鹿肉万歳
2013-10-11 | 食
西海岸に住む若き男、タイ。
ヤツがついに念願の鹿を仕留め、その肉を持ってきてくれた。
タイ曰く
「鹿を仕留めて解体していたら、なんか胃袋みたいなのが二つあるんですよ。あとで聞いたらそれは子供が出来かかっているものだって。その時は気が付かなかったんですけどねぇ。ちょっと考えちゃったんですよ、撃たなかったほうがよかったかなあって・・・」
「仕方ないよ。だってその時は分からないだろ?その死んだ鹿、そして生まれかかった子供の命まで美味しくいただきましょう」
可哀そうと言えば可哀そうだし、野蛮と言えば野蛮である。
だが僕達人間は、動物にしろ魚にしろ植物にしろ、他の命を奪って生きる。
僕達にできること、いや、するべきこととは奪った命を無駄にせず美味しく食べることだと思う。
その晩はタイの彼女のキミと共に鹿肉のたたき。
これをしょうが醤油とにんにく醤油でいただいた。
生の肉はほんのり甘く、臭みは一切なく絶品だ。
スモークもやってみたのだが、こちらは火の通し具合が難しく、味は可もなく不可もなくといった具合で、ヒレ肉はたたきに限る、という結論にたどりついた。
その晩は3本目のワインの途中まで記憶があるのだがその後の記憶は完全にふっとび、女房が言うには同じことを100回ぐらい繰り返ししゃべり、全く会話にならず、嫌がるココにちょっかいを出して唸られ、トイレで吐き、あげくの果てにそのあたりで寝てしまうという醜態をさらけだしたそうな。
まさに親父道まっしぐらだな。反省、反省。
翌日、タイとキミは我が家の卵と野菜をどっさり持ち、西海岸に帰っていった。
前回に西海岸に行った時にはヤツの家に立ち寄り野菜を置いて魚と肉をいただいた。
今回は鹿肉と野菜の物々交換。
物々交換というのはお金というものが生まれる以前から人間がやってきていることである。
社会が大きくなり複雑になると難しいが、小さいコミュニティや友人同士ならばこれが一番。
なんといってもお金が付随しない物の行き来というのは気持ちの良いものなのだ。
タイがお土産に持ってきたものは人間用だけでなく、犬のココにもご馳走である。
鹿のスネ肉付き後ろ足2本、そしてすじ肉は2キロ分ぐらいあるか。
前回シャミーの足をそのままあげたら喜んでかぶりついていたが、今回はそれほどではないらしい。
最近は生の肉も好きではないようなのでオーブンで焼いてあげたら喜んで食べていた。
前回シャミーの解体を見ていて思ったのだが、大きな動物を捌くのは楽ではない。
細かい所はもういいや、という気持ちになってしまう。
人間の労働力には限界があるのだ。
犬がいればそれが餌になるのだがタイのところには犬がいないので、うちに持ってきてくれた。
そうやって残ったすじ肉も、もう一手間かけて筋と肉に分けてみたら1キロ近い肉の量になった。
筋は煮込んでココの餌。肉は煮込んでカレー。
残ったのは骨だけで、これもココがガリガリと噛み砕き骨の髄をペロペロと舐めている
その道のプロ、という言葉がある。
ピアノのプロがポロンとならす音と僕がならす音は違う。
ギターのプロが弾くとそのへんのギターでもいい音が出る。
スキーでもトッププロの人の滑りは見ていて感動する。
餅は餅屋、という言葉もあるとおりプロにはそれなりの何かがある。
タイからいただいた鹿肉のバックステーキ、まあ一番美味しい部分がもう1回分残っているので、こいつをプロにやってもらおう。
というわけで友達のマサ一家をご招待した。
マサは現役の板前、こちらで言うシェフ、その道のプロである。
年も同じで、馬が合うというのか気を使わないで家族で付き合える間柄だ。
この日は彼に鹿肉のたたきを作ってもらった。
オヤジ2人で台所に立ち、あーでもないこーでもないと言いながら料理を作るのは楽しい。
「聖さん、ネギある?」
「あるよ。長ネギもあるけどあさつきも庭にあるよ」
「おお、いいね。じゃあ、ちょっとそれを取ってきて。」
「がってん了解」
「長ネギの白いところも使いたいんだけど」
「まかせとけ」
彼のやり方は肉の塊に塩とコショウそしてすりおろしたにんにくをぬりこむ。
熱々に熱したフライパンで肉を押さえつけるように焼き、氷水に入れて熱を取る。
それを薄くスライス。
戸棚から綺麗な皿を出して盛り付け。
口で言うのは簡単だがその動作一つ一つがプロの技である。
それを褒めちぎるとこう言う
「いやさ、そんなのこっちから見れば聖さんがパウダーでエイトだっけ?あれをやるようなものだよ」
そんなもんか。
本日のメインはすき焼き。
庭の野菜は長ネギ、シルバービート、そして春菊。
春菊はこぼれ種からガンガン育ち、雑草のように生えている。
そして、すき焼きと言えば生卵。
卵が新鮮すぎて黄身と白身がよく混ざらない、という超ぜいたくな悩みがある。
