7月27日
撮影最終日。
いつものように親方を迎えに行き、今日は娘のマルちゃんも一緒に現場へ行く。
現場は昨日と一緒の場所、サムナーの住宅地。
昨日は50年代の設定だったが今日は現代の設定。
道路標示の看板も現代風のものだし、道路の脇にはバスケットボールのゴールも置いた。
エキストラも今時の格好をした人達。
ロスっぽいのかどうか分からないが、ストリートバスケの小僧とかマウンテンバイクに乗った高校生ぐらいの女の子、スケボーとかスクーターに乗った子供達など。
車は現代の大きなアメリカっぽいトラックとシボレー。
親方とマルちゃんがいつものようにアメリカのナンバープレートを貼り付ける。
そしてガムテープで車のロゴを隠す。
車を使うシーンではこの作業を親方は毎回やっていた。
僕は気になっていた質問をした。
「このシーンはアメリカでしょ?シボレーが走っていても何もおかしくないじゃないですか。何故ロゴを隠すんですか?」
「これはね、車の会社がスポンサーになる時に他の会社の車だとうまくないのでその対策なんだよ」
「へえ、そうですか。それで今回はスポンサーに車の会社があるんですか。」
「イヤ、それはまだ決まっていない」
「え?じゃあ車の会社がスポンサーにならないかもしれない?」
「ならないかもしれない」
「その時にはこの作業は意味がない?」
「そう、全く無意味な作業なんだよ。オレがこの作業をしてる時に背中から哀愁が漂っているでしょう?」
「うん。思いっきり漂ってる」
「いつもバカバカしいなあ、と思いながら仕事をしてるんだよ」
確かにバカバカしいし無意味な作業だ。
例えばトヨタの車のロゴを隠して撮影してスポンサーがトヨタになった、なんてことになったらイヤになっちゃうだろうな。
つきつめて考えると、歪んだ社会の一部が垣間見える。
クリエイティブな人が余計な事を考えず、クリエイティブな事に専念して生きていける。
ガイドがガイドに専念して生きていける。
僕が夢見るのはそんな世界だ。
シーンはLAの住宅地。
シボレーが走り、スケボー少年が道を横切りマウンテンバイクの女の子が通り過ぎ、その横からバスケ小僧がパスをしながら女の子を見て「かわいいじゃん」みたいな顔をして、大きなトラックが通る。
というような、いかにもアメリカっぽいカットなのだが動きが多いのでタイミングがなかなか合わない。
そうか、当たり前だがこういうシーンも全部作るんだよな。
何回も同じ事をやって、エキストラも大変だなあ、などと思って見物していた。
親方が言う「この国の人達は皆、人が良いなあ。エキストラの人達だって何回も同じ事をやらされても最後までニコニコやってくれて。他だったらこうはいかないよ。直ぐに態度に出てくるから」
自分の住んでいる所が誉められると素直に嬉しい。
車のロゴを隠す作業の時もナンバープレートを貼りかえる時も、車のオーナーが作業を見張るというようなことはない。
ガムテープを切るときにカッターナイフを使うのだが、神経質な人だったら「こいつオレの車に傷つけるんじゃないか」などと考えそうなものだが、こちらの人はあっけらかんと「どうぞどうぞ、好きにやって」みたいな感じで、本人達は撮影を見物に行ってしまう。
こういう『人の良さ』というのがニュージーランドが観光でも人気のある理由なのだと思う。
昨日と同じくフェリーミードへ移動して昼食。
そして撮影は続く。
午後は南米のシーン。
エキストラもコロンビア人。
僕らの仕事は物売りの人のバスケットの用意。
小道具担当のジョシーが近くのスーパーでフルーツを買ってきていた。
バナナとかマンゴーとかパイナップルなどのラベルをはがして、布を敷いたバスケットに飾ってできあがり。
エキストラのコロンビア人と片言のスペイン語で会話をする余裕もある。
撮影ツアーもまもなく終了、めまぐるしく走り回ったジェットコースターも停車に近づいてスピードを落としたようだ。
そして最後のシーンを撮りに街中へ移動。
最後は大聖堂広場の一角で今度はパナマのオリンピックオフィスの設定。
これもホテルの看板の上に用意しておいたサインを両面テープで貼るだけ。
僕がやる事は何もない。
ここで娘と女房が撮影を見に来た。
親方にもきちんとご挨拶。
今日は『バレメシ』(業界の用語で各自バラバラにご飯を食べる事をバレメシと言うそうだ。)なので、仕事が終わったら我が家へご招待してある。
