成熟した大人の社会、僕はニュージーランドという国のことをこう呼ぶ。
初めてニュージーランドを訪れてから28年という年月が経った。
その間いろいろな物事を見て聞いて体験した。
どっぷりとこの国にはまってしまったわけだが後悔は一切していない。
それよりもこの地の自然に、この地の人に、そして人が作り上げる社会に、エネルギーをもらうことが多い。
もちろんこの国にも問題が無いわけではない。
悪い所だってある。
僕がこの国のことを語る時、それは自分というフィルターを通して語る。
それは山のガイドをしながら自宅で野菜や鶏を育てる、日本人の奥さんとティーンエイジャーの娘を持つ男のフィルターである。
当然ながらそのフィルターは人によって違い、それを通して見た景色も違うものになる。
オークランドしか知らない人が感じたニュージーランドの感想とは、人が多くてゴミゴミした場所だそうな。
クライストチャーチの知人(友人ではない)は「ニュージーランド人は金に意地汚いヤツばかりだ」と言っていた。
友人ではないので「それはあなたの心がそうだから、あなたの周りにそういう人が集まるんだ」などという大きなお世話なことも言わない。
バケツを逆さに見れば、底が無くふたが開かない容器だ。
何を見て何を感じるかは、千差万別。
僕なりに感じたニュージーランドの大人の社会について語ってみる。
この国はもともと開拓の国だったので人々の意識にも、自分のできる事は自分でするというところがある。
古くなった道具でも丁寧に直して使う。
最近は安い中国産の物が入ってきて、直すより新しい物を買った方が安いというようになり、人の意識も変わりつつあるが、基本的に古い物を大事に使う。
クィーンズタウンの湖に浮かぶ蒸気船アーンスロー号は南半球で残っている唯一の蒸気船なのだが、年に一回ドックに引き上げてメンテナンスをしながら今でも現役で使い続けている。
百年前の蒸気船を観光用とはいえ使い続けるには、それなりの労力が必要なのである。
僕もこの船は大好きで、船が行く姿はクィーンズタウンの景色の一部だと思う。
またハイウェイを走っていると、50年以上も昔のクラッシックカーに乗った爺さんと婆さんなんかをよく見る。
二人でシープスキンの帽子をかぶりゴーグルなぞしてのんびりと走る姿はかっこいい。
その車だってきっちりと自分で整備をしながら使うのだ。
人にやらせるのではなく、自分自身でやる。これが大切。
又、僕がガイドをするスキー場はチェアリフトの代わりにロープトーという50年前のシステムを未だに使い続けている。
これはロープに引っ張られて山の斜面を登っていくもので、今でも初心者用に使う所はあるが、このシステムをメインのリフトで使っているのは世界中でもニュージーランドぐらいだ。
スキー場の世界遺産になっても良いぐらいだ。
便利さ快適さとは程遠い代物だが歩いて山を登るよりはるかに楽で、多少の不便さは人間ががんばればいいという考えが根底にある。
機械と人間の程よい関係とでも言おうか。
こういった古い道具を使い続けるには、物に対する愛がなくてはならない。
人間の行動は、人の気持ちから来る。
人の気持ちを徹底的に紐解くと、『愛』か『怖れ』しかない。
愛が原動力にある場合、それに関わる人が全て幸せになる。
誰も不幸にならない。
いや、人だけではなく物だって使い捨てにされるより長く使われる方が幸せだろう。
クラッシックカーで走る爺さん婆さんを見ると、なんとなくほんわかした気持ちになるのは彼らの愛と丁寧に使われる車の喜びを感じるからだろう。
自分の事を自分でする、という当たり前の事ができていないので世の中がこれほどまでにおかしくなってしまっているのだが、ここニュージーランドではまだまともな方だろう。
この国の老人を見ているとそう思う。
ここの老人達は元気だ。
そして自立している。
子供に面倒をみてもらう人は少なく、一人身になって寂しくなればさっさと施設に入ってしまうし、老人の一人暮らしは珍しくない。