肉は近くの韓国人経営の肉屋がすき焼き用の肉を切ってくれる。
ニュージーランドでは日本人も韓国人も中国人も仲良くやっているぞ。
ご飯は友達がわざわざ日本から持ってきてくれた新潟産のこしひかり。
ご馳走である。
ご馳走とはその場にある物で最高の物をだす、もてなしの心。
それが海外で暮らしながらも失わない日本人の魂だ。
料理は旨くワインに合い、(今回は飲みすぎないよう気をつけていたので)会話は弾み、食後はマサ親子とギターとハーモニカのセッションとなった。
マサの子供カイトは子供ながら(失礼な言い方だが)ギターが上手く、ソロなどもガンガン弾ける将来有望なミュージシャンなのだ。
そのうちに彼ら親子、そして謎の日本大好きなブルース爺ちゃんとのセッションもあるかもしれない。
そのときにはきっと話が一つ書けることだろう。
こうやって鹿はココを含め僕らの胃袋に収まった。
ふと思ったのだが、野生の鹿と放牧とはいえ飼育された鹿は同じではないと。
肉の味も違うだろうが、もっと深い意味で肉の持つエネルギーの違いか。
そこにはその鹿が育った環境、今回で言えば僕が大好きな西海岸のあの森。
そしてそれを仕留める為の人間の努力、ライフルの練習や何回も森に足を運ぶ努力。
仕留めた後、解体する人の気持ち。頭だけ持って帰って剥製にするのか、無駄なく食べられる場所は全部食べようとするのか、などなど。
そういったいろいろな要素があり我が家に鹿肉が届けられた。
ありがたや。
言葉に想いが乗ることにより言霊となる。
自動販売機に「ありがとうございます」と言われてもうれしくない。
そうあることが難しいから『有難う』なのだ。
自分を含め家族も友人も様々な事柄に生かされている。
同時に自分も人を育てている。
複雑に絡み合った目に見えない想い。
それは人間だけではなく、動物や野菜、マクロで見れば地球や宇宙までも一つとなるワンネスの思い。
それに気がつけば自分が何をするべきか見えてくるだろう。
庭にはココがかじった鹿の骨が転がっている。
ここまでとことん食えば鹿も成仏できたことだろう。
タイが初めて仕留めた鹿の命、ありがたくいただきました。
ヤツがついに念願の鹿を仕留め、その肉を持ってきてくれた。
タイ曰く
「鹿を仕留めて解体していたら、なんか胃袋みたいなのが二つあるんですよ。あとで聞いたらそれは子供が出来かかっているものだって。その時は気が付かなかったんですけどねぇ。ちょっと考えちゃったんですよ、撃たなかったほうがよかったかなあって・・・」
「仕方ないよ。だってその時は分からないだろ?その死んだ鹿、そして生まれかかった子供の命まで美味しくいただきましょう」
可哀そうと言えば可哀そうだし、野蛮と言えば野蛮である。
だが僕達人間は、動物にしろ魚にしろ植物にしろ、他の命を奪って生きる。
僕達にできること、いや、するべきこととは奪った命を無駄にせず美味しく食べることだと思う。
その晩はタイの彼女のキミと共に鹿肉のたたき。
これをしょうが醤油とにんにく醤油でいただいた。
生の肉はほんのり甘く、臭みは一切なく絶品だ。
スモークもやってみたのだが、こちらは火の通し具合が難しく、味は可もなく不可もなくといった具合で、ヒレ肉はたたきに限る、という結論にたどりついた。
その晩は3本目のワインの途中まで記憶があるのだがその後の記憶は完全にふっとび、女房が言うには同じことを100回ぐらい繰り返ししゃべり、全く会話にならず、嫌がるココにちょっかいを出して唸られ、トイレで吐き、あげくの果てにそのあたりで寝てしまうという醜態をさらけだしたそうな。
まさに親父道まっしぐらだな。反省、反省。
翌日、タイとキミは我が家の卵と野菜をどっさり持ち、西海岸に帰っていった。
前回に西海岸に行った時にはヤツの家に立ち寄り野菜を置いて魚と肉をいただいた。
今回は鹿肉と野菜の物々交換。
物々交換というのはお金というものが生まれる以前から人間がやってきていることである。
社会が大きくなり複雑になると難しいが、小さいコミュニティや友人同士ならばこれが一番。
なんといってもお金が付随しない物の行き来というのは気持ちの良いものなのだ。
タイがお土産に持ってきたものは人間用だけでなく、犬のココにもご馳走である。
鹿のスネ肉付き後ろ足2本、そしてすじ肉は2キロ分ぐらいあるか。
前回シャミーの足をそのままあげたら喜んでかぶりついていたが、今回はそれほどではないらしい。
最近は生の肉も好きではないようなのでオーブンで焼いてあげたら喜んで食べていた。
前回シャミーの解体を見ていて思ったのだが、大きな動物を捌くのは楽ではない。
細かい所はもういいや、という気持ちになってしまう。
人間の労働力には限界があるのだ。