親子で撮影を眺めていたらゴードンがマフィンを持ってきてくれた。
ありがたや、娘と女房に一つづつもらった。
ゴードンの肩書きはユニット・マネージャー。
彼のトラックの中はエスプレッソマシーンがあり、ロケ中いつでもコーヒーが飲める。
このコーヒーが旨く、そんじょそこいらのカフェより美味い。
トイレの無い現場では簡易トイレを用意するのも彼の仕事だし、何もない場所ではテントも立てて椅子を出しヒーターもつけて休憩所を用意する。
そして十時三時にはお菓子やちょっとしたおつまみ、フルーツなどを用意して皆に配って歩く。
関係者だけなんてケチ臭いことは言わないで、その辺で見ている見物人にも「はいどうぞ」。
こういう配慮が嬉しい。
昔は撮影の照明をやっていたそうだが、第一線を引退して今はこういう仕事をしている。
撮影現場を陰で支える好々爺という存在だ。
娘が何かモジモジしている。
聞くと学校の先生にそっくりな人がエキストラにいるのだと。
「どれどれ、どの人だ?あの綺麗な人か。じゃあお父さんが行って聞いてきてあげるよ。『カークウッド(娘の学校)の先生ですか?』ってさ」
「やめて、恥ずかしいから」
「はあ?オマエ何を恥ずかしがっているんだ。別にいいじゃん。」
「イヤだ。絶対にイヤ」
そういわれるとちょっと意地悪をしたくなる。
「『うちの深雪がいつもお世話になっています』って言うぞ」
「やめて、本当にやめて」
そんなやりとりをしながら眺めていると、監督のOKが出て撮影終了。
場にほっとした気が流れた。
その後、買い物をして親方をホテルへ送り届け一度家へ戻った。
親方もマルちゃんも道具を梱包する作業が残ってるので2時間後ぐらいに再び迎えに行く。
家に戻ると女房が晩飯の仕度をしていた。
今日のメニューは餃子とチキンライス。
我が家のニラ、シルバービート、ニンニクが入ったNZで一番美味い餃子だ。
今年は唐辛子が豊作だったので、それで作ったラー油も絶品である。
おつまみに僕が玉子焼きを作る。
自分ができる事で、その場にあるもので、一番美味い物を出すのがもてなしの心である。
金がない僕が高い食材を買ってもてなしたら本質からはずれてしまう。
それはもてなしではなく、見栄であり、へつらいだ。
そんな事をしなくても家には美味い野菜と美味い卵がある。
そして自分は玉子焼きが焼ける。
たかが玉子焼きと馬鹿にすることなかれ。
卵の質、調味料の量、焼き方だって鍋の温度や裏返すタイミングなど奥は深いのだ。
いい加減に作ればそれなりの味だし、真剣に作ればご馳走になる。
僕は小学校3年生ぐらいの時から玉子焼きを焼いていたし、よく弁当のおかずに入れるので得意ではある。
自分のできる事をする上で大切なのは、自分を知ることだ。
日が落ちてから皆を迎えに行く。
今晩は親方と娘のマルちゃん、そしてオークランド在住で僕と同じように雇われたユカちゃんも来る。
ユカちゃんもこういう仕事は初めてで、衣装とかメイクの方で通訳も兼ねていろいろと仕事をしていた。
機転がきく女性でエキストラの面倒などもよく見て、初めてとは思えない仕事っぷりは日本のスタッフからも評判は良かった。
彼女もオーガニックとか自給自足などに興味があるようで、僕の庭を見たいと言っていたのだ。
家に着いたら先ずはガーデンツアー。
暗くなっているのでトーチで皆様をご案内。
ニワトリ小屋、菜園、温室をまわり、そしてご馳走の待つ暖かい食卓へ。
まずはビールで乾杯。そしてワインへ。これが僕らの打ち上げだな。
酒も食べ物も美味く、話は弾む。
これも撮影が無事に終了したからこそ。
あの時にああすればもっとよかったなあ、と自分を反省する所もあるが、まあ素人のやる事というわけで許してもらえる範囲だろう。
それより僕は目の前の親方と我が家で飲める事が嬉しくて、どんどん杯を重ねてしまった。
あげくの果てにギターを引っ張り出して『美術の親方の唄』なんぞを即興で歌ったようだ。
というのも、その頃には僕はベロベロに酔っ払ってしまって、記憶が断片的にしか残っていない。
夜も更けタクシーを呼び、皆を送り出す時に握手をしようとしたら親方が僕を抱きしめた。
うわあ親方、やめてくれ、そんな事をされたら涙があふれてしまうじゃないか。
そうでなくとも最近は涙腺がゆるくて、すぐに涙ぐんでしまうのに。
その夜は前後不覚、泥沼のような眠りに落ちた。