手助けが必要な場合は家にヘルパーが来てもらうこともあるが、基本的に自分でできることは自分でやる。
子供に面倒を見てもらうなら死んだほうがましだ、くらいのことは考えているかもしれない。
老いることへの恐怖がないようにも見える。
実際に老人達からパワーをもらう事は少なくない。
僕は地元のスキークラブに所属しているのだが、そこでは70を超える爺さんが孫を肩車してスキーをする。
ロープトーなどの機械のメンテナンスも、若い者に命ずるのでなく自分が現場でやる。
そして何か聞かれれば答えるが、決して自分から自慢しない。
そうやって自分達でスキー場というシステムを作ってきた人達、老いても嬉々として現場に居続ける人達。
行動を持った人の言葉には重みがある。
そういう爺さんを見ていると恰好良いと思うし、自分もそういうようになりたいと思う。
老人は若者に夢と希望を与える存在だ。
この国には定年というものがないので、結構年を取った人でも働く。
それが生活する為にイヤイヤやるのでなく自分がまだ動けるから働く、という感じか。
スーパーなんかでも老人達がニコニコしながら楽しそうに働いている。
そういう老人達はパワーを持っているし、若い世代に良い影響を与える。
パワーと行っても体力では若い人が当然勝る。
老人と若者がいれば、力仕事などは当たり前のように若者がやり、老人は卑屈にならずにその状況を受け入れる。
そして老人は自分が出来ることをやるのだ。
ある日本のお客さんを引き合いに出す。
その人は60代半ばぐらいで、一人で2週間ほどニュージーランドに来ていた。
「自分はふすまの張替えの仕事をしてきたが、そういう仕事はもう無い。時給750円でなぞ働きたくないから生活保護をもらうことにした。生活保護を受けるには貯金がゼロでなくてはならないので、貯金を使い切るためにニュージーランドにいるのだ」
彼と話しているとエネルギーを奪われ、こういう老人にはなりたくないな、と思った。
仕事というものを、生活の為にお金を稼ぐという観点だけで捉えるとこうなるのだろう。
そしてそういう想念が閉塞した今の日本を作っていることに、本人は気がついていない。
彼とは心の繋がりはできず、負のスパイラルの切れ端を垣間見た。
状況に甘んずることなく自分ができる事をする、というのがニュージーランドのやり方で、それは老人だけでなく身体障害者を見ていてもそう思う。
ここでは身体障害者は『可哀そうな人』ではなく、『その人が持つ個性の一部』ぐらいの感覚で見られる。
もともとこの国の人は困っている人を放っておけないので、助けが要るようなら直ぐに人が集まる。
だが過保護ではないので必要以上の手助けはしないし、障害者も自立心があるのでそれを求めない。
ある障害者のツアーをやった時に聞いたのだが、日本でとある車椅子の人が道路を横切る時に車道に飛び出し故意に車を停めて「いいんだ、いいんだ、こんなの停めさせれば」などと言いながら渡ったと。
そういう人もいる。
幸いそのツアーではそういう人はいなくて良かったのだが、僕には会った事も無いその障害者の心の歪みが見えてしまう。
それは障害者という立場を利用した甘えだ。
障害者だろうが健常者だろうが、同じ社会において守るべきルールがある。
これまた別のツアーの話だが、お客さんは奥さんが車椅子で旦那さんが健常者、年は40代前半ぐらい。
ラグビーの大ファンでオールブラックスの試合を見るためにニュージーランド旅行へ来た。
ゲームの前に街の公園を散歩した時に奥さんが言った。
「こんな芝生の上でゴロンと寝転がりたいわ、ここならじろじろ見られないだろうし」
「それならやりましょうよ」
僕と旦那さんで彼女を抱きかかえ芝生の上へ運んだ。
彼女は芝生を手で撫ぜて言った。
「こんな感覚、何十年ぶりかしら」
「日本では出来ないんですか?」
「日本ではこんなことしたらじろじろ見られるので嫌です」
