あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

親方物語 5

2014-09-18 | ガイドの現場
7月23日
撮影四日目。
オアマルの街の中心近く、昔の倉庫が並んだ味のあるエリア。
オアマルストーンという白い石造りの街はニュージーランドの中でも他の街とは違う雰囲気を持っている。
まるで半世紀前にタイムスリップしたような、そんな一角が今回僕らのベースでもあるしロケ地でもある。
昔の羊毛を扱った大きな倉庫が今はパーティールームとしても使われており、その建物がベース、基地である。朝、昼、晩とも食事はここだ。
数十人が食事ができるダイニングエリアもあれば、キッチンもあるし、もちろんトイレもある。
その奥の倉庫は衣装の広間、小道具置き場、メイクアップのテーブル、更衣室、そして一角は室内ロケにも使われる。
今回のニュージーランドロケでは色々な国のシーンを全部ニュージーランドで撮っちまおう、というわけで、アメリカのユタ、カリフォルニア、メキシコ、パナマ、ペルー、ブラジル、キューバ、ベネゼエラ、コロンビア、チリ、などのシーンを撮る。
ちなみにこれだけやってニュージーランドのシーンは無い。



各シーンでその場所や年代に合わせた看板や小物などを使うわけだが、現地で調達する物もあれば日本から持ってくるものもある。
美術の衣装ケースにはそういった小物がぎっしりと入っている。
車のナンバープレートも然り、シーンごとのナンバープレートがきちんと整理されていて、その都度それを取り出して車に両面テープで貼り付ける。
こういうのも日本でちゃんと段取りよくやってくるんだろうな。
この日の撮影はべネズエラの街のシーンから始まった。
美術の仕事は車のナンバーを貼りかえるぐらいで親方の表情も心なしか和らいでいる。
昨日も一昨日も朝からドタバタ劇だったが、毎日あんなのが続いたら身も心ももたない。
僕ものんびりと撮影を見物。





撮影をしている間、美術班の次の仕事はブラジルのリオの市場作り。
ベースの直ぐ脇の路地の歩道にゴチャゴチャと南米っぽい小物を並べてそれらしい雰囲気を作るのだ。
「マーケットの場所はここまで。このカフェの爺さんが撮影反対派で気をつけなけりゃ」親方が細かい指示を出しながら言った。
ナルホド、そういう流れも当然あるんだろうな。
僕達が作業をしていると、そのカフェの前で一人のおじいさんがタバコを吸いながら憎々しげにこちらを見ている。
言われなくても『ああ、この人なんだな』と分かった。
「こいつら、こんな所で撮影しやがって。気に入らないぜ」というオーラが体中から溢れている。
全体的にニュージーランド人は人が良く親切で撮影に協力的だが、中にはこういう人もいる。
それでもここニュージーランドは他所に比べて撮影は楽な方だと思う。
親方も盛んにそれを口にしていた。
「日本だと街でロケをしているとうるさいんだよ色々と。その辺の人が警察に通報したりしてね。そうすると警察も出てこなけりゃいけないでしょ。ここはそういうのがないからいいな。」
ここでは警察はのんびりと見物なぞしている。
日本でスキーパトロールをやっていて分かったのだが、スキー場でスキーパトロールがヒマだということは安全で良い状態の証明なのだ。
それを日本ではサボっていると言われてしまう。
ここニュージーランドでもオアマルの警察がヒマでのんびり撮影を見物する、なんてのはこの地域が安全で安定している証拠だ。
それに街はずれでスピード違反の取締りなんかするくらいなら、撮影でも見ていた方がよっぽどみんなも喜ぶはずだ。
警察、消防、救急車がヒマというのは良い状態なのである。ついでにスキーパトロールもね。
ちなみにアメリカでは「ここからここまでならいくら」「この先の道までならいくら」と料金がはっきりとあり、お金を払えばその場所は警察がついて交通を遮ってくれると言う。
だから金さえ払えばニューヨークだろうとサンフランシスコだろうと撮影ができるわけだ。
そういえば、映画キャメラマンのゲンさんが「ミシシッピにかかる橋を2時間閉鎖して沈む夕日を撮った」って言ってたな。
そういうお金がいくらかかるか知らないし知りたくもないが、それはそれで実にアメリカ的でいいんじゃないの、と思った。





