あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ツアーの合間に

2017-02-26 | 日記
仕事の合間にクライストチャーチの家に帰ってきた。
やはり自分の家の自分の机の上だとブログも書く気になる。
今回の仕事も上手く行ってお客さんは喜んでくれた。
お客さんが喜んでくれて、自分も納得のいく仕事ができた後のビールが一番美味い。
チップもはずんでもらったので、そのお金で家族で外食をした。
空腹に身を任せ北京ダックなんぞ頼み、ビールをガバガバ飲んだので、いただいたチップがそっくりそのままなくなった。
宵越しの金を持たねえ江戸っ子のようである。
いやいや、金がなくなったわけではないな。
お金というエネルギーが廻ったのだ。
初めて行った店だったが、店の作りは場末のキャバレーのようだが、安い中華料理店にありがちの化学調味料臭さが無く旨かった。
家の近所にこういう店があると嬉しい。

今回のツアーの前半で腰をクキっとやってしまった。
グキではなくクキぐらいの軽いものだ。
僕は腰に爆弾をかかえており、疲れが溜まったりすると腰が痛くなる。
ひどい時には動けなくなるが、そうならないように気をつけながらやっているが、それでも時々小さな痛みが来る。
歩きと車の運転で腰が痛くなり、後半こそは良くなったが前半は腰をさすりながら仕事をした。
お客さんのスーツケースの積み下ろしなど、重い物を持つ時は特に慎重に、これ以上ひどくならないように気をつけた。
仕事がクライストチャーチで終わるので、オノさんに診てもらおう、と思いツアーの途中で連絡をしたら面白いもので腰の痛みがなくなった。
後半は痛みもなく無事に仕事を終えたのだが、表面的な痛みが無くなったから良しというわけではない。
のど元過ぎれば熱さを忘れる、と言うがそれではいかん。
これを機にボキボキやってもらうのだ。
以前にも書いたが、これがとんでもなく痛い。
特に今回は筋が強張っていたのもあり、いつもより痛い。
痛いのだが、自分ではほぐせない場所のツボをグリグリとやられる。
これがまた気持ちいい。気持ち良いのだが痛い。痛いのだが気持ち良い。以下続く。
オノさん曰く、我慢して動かなければもっと深い場所のコリをほぐせる。痛くて動いちゃうとこちらもそれ以上できない。
なるほどね、今回は痛くて「あー」とか「うー」とか叫び声をあげたものの我慢して動かなかったからかなり深い場所もほぐしてもらえた。
施術が終わるころには涙と鼻水でべしょべしょ。
ぐにゃぐにゃになったところでボキボキと整体でおしまい。
その後のおしっこが気持ち良い。体の老廃物が洗い流される気持ちだ。
これがあるので僕はオノさんのところに行く前には水をじゃんじゃん飲んでから行く。
その後はお楽しみのビール、オノさんと一緒に行き着けのラーメン屋サスケへ。
ここのラーメン屋は昔からの友達がやっているのだが、化学調味料を使わないラーメンスープが旨い。
長い仕事が終わって一段落して、しばしの休日、そして体も絶好調になってのビールと餃子とラーメン。
ああ、この世の至福なり。

さて家では家族の他にも僕の帰りを待っている者たちがいた。
庭の野菜たちである。
野菜にとってご馳走なのは農家の足音である、と最近何かで読んだ。
人が植物を想う気持ちというのが大切なのだということを最近は特によく考える。
人間の行動とは想いや考えから起きるものである。
同じ行動でもその原点である思想が違えば結果も変わってくる。
僕は野菜や鶏に話しかけるのだが、それを鼻で笑う人もいる。
そんなの全く科学的でないと。
ではその科学というものがどんな世の中を作っているのか。
それ以上踏み込んでも結論は出ないし、人の想いなんてものは外から変えるものでもない。
君の立場で言えば君は正しく、僕の立場で言えば僕は正しい。
ボブデュランも言っている。
僕は野菜に話しかけ世話をして美味しい野菜を作るのだ。
野菜と一口に言っても色々な種類がある。
大切なのは観察、見てあげることだと思う。
きゅうりなぞは蔓を伸ばしてあげるとどんどん育つ。
ネギは根元に土をかけてあげれば白いところが増える。
ジャガイモも根元にどんどん土をかける。
植物を見て、雑草が生育のじゃまになるなら取るし、時には間引きもする。
蝶の幼虫の芋虫も見つければ取って鶏の餌だ。
そういった行動全て、まず植物を見るところから始まる。
手塩にかけて育てるなんて言葉があるが、そういうことなんだと思う。
良く見てれば収穫のタイミングも分かる。
タイミングよく収穫し、それをそのまま食卓へ運ぶのは理想だろう。
もちろんたくさん収穫できたものは保存食にもする。
家庭菜園の良さは栽培、収穫、調理、食する、が一連で出来ることである。
こういった作業をやる秘訣は好きであることだろう。
好きなので暇さえあれば庭にいて何かしらやっている。
以前出会った女の人は「野良仕事は女の人にはできない」などと言っていた。
実際には『女の人にはできない』のではなく『自分にはできない』のだが『女の人』とすることで『自分』というものをその中に紛れ込ませてしまっている。
「そうやってあなたは自分というものから目を背けている。どーん」などと喪黒福造のように指を突きつけたりしない。
ああ、こうやって人間は自分を正当化するんだな、と思うだけだ。
その人とも二度と会うことは無いだろうし僕のブログを読まないだろうから、こうやって話のネタにする。
これは農業に限らず、何をするにしても好きだという気持ちが大切なのだろう。
好きこそものの上手あれ、と言うが人間好きでないことはそうそう続けられるものではない。

ツアーの途中で友達の西やんから連絡があった。
友達がクライストチャーチに行くからよろしくと。
話を聞くと尺八奏者が仮の大聖堂で地震の追悼ライブを行うのでその手伝いをしてほしいと。
西やんの頼みなら任せとけと大見得を切ったものの、自分のスケジュールの調整が難しく、妻や友人に頼むことにした。
大聖堂で尺八の音色なんて、どんな音が出るんだろう、聴いてみたいなあ。
人間は思ったことを現実化する力があるらしく、こうなりたいと思えばそうなる。
クィーンズタウンのボスから連絡があり、それほど忙しくないのでちょっとクライストチャーチでゆっくりしてこいと。
懸念していた用事も片がつき、本番には出れないがリハーサルには出れそうなのでその時に生音を聴けるかな。
そんなわけで来たる27日の月曜日、仮の大聖堂で夕方6時から、尺八演奏家き乃はちによるライブを行います。
クライストチャーチ在住の方、ぜひお越しあれ。
僕はその翌日からはしばらく忙しそうなのでそれまで数日間、家で庭仕事ざんまいなのである。




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