お客さんを通して、日本の社会という物が障害者に対しどういう態度を取っているのかが見えてしまう。
週末の昼間で公園にはそれなりの人がいたが、誰も彼女をじろじろ見ることなく、かといって変に目を逸らすわけでもなく、成熟した大人の社会は日本からの障害者を受け入れてくれた。
彼女が心配をしていたのは試合の会場で『こんな所に車椅子で来やがって』という態度を人々から取られないかと。
いざ会場へ行ってみれば、みんなが気さくに声をかけてくれるし、車椅子用の席はメインスタンドの一番良い所。
他にも車椅子の人は何人もいたし、全身ギブスでストレッチャーに乗ってラグビーを見に来る人もいた。
オールブラックスも快勝でお客さんも大満足。
帰りの人ごみでも皆が車椅子に道を譲ってくれるのだが、それが嫌味なくごく自然にできている。
僕も普段とは違う視点でこの国の福祉というものが見ることができた。
ここの社会は障害者に対する態度と老人に対する態度が似ている。
体の弱い人に手助けをするが過保護でない。
そのバランスがうまくできているのだ。
子供に対してはどうだろう。
ここの子供は幸せだと思う。
まず受験がない。
だれでも大学に入れる。
大学に入って授業についていけるかどうかの試験はあるが、人を振り分ける馬鹿げた受験システムがない。だから習い事はあれど塾はない。
大学はあくまで勉強をする場所で、誰でも入れるがきっちりと勉強をしないと卒業できない。
そもそも学校とは、自分の能力を向上するために行くもので行きたい人は行けばいいし、行きたくない人は行かなければいいと僕は思う。
義務教育は小学校8年高校5年が基本で場所によってそれも変わる。
小学校では受験の為の勉強ではなく学び方を習う。
高校ではもっと専門的な知識を学ぶ。
学校に行かないで通信教育によって家で勉強する子供もいる。
先ず根本的なことなのだが、他人と比べるという概念がない。
自分の子供が小さい時に日本の育児雑誌を読んだのだが、それには何歳でこれができなければならない、というような線引きがとても多かった。
それを読んだ親はその線に達していなければ不安で不安でどうしようとなってしまう。
つかまり立ちができないけれどはいはいのスピードがすごく速いとか、言葉は上手く喋れないけどよく鼻歌を歌うなどといったような個性のようなものは見ないで「あれができないこれができない、どうしよう」となってしまう。
幼児になっても小学校になってもその線という物は常に存在し、そこに達していれば安心だけどそこに達していなければ落ちこぼれと見られてしまう。
その精神構造は子供から大人になっても同じで、平均というものに異様にこだわる。
たまに聞かれる質問だがこの国の平均収入はいくらか。
僕は知らないし、知ろうともしない。
自分が幾ら稼いでいるか知っているけど、他人のふとごろ具合なぞ知りたくもない。
またこの国の平均寿命はどれぐらいか。
この答も知らない。
寿命なんてものはその人がその人生でやるべき事をやり終えた時に迎えるもので、その平均なぞ出してもしょうがない。
第一生きているか死んでいるか分からないような状態でチューブに繋がれて、それで平均寿命が伸びて嬉しいのか、と思ってしまう。
自分というかっこたる個を持っていないと自分の位置が分からなくなり、平均という値で位置を知り、そこに達しているかどうかで一喜一憂する。
簡単に言うと、人と比べるのである。
ニュージーランド人は他人と比べない。
他人には他人の考え方や生き方があるということを知っていて、それを尊重する。
自分勝手とは違う個人主義という言葉があてはまるだろう。
子供で自分がどれぐらいの学力か知りたい人は、学校以外のところで任意でテストを受ける。
やりたい人はやるし、やりたくない人はやらない。
教育ママもひょっとするといるかもしれないが、僕の周りにはいないので知らない。
老人、身体障害者、子供、と社会的な立場で弱い人達を挙げてきたが、次は女性の話。
