るのは5時半ぐらいだ。毎朝5時起きである。
まあ、朝に強い体質なのでこれぐらいは平気なのだ。
朝、お客さんを乗せてバスで山道を上がる頃、山頂が茜色に染まる。
自然の中の美しさ、特に美しい色というのは一瞬のものだ。すぐに色は変わってしまう。
すぐに消えてしまうはかないものだからこそ、その瞬間の美しさがある。
車が駐車場につく頃には、赤い色はなくなり、黄金色の太陽が山を照らす。
レーサー達はすぐに準備を始めるが、僕はまだ滑り始めない。
スキー場のスタッフもまだ数人しか来ていない。
僕はこの時間の山が好きだ。
駐車場の端に立ち、谷間から上がってきた太陽を拝む。
手は自然に合わさり、ひたすら拝む。
朝の太陽、キリリと引き締まった空気、どっしりと構え動かぬ雪山、辺りを飛び回る鳥たち。
全ては調和され自然の気はボクの体に流れ込む。
また山から元気をいただいた。ありがたや、ありがたや。

しばらくするとスキー場のスタッフが上がってきて営業準備が始まる。
そしてスキー客の車がちらほらと上がってくる。
雪山がスキー場へと変わる。
忙しくなる前にオフィスでチケットをもらう。
ここはどこぞのケチなスキー場と違い、ドライバーにチケットを出してくれる。ありがたやありがたや。
ドライバーが滑ろうが滑らまいがリフトは回す。
ドライバーにリフト券を出したところで、それで損をするわけではない。
それをケチって、滑りたいならリフト券を買え、という態度は基本的におかしい。
どのみちそこで働く人をないがしろにする会社はろくなものでない。
日本のあるスキー場で働いていた時の話だが、リフトのおじさんがスキーをしたい時にリフトはタダだが、スキーレンタルは半額払うと言っていた。
週末の忙しい時なら分かるが、平日の暇な時、誰もレンタルを借りない時ぐらいタダで使わせてあげればいいのに。
シーズンで1回か2回ぐらいしか滑らないようなおじさんからもお金を取るのかねえ、と憤慨した記憶がある。
しけた話はもうやめよう。気が重くなる。
9時を過ぎると一般の営業が始まる。ボクもそろそろ滑りに行く。
スキー場の下部は半分人工雪。
バーンは固く締まりレーサー達の練習にちょうど良い。
リフト乗り場でコーチの岩谷さんが下りてきて、ニコニコしながら言った。
「いやあ、今日は固くてとても良いです。」
「そうですか、それは良かったですねえ」
ボクが求めるものはフカフカのパウダーで、硬いバーンは正直滑りたくない。
だがその硬いバーンを喜んで滑る人達もいる。
どちらが正しくてどちらが間違っているという事ではない。そういう比較は害になる。
ただ、違うのだ。
違いを認めるということは、良好な人間関係の第一歩である。
違って当たり前なのだ。必要以上に干渉すべきではない。
だが人間というヤツは、自分の価値観を人に押し付けたがる。
自分がやわらかい物が好きなら、人もそうだと思い込む。
その感情がひどくなると、自分と違う価値観を持つ人に敵対心を持ったり、もっとひどくなると迫害するようになる。
どうすれば良いか?
答は簡単である。
違いを認めること。
これは相手を認め、同時に自分自身を認めることだ。
ボブデュランの言葉だが、「君の立場で言えば君は正しい。僕の立場で言えば僕は正しい」これが答だ。
全ての人間がこれを理解すれば、争いはなくなる。

