僕は言いたいことをずけずけと言う。
時にはそれで傷つく人もいる。
人が傷ついた時に言う言葉は大体同じだ。
「あなたは○○だからそんな事が言えるのだ」
とかく、あなたは、あなたは、あなたは。
「あなたはニュージーランドに住んでいるからそんな事が言えるのだ」
「あなたは北海道に住んでいるからそんな事が言えるだ」
「あなたは若いからそんなことが言えるのだ」
この三つの本質は同じである。
そして出て来る言葉は
「あなたも私の立場だったら分かるよ」
結局行き着くところはそこ。
自己正当化。
分からないさ、だって僕はあなたではない。
僕は僕の立ち位置があり、僕なりの経験があり、意見を言っている。
自分という物をとことん見つめて、やるべき事をやっているつもりだ。
大体そうやって自己正当化をする人は自分自身を見つめていない。
あなたは・・・と人を見ているうちは自分を見なくてすむ。
自分自身と向き合うことから避けている人も多い。
以前、映画の仕事をして堤真一という俳優と仲良くなった。
ガイドの仕事をしていて彼の名前を借りる時もある。
芸能人の名前を出すと話の質が落ちるのであまり使わないが、エンターテイメント性として場を盛り上げるために使わせてもらうこともある。
「それはあなたがあの人を知らないからそうやって仲良くなれたのよ」
とあるお客さんは言った。
僕はそれ以上の反論はしなかったが、そのお客さんの心が見えてしまった。
それは、自分が有名人に対したら態度を変えてしまうであろうという思い。
そこにあるのは人間の本質というものでなく、社会的地位などで人を判断する心。
もっときびしく言えばテレビなどのマスコミに踊らされている自分。
それを正当化するためにそういう発言をする。
そこまで突き詰めて言ったら傷つくだろうから言わない。
せっかくの旅行でイヤな思いをしたくないだろうし。
同時にそのお客さんとの会話も深いところまでは行かずに、終始浅いところだった。
こうやって本音で書くと賛同してくれる人もいるが、そうでない人からは「偉そう」「上から目線」「何様だと思っているの」という心の声が聞こえる。
実際は上から目線ではなく、深いポイントで理解をしていると浅いポイントの人にはついて来れないのだが、「選民意識」などと言われてしまう。
上から目線の上下というのはその人の心が作っているものであって、実際はワンネス、全てが一つなのだが、これも分かる人には分かるし分からない人には分からない。
また殻を破るのが怖くて分からないふりをしている人もいる。
『分からない』のではなく『分かろうとしない』のだ。
まあそういった気づきのタイミングも個人ごとに違うので、必要以上には言わないようにしている。
それこそ「大きなお世話」で片付けられてしまう。
僕はあなたが○○だから・・・と言わない。
その代わりにこう言う。
あなたの立場であなたは常に正しく、あなたの身の周りに起こっている出来事は全てあなたの心が作り上げている。
あなたはあなたの心の向くところに進んでいけばよい。
他人を欺くことはできても、自分自身の心を偽る事は出来ない。
時にはそれで傷つく人もいる。
人が傷ついた時に言う言葉は大体同じだ。
「あなたは○○だからそんな事が言えるのだ」
とかく、あなたは、あなたは、あなたは。
「あなたはニュージーランドに住んでいるからそんな事が言えるのだ」
「あなたは北海道に住んでいるからそんな事が言えるだ」
「あなたは若いからそんなことが言えるのだ」
この三つの本質は同じである。
そして出て来る言葉は
「あなたも私の立場だったら分かるよ」
結局行き着くところはそこ。
自己正当化。
分からないさ、だって僕はあなたではない。
僕は僕の立ち位置があり、僕なりの経験があり、意見を言っている。
自分という物をとことん見つめて、やるべき事をやっているつもりだ。
大体そうやって自己正当化をする人は自分自身を見つめていない。
あなたは・・・と人を見ているうちは自分を見なくてすむ。
自分自身と向き合うことから避けている人も多い。
以前、映画の仕事をして堤真一という俳優と仲良くなった。
ガイドの仕事をしていて彼の名前を借りる時もある。
芸能人の名前を出すと話の質が落ちるのであまり使わないが、エンターテイメント性として場を盛り上げるために使わせてもらうこともある。
「それはあなたがあの人を知らないからそうやって仲良くなれたのよ」
とあるお客さんは言った。
僕はそれ以上の反論はしなかったが、そのお客さんの心が見えてしまった。
それは、自分が有名人に対したら態度を変えてしまうであろうという思い。
そこにあるのは人間の本質というものでなく、社会的地位などで人を判断する心。
もっときびしく言えばテレビなどのマスコミに踊らされている自分。
それを正当化するためにそういう発言をする。
そこまで突き詰めて言ったら傷つくだろうから言わない。
せっかくの旅行でイヤな思いをしたくないだろうし。
同時にそのお客さんとの会話も深いところまでは行かずに、終始浅いところだった。
こうやって本音で書くと賛同してくれる人もいるが、そうでない人からは「偉そう」「上から目線」「何様だと思っているの」という心の声が聞こえる。
実際は上から目線ではなく、深いポイントで理解をしていると浅いポイントの人にはついて来れないのだが、「選民意識」などと言われてしまう。
上から目線の上下というのはその人の心が作っているものであって、実際はワンネス、全てが一つなのだが、これも分かる人には分かるし分からない人には分からない。
また殻を破るのが怖くて分からないふりをしている人もいる。
『分からない』のではなく『分かろうとしない』のだ。
まあそういった気づきのタイミングも個人ごとに違うので、必要以上には言わないようにしている。
それこそ「大きなお世話」で片付けられてしまう。
僕はあなたが○○だから・・・と言わない。
その代わりにこう言う。
あなたの立場であなたは常に正しく、あなたの身の周りに起こっている出来事は全てあなたの心が作り上げている。
あなたはあなたの心の向くところに進んでいけばよい。
他人を欺くことはできても、自分自身の心を偽る事は出来ない。