あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

寒波

2011-08-17 | 日記


寒波がやってきた。
今年はあまり寒くない冬で山にも雪が少なかったが、7月の終わりそして8月中旬と2回、低地に大雪を降らすような寒波がきた。
寒波とは寒さの波だ。
まさに波が押し寄せるようにそれは来た。
この寒波の特徴はダニーデンとかクライストチャーチといった太平洋側の町や平野部に大雪を降らせる。
西海岸の方はずーっと晴れマークだ。
都会というものは雪に弱く、交通はマヒ。物の流通も止まり、学校は休み。いろいろな所で困る人がいる。
困る人もいるが喜ぶ人もいる。
子供たちはそり遊びや、雪だるまやカマクラを作って大喜びだ。
子供たちだけではない、大人だって一緒になって遊んでいる。
この国の素晴らしいところは、大人がこういうときに子供と一緒に遊ぶ。
状況を受け入れ、それならそれで楽しんじゃえ、という心がある。
日本のように「いい大人がそんなことをして」などとつまらんことを言う人はいない。



街は雪景色。
とても美しく、普段見慣れたものとは別の姿を見せてくれる。
自宅の庭も雪に覆われて別世界だ。
ニワトリ達はちょっと寒そうだ。だがこんな時でも卵をしっかり産んでくれる。ありがたやありがたや。
雪は音を吸収するので、静かである。
普段は街の雑音も遠くに聞こえるのだが、今日はそれもなし。
静かな雪の庭に立ち、お茶を飲む。
幸せだ。
幸せとは常にどんな時でもそこに在る。
そのことに心を開いた時、幸せのエネルギーは倍増する。



町外れの丘ではちょっとした斜面で子供たちがそり遊びをして、さらに上に行くとボードやスキーを持った人が山を登っている。
ボクも友達と娘の3人で丘へ向かった。
住宅地の外れの公園に車を置き、上り始める。
見渡せる街は一面真っ白でとても美しい。
普段なら歩くコースを、スキーをつけて移動するというのは新鮮であり、この変化がたまらない。
またボクはとことん晴れ男なので、ボクが行くと雲の切れ目から晴れ間がのぞき、お日様もちらりと姿をあらわす。
街を見下ろすと強く雪が降っている場所がカーテンのようにゆらめき、それがゆっくりと移動をしている。幻想的な風景だ。
スキー場と違ってリフトはない。
歩いて上った分だけ滑れる。
たくさん滑りたかったらたくさん歩くのも良し、散歩程度に雪の上を歩き回るのも良し。
スコップを持ってきてジャンプ台を作るも良し。
スキーを脱いで雪の中の滑り台で滑るのも良し。
ボケーっと景色を眺めるのも良し。
こうしなければいけないというものはない。
そして出会う人々は全て笑顔である。とてもよろしい。
晴れ男のボクが丘を下ると同時に、再び雪が強く降り始めた。
とことんそういうふうにできている。



晴れ間を見つけ、娘と雪だるまを作る。
学校は休みだし、こんな時に外で遊ばないなんてもったいない。
最初は単純に雪をゴロゴロ転がして、単純な雪だるまを作ろうと思ったが途中で予定変更。
雪の塊を作り、それを削って雪像をつくることにした。
ボクと娘である程度の大きさに雪を積み上げた所で真打登場。
女房の出番だ。
うちの女房は芸術のセンスが抜群で、昔は高校の美術の先生もやっていたという経歴である。
絵も上手ければ、機織もやる。色のセンスも素晴らしいし、工作などもすごい物をちゃちゃっと作る。
芸術のセンスが全くない僕から見れば神業だ。
娘は女房の絵のセンスを引き継いだのか、絵がとても上手い。この家で一番絵がへたくそなのはボクだ。
昔、仏像を彫ったこともあるという女房が雪を彫り始め、あれよあれよという間にペンギンができた。
やっぱりこのセンスは素晴らしい。
ボクなら絶対にこんな上手くできない、変な自信がある。
娘に名前をつけさせたらボブになった。
ボブデュランのボブか、ボブマーリーのボブか、スポンジボブのボブか知らないが、とにかく命名ボブである。
ペンギンボブ、つかの間の命だが家族が一人増えた。


コメント (5)
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