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あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

石畳

2014-07-05 | 
雪が降らない。
ここ数日は気温が冷えて雪も多少は降ったが、まだスキー場オープンにはもう一降り欲しい。
昔世話になったスキースクールの校長が言っていた。
「スキーヤーなんて物はだな、雪が降らなきゃただの人以下だ。士農工商えた、その下に来るぐらいのものだ。」
そこまで落とす事もなかろうにと思うがスキーができるからって傲慢になるなという事だ。
スキー場が開かなければ僕も仕事がない。
なので毎日毎日畑を耕すのである。
雪が降らなく暖かいということは、スキーヤーには困ったことだがスキーをしない人には喜ばしいことだろう。
おかげでニンニク200株の植え付けも済み、庭の畑がきれいになり、より菜園らしくなった。



家の畑には石が埋まっている。
ここには昔プールがあったそうで、それを崩して埋め立てたのだろう。
ちょっと掘ると大きな石がゴロゴロと出てくる。
大きな物は40cmぐらいになろうか。
そんなのが深さ30cmぐらいのところに折り重なって埋まっている。
以前から気になっており、浅い所のヤツは掘り出してそこに土を入れたりとしていたが、今回は深く掘って大きな石を掘り出した。
前まではそれらの石はいつか捨てようとガレージの裏に放っておいたのだが、今回は多量に出たので何かに使えないか考えた。
ふと温室の入り口の所に大きな石を置いてみたら踏み石にちょうどよい。
それならば人がよく通る場所に並べて、隙間に粘土質の土を入れて、といった具合で1本の道ができた。
そんなおりに友達のマサトが遊びに来て庭を見て言った。
「いいじゃん、この石、これって買ったら高いよ」
その一言でぼくの中でのイメージが一転した。
それまでは、『前の住人が残した厄介な邪魔物』だったのが、買ったら高いという一言だけで『宝の山』となってしまった。
人間の思考とはいやはや浅ましいものである。



僕の行動の基本的な考えはそこにある物を使う。
使える物は知恵を絞って使う。
庭に転がっていた角材は綺麗にして温室の骨組みになった。
使わなくなったスキーは温室の外壁の一部となった。
庭に埋まっている石だって、行動力で貴重な資源となる。
形も大きさもバラバラだが、パズルを組むような感覚で試行錯誤を繰り返し立派な歩道ができた。
歩道のレイアウトだって、お茶を飲みながら考えに考えて決まったのだ。
まあ、こうやってお茶を飲みながらいろいろ考えるのが好きなんだけどね。
学校から帰ってきた娘が僕の作業振りを誉めてくれた。
「すごーい、お父さん。でもさ、庭がこんなに変わったけど、変わる前の写真を撮った?」
「撮ってない」
いつものことだがノリでなんとなく初めて、いつのまにか夢中になり、気づいた時にはかなり出来上がるというものなので、毎回作業の前の写真を撮っておけばよかったなあと後悔する。
娘は冷静だ。



こうやって歩道ができるとさらに畑を広げたくなる。
畳一畳分ぐらいの芝をはがしてもう一区画増やした。
はがした芝生は、以前コンクリート舗装をした横、雑草と砂利が混ざっている場所へ移植。
徹底的にそこにある物を使う。
寝かせておいた堆肥を新しく掘り起こした場所にいれて耕し、ここには玉ねぎでも植えようかな。
こうして庭は進化していく。
今度はもっとマメに写真を撮ろう。


コメント (2)
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