ニュージーランドでは女性の社会的地位がかなり早い時代に確立されてきた。
女性の選挙権、参政権の世界初はニュージーランドだ。
女性の政治家や大臣も珍しくなく、総理大臣も今は男性だが前政権の時には女性だった。
世界初の女性の学生もこれまたニュージーランドである。
ある統計によると女性が管理職になりやすい国の第一位がニュージーランドだそうな。
僕も今まで働いた会社のボスが女性だった所は多い。
キウィ・ハズバンドという言葉がある。
これは鳥のキウィがつがいで卵を温めるのだが、その際に雄のキウィがかなり長い間卵を温めることから、家事仕事をよくやる旦那さんのことをキウィ・ハズバンドと呼ぶ。
男の専業主夫だって珍しくない。
公務員のマネージャークラスでも、男性の出産休暇が認められている。
もちろん男が子供を産むのではないが、奥さんやパートナーの出産に合わせ休暇を取るとはキウィ・ハズバンドなのだなあと思う。
そもそも性差別は無く、男だからとか女だからとかいう考えがない。
ついでに言えばゲイの理解も深く、ゲイの国会議員もいるし、男同士や女同士の婚姻が認められている。
ここでも人には人の生き方があり、それを尊重する態度がこういう社会を作る。
これを僕は成熟した大人の社会と呼ぶ。
社会的な弱者という点では、先住民族や少数民族という民がいるだろう。
ここ数百年の歴史を見ると、白人による他の民族の蹂躙の歴史だ。
イギリスやフランスなどはアフリカから黒人を奴隷として連れてきた。
スペインはマヤ文明、アステカ文明、インカ文明を滅ぼした。
オーストラリアはアボリジニを迫害してきた。
ニュージーランドでも昔はマオリとパケハ(ヨーロッパ人の事をマオリ語でこう呼ぶ)の間で争いもあったし、今でもワイタンギ条約が結ばれたワイタンギ・デーにはあちこちで抗議行動がある。
それでも他のパケハの国々から見れば、マオリは認められている。
ちなみにマオリの人工は約40万人、ニュージーランドの全人口の十分の一だ。
先ずこの国の国歌はマオリ語と英語の歌詞があり、マオリの歌を先にそして英語を次に唄う。
これは小学校でもそうやって唄うし、スポーツの国際試合でもそうなので、ニュージーランド人ならば誰でも歌える。
社会的にもマオリの政党はあるしマオリの大臣や議員もいる。
ニュースキャスターが挨拶に使う言葉は「キオラ・グッドモーニング」とか「キオラ・グッドアフタヌーン」というようにキオラとマオリの挨拶を先に言う。
地名もマオリ語を使っている場所も多い。
有名なのはラグビーのオールブラックスが試合前にやるマオリのウォー・ダンスのハカ。
これは日本語で言えば「やあやあ、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは・・・」というようなものだろう。
マオリに限らず、ニュージーランド人ならばグリーンストーンという翡翠のネックレスをつけている人も多い。
このように社会的にも文化的にもマオリの文化と白人の文化が合わさった物がニュージーランド、という感覚である。
もちろん人種差別をする人もいるし、問題もないわけではないが、それは世界中どこへ行ってもあるもので、むしろニュージーランドはそれが少ないのではないかと思う。
それは相手を認め自分を認めるという懐の深さから来るものであり、勝ち負けという対立ではなく共生という一体感、これがワンネス。
これがこれからの世界を引っ張っていく原動力で、ニュージーランドのような国がリーダーになれば光も見えてこよう。
ニュージーランドの良い所ばかり挙げたが、この国にも悪い所はある。
もともとが素朴な人達なので一度お金に目がくらむと手がつけられないほどに意地汚くなる。
強盗はいないが泥棒や空き巣はいるし車上荒らしだってある。僕も何回か被害にあった。
人種差別をする人もいるし、ゴミをポイ捨てする人もいる。