続く
撮影最終日。
いつものように親方を迎えに行き、今日は娘のマルちゃんも一緒に現場へ行く。
現場は昨日と一緒の場所、サムナーの住宅地。
昨日は50年代の設定だったが今日は現代の設定。
道路標示の看板も現代風のものだし、道路の脇にはバスケットボールのゴールも置いた。
エキストラも今時の格好をした人達。
ロスっぽいのかどうか分からないが、ストリートバスケの小僧とかマウンテンバイクに乗った高校生ぐらいの女の子、スケボーとかスクーターに乗った子供達など。
車は現代の大きなアメリカっぽいトラックとシボレー。
親方とマルちゃんがいつものようにアメリカのナンバープレートを貼り付ける。
そしてガムテープで車のロゴを隠す。
車を使うシーンではこの作業を親方は毎回やっていた。
僕は気になっていた質問をした。
「このシーンはアメリカでしょ?シボレーが走っていても何もおかしくないじゃないですか。何故ロゴを隠すんですか?」
「これはね、車の会社がスポンサーになる時に他の会社の車だとうまくないのでその対策なんだよ」
「へえ、そうですか。それで今回はスポンサーに車の会社があるんですか。」
「イヤ、それはまだ決まっていない」
「え?じゃあ車の会社がスポンサーにならないかもしれない?」
「ならないかもしれない」
「その時にはこの作業は意味がない?」
「そう、全く無意味な作業なんだよ。オレがこの作業をしてる時に背中から哀愁が漂っているでしょう?」
「うん。思いっきり漂ってる」
「いつもバカバカしいなあ、と思いながら仕事をしてるんだよ」
確かにバカバカしいし無意味な作業だ。
例えばトヨタの車のロゴを隠して撮影してスポンサーがトヨタになった、なんてことになったらイヤになっちゃうだろうな。
つきつめて考えると、歪んだ社会の一部が垣間見える。
クリエイティブな人が余計な事を考えず、クリエイティブな事に専念して生きていける。
ガイドがガイドに専念して生きていける。
僕が夢見るのはそんな世界だ。
シーンはLAの住宅地。
シボレーが走り、スケボー少年が道を横切りマウンテンバイクの女の子が通り過ぎ、その横からバスケ小僧がパスをしながら女の子を見て「かわいいじゃん」みたいな顔をして、大きなトラックが通る。
というような、いかにもアメリカっぽいカットなのだが動きが多いのでタイミングがなかなか合わない。
そうか、当たり前だがこういうシーンも全部作るんだよな。
何回も同じ事をやって、エキストラも大変だなあ、などと思って見物していた。
親方が言う「この国の人達は皆、人が良いなあ。エキストラの人達だって何回も同じ事をやらされても最後までニコニコやってくれて。他だったらこうはいかないよ。直ぐに態度に出てくるから」
自分の住んでいる所が誉められると素直に嬉しい。
車のロゴを隠す作業の時もナンバープレートを貼りかえる時も、車のオーナーが作業を見張るというようなことはない。
ガムテープを切るときにカッターナイフを使うのだが、神経質な人だったら「こいつオレの車に傷つけるんじゃないか」などと考えそうなものだが、こちらの人はあっけらかんと「どうぞどうぞ、好きにやって」みたいな感じで、本人達は撮影を見物に行ってしまう。
こういう『人の良さ』というのがニュージーランドが観光でも人気のある理由なのだと思う。
昨日と同じくフェリーミードへ移動して昼食。
そして撮影は続く。
午後は南米のシーン。
エキストラもコロンビア人。
僕らの仕事は物売りの人のバスケットの用意。
小道具担当のジョシーが近くのスーパーでフルーツを買ってきていた。
バナナとかマンゴーとかパイナップルなどのラベルをはがして、布を敷いたバスケットに飾ってできあがり。
エキストラのコロンビア人と片言のスペイン語で会話をする余裕もある。
撮影ツアーもまもなく終了、めまぐるしく走り回ったジェットコースターも停車に近づいてスピードを落としたようだ。
そして最後のシーンを撮りに街中へ移動。
最後は大聖堂広場の一角で今度はパナマのオリンピックオフィスの設定。
これもホテルの看板の上に用意しておいたサインを両面テープで貼るだけ。
僕がやる事は何もない。
ここで娘と女房が撮影を見に来た。
親方にもきちんとご挨拶。
今日は『バレメシ』(業界の用語で各自バラバラにご飯を食べる事をバレメシと言うそうだ。)なので、仕事が終わったら我が家へご招待してある。