ブラジルのリオのマーケットから50m先の街角がチリのオープンカフェである。
ちなみにその先20mが昨晩のカリフォルニアの警察署だ。
オープンカフェの場所にはサイモンがテーブルと椅子を置き傘を立て、ベースの建物から水差しやグラスやカップなどを借りてきた。
ロバもどこからかやって来て50年代のチリのひとコマできあがり~。
ちなみにロバを借りるのは1日8万円かかるそうな。
そこの撮影が始まる前に、僕と親方は次の現場、チリのホテルの一室へ。
美術班がある程度用意したがチェックしてほしいと連絡があった。
親方は現場を離れても大丈夫なようなのでそちらへ向かう。
場所は俳優や監督など首脳陣が宿としているホテルの一室。
それも親方の部屋のとなりの部屋だ。
チェックすると調度品など親方のイメージと違うらしい。
命ぜられるまま親方の部屋のサイドテーブルを運び入れる。公私混同もいいところだ。
そしてテーブルと椅子が必要だがそれらしい物がホテルに無いというので車で近くの古道具屋へ借りに行く。
段取り八分現場二分、そして最後の最後は現場あわせ、なのである。
それにしてもホテルの部屋でチリをあらわすというのは難しいと思う。
と言うのはホテルの部屋の内部なんて、チリだろうがお隣りアルゼンチンだろうがその向こうのウルグアイだろうが大して変わらない。
若い時にその辺を旅したのでそれは分かる。
枕元に置いた小さなモアイの像が親方の苦肉の策だったんだろうな。



撮影は順調に進み、暗くなる頃に終わった。
皆でベースに戻り夕食を食べる時に親方に呼ばれた。
「聖さん、飯を食ってからでいいのでうちの娘をモーテルへ送ってくれないか?」
親方が言う娘とは、小道具担当で親方と一緒に仕事をしている女の人だ。
丸山という名前だが親方からはマルと呼ばれている。なかなかの美人である。
「マルが風邪をひいたみたいで具合が悪そうだから、ちょっとお願い。オレは歩いて帰るからさ。それで今日はあがってください」
「了解です。お任せ下さい」
食後、ガソリンスタンドで買い物をして彼女を送り届け、今日の仕事は終了。
まだ7時ちょっと過ぎだ。今回の仕事で初めてこんなに早く終わった。
その晩はオアマルに住んでいる友達のシゲさんを訪ね、軽く一杯。
オアマルに泊まる機会なんてほとんどないので昔話に花を咲かせるにはちょうど良い。
撮影も中盤に入り落ち着きをみせた。
だが僕を乗せた怒涛のジェットコースターはまだまだ走り続けるのであった。

続く
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9月17日 The Day  

2014-09-18 | 最新雪情報
シーズンを通じて山にいると「この日が今シーズン最高の日だ」と感じる時がある。
その日のことを僕らは『The Day』と呼ぶ。
それは雪はもちろんのこと、天候、そしてそこに集う人、その日の出来事、そういった全てをひっくるめての『The Day』なのだ。
8月半ばに降雪があり何とかオープンできたスキー場もそれ以来まったく雪が降らず、閉めてしまったスキー場も出る中、今回の嵐が来た。
ブロークンリバーで新雪42cm。
公式発表はそれだが深いシュートの中は50cmを越える雪が積もっていた。
『The Day』を感じるのは僕だけでなく、この日のBRにはそうそうたる顔ぶれが集まった。
いつものクラブメンバーはもちろんだがそれに加え、お馴染みブラウニー、キングスウッドのスキーメーカーのアレックス、伝説のパトロールのヘイリー、オリンパスのマネージャーのトッド。
凄腕スキーチューンのハンピー、マウントライフォルドのベン、ニュージーランドから日本へスキーツアーをやっているレネ、西海岸からタイも来たし、マリリンおばちゃんも当然のようにいる。
パウダーは午前中にあらかた食い尽くされ、午後からはパーマーロッジで宴会のようなノリとなった。
ひょっとするとこのままクローズか、という噂も飛び交ったBRだがこの雪で息を吹き返した。
9月にドカ雪が降る、という僕の予想も外れにすんで一安心なのである。


国道から見たブロークンリバー。小さな雪崩が起きてるな。


念のためチェーンをつけて。


ロッジの辺りにも雪はたっぷり。期待が膨らむ。


天国への階段を登り、いざ天国へ。


今日の朝一。


メイントー付近


シュートを滑る人がいた。


ヘイリーとアランズベイスンへ。


この男と一緒に滑るのも久しぶりだ。


ケアのおもちゃになっちゃうよ。


お馴染みブロークンリバーラガー。山の物は高いというのが定説だがジャグで14ドルはクィーンズタウンの飲み屋より安い。


この人が凄腕チューナーのハンピー。毎年毎年僕のキングスウッドを治してくれるので8年も使っている。


パウダー狂ばかりでなく、こういう人もいるのがいいな。


ブラウニーが酒を注ぐ。ヘイリーはいつもの場所だ。


午後にはパウダーはあらかた食い尽くされた。


パーマーロッジではまったりと宴会のような雰囲気。


帰りはアランズベイスンを下まで滑り歩く。


昔はここを毎回歩いていたんだよな。
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