社会保障がきっちりしているのでそれに甘えて怠ける人もいる。
ただしこういう人は世界中どこにでもいるもので、特にニュージーランドだからというわけではない。
凶悪犯罪は少なく、政治家の汚職も無く、全体としては健全な社会だと言えよう。
さて僕は若い頃からニュージーランドにいて、この国の良い点ばかり見て日本の悪いところばかりが見えてしまったときがあった。
20代前半から半ばぐらいの頃だ。
日本の社会の嫌なところばかりが目につき、自分が日本人で恥ずかしいなどと思った時もあった。
30代半ばぐらいの時、久しぶりに日本に行き新潟の古い農家で友達が集まり宴を開いてくれた。
食卓にはこごみ、ふきのとう、たらの芽などの山菜が並び、いろりで山女や岩魚をあぶり、打ち立ての蕎麦を食べて地酒を飲んだ。
その時に感じた。
家が喜んでいる。
人々が集まり楽しい時を過ごすことで、この古い建物が喜んでいる。
これが日本の文化だ。
そこに並んでいる食べ物の一つ一つに先人の知恵が詰まっている。
そこに当たり前にある酒に人々の努力がこめられている。
人々が集う家に歴史があり、建物に意思がある。
そして取り巻く自然が全てを包む。
これが日本だ。
当たり前にありすぎて見えなかったものが見えた。
一つ例をあげるとお茶。
僕は静岡の出身で近所にはお茶畑があり、当たり前に美味しいお茶を飲んで育った。
だがそのお茶が製品として出荷されるまでに様々な工程がある。
たかだか木の葉っぱを煎じて飲むというだけのことだが、お茶の葉っぱを蒸したり揉んだり乾かしたり、そういった作業の一つ一つに人間の試行錯誤があり、今のお茶がある。
そしてそのお茶を飲むというだけのことが茶道という道にもなっている。
お茶一つとってもそうなのだ。
食、器、酒、華、書、画、唄、芸、武、あげていったらきりがない。
それら全てが日本の文化であり、こんなのはニュージーランドには無い。
日本は文化に富んだ素晴らしい国だ。
そして自分はそういう国で生まれたことに誇りを持った。
ぐらぐらしていた足元が定まった。
日本の悪い所は今もあるが、良い所もある。
同時にニュージーランドの良い所もあるが悪い所もある。
一方的な物の見方でなく、多面的に物事を捉える事の大切さを知った。
そういう観点で世界を見ると、また色々な物が見える。
同時に思った。
自分がどこにいるかという事は大して問題ではないのだと。
日本人として生まれた自分が人としてどうあるべきか、そこが芯であり、それを掴んでいれば立ち位置は問題ではない。
同時に日本人が持つ自然観でニュージーランドの自然を見ると又すごいものも見える。
ルートバーンの森を歩きながら感じる自然を、遠く日本から来るお客さんと共有し共に楽しむことが、自分がここニュージーランドでやるべき事の一つなのだろうと思うのである。
今、世界はとんでもないスピードで動いている。
相も変わらず戦争は続き、人が人を殺している。
地軸はずれて、干ばつと洪水が同時に起き、熱帯で雪が降る。
地震、津波、火山、地割れ、シンクホールなどは頻繁に起きて、鳥や魚や動物達が大量に死んでいる。
経済は崩壊寸前で文明そのものが息絶えようとしている。
ノアの方舟の話は有名だがその中で、人々は洪水が来るという警告に耳を傾けず最後の瞬間まで暴行、略奪、姦淫をやめなかった。
今がその時だ。
ぬるま湯に浸っている時ではない。
今ある世のシステムの延長線上に明るい光はない。
破滅に向かって人類は突っ走っている。
崖に向かって走っているレミングを人間は笑えない。それは自分達の姿だ。
だがまだ間に合う。
僕達一人一人がエゴを克服し、自分自身を見つめ、自分にできることをする。
ただそれだけでとても簡単なことなのだが、一番簡単な事は一番難しい事でもある。
詳しくは書かないが、これからの新しい世界において日本とニュージーランドは大きな役割を果たすことだろう。
この先に何が来るのか分からない。