犬がいればそれが餌になるのだがタイのところには犬がいないので、うちに持ってきてくれた。
そうやって残ったすじ肉も、もう一手間かけて筋と肉に分けてみたら1キロ近い肉の量になった。
筋は煮込んでココの餌。肉は煮込んでカレー。
残ったのは骨だけで、これもココがガリガリと噛み砕き骨の髄をペロペロと舐めている
その道のプロ、という言葉がある。
ピアノのプロがポロンとならす音と僕がならす音は違う。
ギターのプロが弾くとそのへんのギターでもいい音が出る。
スキーでもトッププロの人の滑りは見ていて感動する。
餅は餅屋、という言葉もあるとおりプロにはそれなりの何かがある。
タイからいただいた鹿肉のバックステーキ、まあ一番美味しい部分がもう1回分残っているので、こいつをプロにやってもらおう。
というわけで友達のマサ一家をご招待した。
マサは現役の板前、こちらで言うシェフ、その道のプロである。
年も同じで、馬が合うというのか気を使わないで家族で付き合える間柄だ。
この日は彼に鹿肉のたたきを作ってもらった。
オヤジ2人で台所に立ち、あーでもないこーでもないと言いながら料理を作るのは楽しい。
「聖さん、ネギある?」
「あるよ。長ネギもあるけどあさつきも庭にあるよ」
「おお、いいね。じゃあ、ちょっとそれを取ってきて。」
「がってん了解」
「長ネギの白いところも使いたいんだけど」
「まかせとけ」
彼のやり方は肉の塊に塩とコショウそしてすりおろしたにんにくをぬりこむ。
熱々に熱したフライパンで肉を押さえつけるように焼き、氷水に入れて熱を取る。
それを薄くスライス。
戸棚から綺麗な皿を出して盛り付け。
口で言うのは簡単だがその動作一つ一つがプロの技である。
それを褒めちぎるとこう言う
「いやさ、そんなのこっちから見れば聖さんがパウダーでエイトだっけ?あれをやるようなものだよ」
そんなもんか。
本日のメインはすき焼き。
庭の野菜は長ネギ、シルバービート、そして春菊。
春菊はこぼれ種からガンガン育ち、雑草のように生えている。
そして、すき焼きと言えば生卵。
卵が新鮮すぎて黄身と白身がよく混ざらない、という超ぜいたくな悩みがある。
肉は近くの韓国人経営の肉屋がすき焼き用の肉を切ってくれる。
ニュージーランドでは日本人も韓国人も中国人も仲良くやっているぞ。
ご飯は友達がわざわざ日本から持ってきてくれた新潟産のこしひかり。
ご馳走である。
ご馳走とはその場にある物で最高の物をだす、もてなしの心。
それが海外で暮らしながらも失わない日本人の魂だ。
料理は旨くワインに合い、(今回は飲みすぎないよう気をつけていたので)会話は弾み、食後はマサ親子とギターとハーモニカのセッションとなった。
マサの子供カイトは子供ながら(失礼な言い方だが)ギターが上手く、ソロなどもガンガン弾ける将来有望なミュージシャンなのだ。
そのうちに彼ら親子、そして謎の日本大好きなブルース爺ちゃんとのセッションもあるかもしれない。
そのときにはきっと話が一つ書けることだろう。
こうやって鹿はココを含め僕らの胃袋に収まった。
ふと思ったのだが、野生の鹿と放牧とはいえ飼育された鹿は同じではないと。
肉の味も違うだろうが、もっと深い意味で肉の持つエネルギーの違いか。
そこにはその鹿が育った環境、今回で言えば僕が大好きな西海岸のあの森。
そしてそれを仕留める為の人間の努力、ライフルの練習や何回も森に足を運ぶ努力。
仕留めた後、解体する人の気持ち。頭だけ持って帰って剥製にするのか、無駄なく食べられる場所は全部食べようとするのか、などなど。
そういったいろいろな要素があり我が家に鹿肉が届けられた。
ありがたや。
言葉に想いが乗ることにより言霊となる。
自動販売機に「ありがとうございます」と言われてもうれしくない。
そうあることが難しいから『有難う』なのだ。
自分を含め家族も友人も様々な事柄に生かされている。
同時に自分も人を育てている。
複雑に絡み合った目に見えない想い。
それは人間だけではなく、動物や野菜、マクロで見れば地球や宇宙までも一つとなるワンネスの思い。
それに気がつけば自分が何をするべきか見えてくるだろう。
庭にはココがかじった鹿の骨が転がっている。
ここまでとことん食えば鹿も成仏できたことだろう。
タイが初めて仕留めた鹿の命、ありがたくいただきました。
この前はありがとう。
おすそ分けっていい言葉だな。
幸せもおすそ分け。
あの鹿も友人家族をも幸せにしてくれました。
ありがたや。
もうホワイトベイトの時期かあ、忙しいな、こりゃ。
俺も畑仕事が忙しいよ。
でも、こういう忙しさは楽しいよな。
ダジャレはオヤジ道の本道ですな。
下手なギャグを言って場がシラーっとなるところにオヤジは喜びを見つけるのか、などと考えてしまいました。
今度はホワイトベイトが上がってきましたよ!
(笑)