練習に励むレーサーを横目にボクは山頂へ向かう。
ボクのスキー板はキングスウッド。オフピステ用の板だ。
こんな板で硬いバーンを滑っても面白くもなんともない。
今、この山で一番(ボクにとって)良いバーンはビッグママだ。
だがそのコースも昼過ぎ、雪が緩まないと開かない。ガチガチのビッグママなぞ考えただけでもうんざりだ。
こうなるとボクのスキーは雪上を移動するための道具となる。
滑るためにではなく、景色を見るために山頂へ登る。
途中、雲が出て視界が悪くなっていたが、山頂まで来ると青空が広がりきれいな雲海が敷き詰めていた。
リフト下り場に板を置き、数分登る。
ほんのちょっとのハイクアップで世界が変わる。
スキー場の音は消え、聞こえるのは風の音だけ。
視界をさえぎる物は何も無く、眼下に雲海が広がり、空は透けるような青。
雲海から山が島のように突き出し、雪を載せた南アルプスが連なる。
雪山はとことん美しく、彼方にマウントクックが堂々とそびえ立つ。
「なんてきれいなんだ」
言葉が自然に口からこぼれ、サングラスの奥の目から涙がにじみ出る。
人間は大きな感動に震えると涙が出るものだ。
以前、ワーキングホリデーの女の子をここに連れてきたとき、その子は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしていた。
自然は人間に感動というエネルギーを与えてくれる。

山頂に一人。
この山で一番好きな場所だ。
人とワイワイくるのも良いが、一人でここに来るのも好きだ。
自分の居場所というものがあるとしたら、ボクはこの山では間違いなくここだ。
ここになら状況が許せば何時間でもいられる。
この場所に自分の身を置くということが、ボクにとっては一番大切なことであり、自分がこの世に存在する意味の一つがここにある。
自然と手は合わさり、山を拝む。
そして祈る。
今日という日が素晴らしいものになりますように。
この山にいる人達が今日1日ケガをしないでスキーを楽しみ、パトロールが出動しなくてもいいように。
友達のケガが早く治りますように。
何かで苦しんでいる人がいるならば、その苦しみから解放されるように。
祖国、日本で起こっている混乱が落ち着きますように。
世界の裏側で起こっている人間同士の諍いが止みますように。
目を閉じひたすら祈る。
そして目を開けて素晴らしい景色を見て、この場にいられる喜びを再びかみしめる。
「山よ、空よ、大地よ、ありがとう。ボクは元気です」
山は黙ってボクの言葉を受け止める。
今は毎日ポーターズへ行っている。
お客さんは日本からレーシングキャンプで来ている人達で、下は小学生から上は年輩の方までまで老若男女、にぎやかな大所帯である。
ボクの仕事はドライバー。スキー場までバスを運転する。
レーシングキャンプの朝は早い。スプリングフィールドの宿を7時に出発する。
ボクは家から通っているので、家を出るのは5時半ぐらいだ。毎朝5時起きである。
まあ、朝に強い体質なのでこれぐらいは平気なのだ。
朝、お客さんを乗せてバスで山道を上がる頃、山頂が茜色に染まる。
自然の中の美しさ、特に美しい色というのは一瞬のものだ。すぐに色は変わってしまう。
すぐに消えてしまうはかないものだからこそ、その瞬間の美しさがある。
車が駐車場につく頃には、赤い色はなくなり、黄金色の太陽が山を照らす。
レーサー達はすぐに準備を始めるが、僕はまだ滑り始めない。
スキー場のスタッフもまだ数人しか来ていない。
僕はこの時間の山が好きだ。
駐車場の端に立ち、谷間から上がってきた太陽を拝む。
手は自然に合わさり、ひたすら拝む。
朝の太陽、キリリと引き締まった空気、どっしりと構え動かぬ雪山、辺りを飛び回る鳥たち。
全ては調和され自然の気はボクの体に流れ込む。
また山から元気をいただいた。ありがたや、ありがたや。