ただ自分は、明日世界の終わりが来るのが分かっていようと、植物の種を蒔いていきたい。
初めてニュージーランドを訪れてから28年という年月が経った。
その間いろいろな物事を見て聞いて体験した。
どっぷりとこの国にはまってしまったわけだが後悔は一切していない。
それよりもこの地の自然に、この地の人に、そして人が作り上げる社会に、エネルギーをもらうことが多い。
もちろんこの国にも問題が無いわけではない。
悪い所だってある。
僕がこの国のことを語る時、それは自分というフィルターを通して語る。
それは山のガイドをしながら自宅で野菜や鶏を育てる、日本人の奥さんとティーンエイジャーの娘を持つ男のフィルターである。
当然ながらそのフィルターは人によって違い、それを通して見た景色も違うものになる。
オークランドしか知らない人が感じたニュージーランドの感想とは、人が多くてゴミゴミした場所だそうな。
クライストチャーチの知人(友人ではない)は「ニュージーランド人は金に意地汚いヤツばかりだ」と言っていた。
友人ではないので「それはあなたの心がそうだから、あなたの周りにそういう人が集まるんだ」などという大きなお世話なことも言わない。
バケツを逆さに見れば、底が無くふたが開かない容器だ。
何を見て何を感じるかは、千差万別。
僕なりに感じたニュージーランドの大人の社会について語ってみる。
この国はもともと開拓の国だったので人々の意識にも、自分のできる事は自分でするというところがある。
古くなった道具でも丁寧に直して使う。
最近は安い中国産の物が入ってきて、直すより新しい物を買った方が安いというようになり、人の意識も変わりつつあるが、基本的に古い物を大事に使う。
クィーンズタウンの湖に浮かぶ蒸気船アーンスロー号は南半球で残っている唯一の蒸気船なのだが、年に一回ドックに引き上げてメンテナンスをしながら今でも現役で使い続けている。
百年前の蒸気船を観光用とはいえ使い続けるには、それなりの労力が必要なのである。
僕もこの船は大好きで、船が行く姿はクィーンズタウンの景色の一部だと思う。
またハイウェイを走っていると、50年以上も昔のクラッシックカーに乗った爺さんと婆さんなんかをよく見る。
二人でシープスキンの帽子をかぶりゴーグルなぞしてのんびりと走る姿はかっこいい。
その車だってきっちりと自分で整備をしながら使うのだ。
人にやらせるのではなく、自分自身でやる。これが大切。
又、僕がガイドをするスキー場はチェアリフトの代わりにロープトーという50年前のシステムを未だに使い続けている。
これはロープに引っ張られて山の斜面を登っていくもので、今でも初心者用に使う所はあるが、このシステムをメインのリフトで使っているのは世界中でもニュージーランドぐらいだ。
スキー場の世界遺産になっても良いぐらいだ。
便利さ快適さとは程遠い代物だが歩いて山を登るよりはるかに楽で、多少の不便さは人間ががんばればいいという考えが根底にある。
機械と人間の程よい関係とでも言おうか。
こういった古い道具を使い続けるには、物に対する愛がなくてはならない。
人間の行動は、人の気持ちから来る。
人の気持ちを徹底的に紐解くと、『愛』か『怖れ』しかない。
愛が原動力にある場合、それに関わる人が全て幸せになる。
誰も不幸にならない。
いや、人だけではなく物だって使い捨てにされるより長く使われる方が幸せだろう。
クラッシックカーで走る爺さん婆さんを見ると、なんとなくほんわかした気持ちになるのは彼らの愛と丁寧に使われる車の喜びを感じるからだろう。
自分の事を自分でする、という当たり前の事ができていないので世の中がこれほどまでにおかしくなってしまっているのだが、ここニュージーランドではまだまともな方だろう。
この国の老人を見ているとそう思う。
ここの老人達は元気だ。
そして自立している。
子供に面倒をみてもらう人は少なく、一人身になって寂しくなればさっさと施設に入ってしまうし、老人の一人暮らしは珍しくない。