親子で撮影を眺めていたらゴードンがマフィンを持ってきてくれた。
ありがたや、娘と女房に一つづつもらった。
ゴードンの肩書きはユニット・マネージャー。
彼のトラックの中はエスプレッソマシーンがあり、ロケ中いつでもコーヒーが飲める。
このコーヒーが旨く、そんじょそこいらのカフェより美味い。
トイレの無い現場では簡易トイレを用意するのも彼の仕事だし、何もない場所ではテントも立てて椅子を出しヒーターもつけて休憩所を用意する。
そして十時三時にはお菓子やちょっとしたおつまみ、フルーツなどを用意して皆に配って歩く。
関係者だけなんてケチ臭いことは言わないで、その辺で見ている見物人にも「はいどうぞ」。
こういう配慮が嬉しい。
昔は撮影の照明をやっていたそうだが、第一線を引退して今はこういう仕事をしている。
撮影現場を陰で支える好々爺という存在だ。
娘が何かモジモジしている。
聞くと学校の先生にそっくりな人がエキストラにいるのだと。
「どれどれ、どの人だ?あの綺麗な人か。じゃあお父さんが行って聞いてきてあげるよ。『カークウッド(娘の学校)の先生ですか?』ってさ」
「やめて、恥ずかしいから」
「はあ?オマエ何を恥ずかしがっているんだ。別にいいじゃん。」
「イヤだ。絶対にイヤ」
そういわれるとちょっと意地悪をしたくなる。
「『うちの深雪がいつもお世話になっています』って言うぞ」
「やめて、本当にやめて」
そんなやりとりをしながら眺めていると、監督のOKが出て撮影終了。
場にほっとした気が流れた。
その後、買い物をして親方をホテルへ送り届け一度家へ戻った。
親方もマルちゃんも道具を梱包する作業が残ってるので2時間後ぐらいに再び迎えに行く。
家に戻ると女房が晩飯の仕度をしていた。
今日のメニューは餃子とチキンライス。
我が家のニラ、シルバービート、ニンニクが入ったNZで一番美味い餃子だ。
今年は唐辛子が豊作だったので、それで作ったラー油も絶品である。
おつまみに僕が玉子焼きを作る。
自分ができる事で、その場にあるもので、一番美味い物を出すのがもてなしの心である。
金がない僕が高い食材を買ってもてなしたら本質からはずれてしまう。
それはもてなしではなく、見栄であり、へつらいだ。
そんな事をしなくても家には美味い野菜と美味い卵がある。
そして自分は玉子焼きが焼ける。
たかが玉子焼きと馬鹿にすることなかれ。
卵の質、調味料の量、焼き方だって鍋の温度や裏返すタイミングなど奥は深いのだ。
いい加減に作ればそれなりの味だし、真剣に作ればご馳走になる。
僕は小学校3年生ぐらいの時から玉子焼きを焼いていたし、よく弁当のおかずに入れるので得意ではある。
自分のできる事をする上で大切なのは、自分を知ることだ。
日が落ちてから皆を迎えに行く。
今晩は親方と娘のマルちゃん、そしてオークランド在住で僕と同じように雇われたユカちゃんも来る。
ユカちゃんもこういう仕事は初めてで、衣装とかメイクの方で通訳も兼ねていろいろと仕事をしていた。
機転がきく女性でエキストラの面倒などもよく見て、初めてとは思えない仕事っぷりは日本のスタッフからも評判は良かった。
彼女もオーガニックとか自給自足などに興味があるようで、僕の庭を見たいと言っていたのだ。
家に着いたら先ずはガーデンツアー。
暗くなっているのでトーチで皆様をご案内。
ニワトリ小屋、菜園、温室をまわり、そしてご馳走の待つ暖かい食卓へ。
まずはビールで乾杯。そしてワインへ。これが僕らの打ち上げだな。
酒も食べ物も美味く、話は弾む。
これも撮影が無事に終了したからこそ。
あの時にああすればもっとよかったなあ、と自分を反省する所もあるが、まあ素人のやる事というわけで許してもらえる範囲だろう。
それより僕は目の前の親方と我が家で飲める事が嬉しくて、どんどん杯を重ねてしまった。
あげくの果てにギターを引っ張り出して『美術の親方の唄』なんぞを即興で歌ったようだ。
というのも、その頃には僕はベロベロに酔っ払ってしまって、記憶が断片的にしか残っていない。
夜も更けタクシーを呼び、皆を送り出す時に握手をしようとしたら親方が僕を抱きしめた。
うわあ親方、やめてくれ、そんな事をされたら涙があふれてしまうじゃないか。
そうでなくとも最近は涙腺がゆるくて、すぐに涙ぐんでしまうのに。
その夜は前後不覚、泥沼のような眠りに落ちた。
続く