しばらくするとスキー場のスタッフが上がってきて営業準備が始まる。
そしてスキー客の車がちらほらと上がってくる。
雪山がスキー場へと変わる。
忙しくなる前にオフィスでチケットをもらう。
ここはどこぞのケチなスキー場と違い、ドライバーにチケットを出してくれる。ありがたやありがたや。
ドライバーが滑ろうが滑らまいがリフトは回す。
ドライバーにリフト券を出したところで、それで損をするわけではない。
それをケチって、滑りたいならリフト券を買え、という態度は基本的におかしい。
どのみちそこで働く人をないがしろにする会社はろくなものでない。
日本のあるスキー場で働いていた時の話だが、リフトのおじさんがスキーをしたい時にリフトはタダだが、スキーレンタルは半額払うと言っていた。
週末の忙しい時なら分かるが、平日の暇な時、誰もレンタルを借りない時ぐらいタダで使わせてあげればいいのに。
シーズンで1回か2回ぐらいしか滑らないようなおじさんからもお金を取るのかねえ、と憤慨した記憶がある。
しけた話はもうやめよう。気が重くなる。
9時を過ぎると一般の営業が始まる。ボクもそろそろ滑りに行く。
スキー場の下部は半分人工雪。
バーンは固く締まりレーサー達の練習にちょうど良い。
リフト乗り場でコーチの岩谷さんが下りてきて、ニコニコしながら言った。
「いやあ、今日は固くてとても良いです。」
「そうですか、それは良かったですねえ」
ボクが求めるものはフカフカのパウダーで、硬いバーンは正直滑りたくない。
だがその硬いバーンを喜んで滑る人達もいる。
どちらが正しくてどちらが間違っているという事ではない。そういう比較は害になる。
ただ、違うのだ。
違いを認めるということは、良好な人間関係の第一歩である。
違って当たり前なのだ。必要以上に干渉すべきではない。
だが人間というヤツは、自分の価値観を人に押し付けたがる。
自分がやわらかい物が好きなら、人もそうだと思い込む。
その感情がひどくなると、自分と違う価値観を持つ人に敵対心を持ったり、もっとひどくなると迫害するようになる。
どうすれば良いか?
答は簡単である。
違いを認めること。
これは相手を認め、同時に自分自身を認めることだ。
ボブデュランの言葉だが、「君の立場で言えば君は正しい。僕の立場で言えば僕は正しい」これが答だ。
全ての人間がこれを理解すれば、争いはなくなる。

練習に励むレーサーを横目にボクは山頂へ向かう。
ボクのスキー板はキングスウッド。オフピステ用の板だ。
こんな板で硬いバーンを滑っても面白くもなんともない。
今、この山で一番(ボクにとって)良いバーンはビッグママだ。
だがそのコースも昼過ぎ、雪が緩まないと開かない。ガチガチのビッグママなぞ考えただけでもうんざりだ。
こうなるとボクのスキーは雪上を移動するための道具となる。
滑るためにではなく、景色を見るために山頂へ登る。
途中、雲が出て視界が悪くなっていたが、山頂まで来ると青空が広がりきれいな雲海が敷き詰めていた。
リフト下り場に板を置き、数分登る。
ほんのちょっとのハイクアップで世界が変わる。
スキー場の音は消え、聞こえるのは風の音だけ。
視界をさえぎる物は何も無く、眼下に雲海が広がり、空は透けるような青。
雲海から山が島のように突き出し、雪を載せた南アルプスが連なる。
雪山はとことん美しく、彼方にマウントクックが堂々とそびえ立つ。
「なんてきれいなんだ」
言葉が自然に口からこぼれ、サングラスの奥の目から涙がにじみ出る。
人間は大きな感動に震えると涙が出るものだ。
以前、ワーキングホリデーの女の子をここに連れてきたとき、その子は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしていた。
自然は人間に感動というエネルギーを与えてくれる。

山頂に一人。
この山で一番好きな場所だ。
人とワイワイくるのも良いが、一人でここに来るのも好きだ。
自分の居場所というものがあるとしたら、ボクはこの山では間違いなくここだ。
ここになら状況が許せば何時間でもいられる。
この場所に自分の身を置くということが、ボクにとっては一番大切なことであり、自分がこの世に存在する意味の一つがここにある。
自然と手は合わさり、山を拝む。
そして祈る。
今日という日が素晴らしいものになりますように。
この山にいる人達が今日1日ケガをしないでスキーを楽しみ、パトロールが出動しなくてもいいように。
友達のケガが早く治りますように。
何かで苦しんでいる人がいるならば、その苦しみから解放されるように。
祖国、日本で起こっている混乱が落ち着きますように。
世界の裏側で起こっている人間同士の諍いが止みますように。
目を閉じひたすら祈る。
そして目を開けて素晴らしい景色を見て、この場にいられる喜びを再びかみしめる。
「山よ、空よ、大地よ、ありがとう。ボクは元気です」
山は黙ってボクの言葉を受け止める。