手助けが必要な場合は家にヘルパーが来てもらうこともあるが、基本的に自分でできることは自分でやる。
子供に面倒を見てもらうなら死んだほうがましだ、くらいのことは考えているかもしれない。
老いることへの恐怖がないようにも見える。
実際に老人達からパワーをもらう事は少なくない。
僕は地元のスキークラブに所属しているのだが、そこでは70を超える爺さんが孫を肩車してスキーをする。
ロープトーなどの機械のメンテナンスも、若い者に命ずるのでなく自分が現場でやる。
そして何か聞かれれば答えるが、決して自分から自慢しない。
そうやって自分達でスキー場というシステムを作ってきた人達、老いても嬉々として現場に居続ける人達。
行動を持った人の言葉には重みがある。
そういう爺さんを見ていると恰好良いと思うし、自分もそういうようになりたいと思う。
老人は若者に夢と希望を与える存在だ。
この国には定年というものがないので、結構年を取った人でも働く。
それが生活する為にイヤイヤやるのでなく自分がまだ動けるから働く、という感じか。
スーパーなんかでも老人達がニコニコしながら楽しそうに働いている。
そういう老人達はパワーを持っているし、若い世代に良い影響を与える。
パワーと行っても体力では若い人が当然勝る。
老人と若者がいれば、力仕事などは当たり前のように若者がやり、老人は卑屈にならずにその状況を受け入れる。
そして老人は自分が出来ることをやるのだ。
ある日本のお客さんを引き合いに出す。
その人は60代半ばぐらいで、一人で2週間ほどニュージーランドに来ていた。
「自分はふすまの張替えの仕事をしてきたが、そういう仕事はもう無い。時給750円でなぞ働きたくないから生活保護をもらうことにした。生活保護を受けるには貯金がゼロでなくてはならないので、貯金を使い切るためにニュージーランドにいるのだ」
彼と話しているとエネルギーを奪われ、こういう老人にはなりたくないな、と思った。
仕事というものを、生活の為にお金を稼ぐという観点だけで捉えるとこうなるのだろう。
そしてそういう想念が閉塞した今の日本を作っていることに、本人は気がついていない。
彼とは心の繋がりはできず、負のスパイラルの切れ端を垣間見た。
状況に甘んずることなく自分ができる事をする、というのがニュージーランドのやり方で、それは老人だけでなく身体障害者を見ていてもそう思う。
ここでは身体障害者は『可哀そうな人』ではなく、『その人が持つ個性の一部』ぐらいの感覚で見られる。
もともとこの国の人は困っている人を放っておけないので、助けが要るようなら直ぐに人が集まる。
だが過保護ではないので必要以上の手助けはしないし、障害者も自立心があるのでそれを求めない。
ある障害者のツアーをやった時に聞いたのだが、日本でとある車椅子の人が道路を横切る時に車道に飛び出し故意に車を停めて「いいんだ、いいんだ、こんなの停めさせれば」などと言いながら渡ったと。
そういう人もいる。
幸いそのツアーではそういう人はいなくて良かったのだが、僕には会った事も無いその障害者の心の歪みが見えてしまう。
それは障害者という立場を利用した甘えだ。
障害者だろうが健常者だろうが、同じ社会において守るべきルールがある。
これまた別のツアーの話だが、お客さんは奥さんが車椅子で旦那さんが健常者、年は40代前半ぐらい。
ラグビーの大ファンでオールブラックスの試合を見るためにニュージーランド旅行へ来た。
ゲームの前に街の公園を散歩した時に奥さんが言った。
「こんな芝生の上でゴロンと寝転がりたいわ、ここならじろじろ見られないだろうし」
「それならやりましょうよ」
僕と旦那さんで彼女を抱きかかえ芝生の上へ運んだ。
彼女は芝生を手で撫ぜて言った。
「こんな感覚、何十年ぶりかしら」
「日本では出来ないんですか?」
「日本ではこんなことしたらじろじろ見られるので嫌です」
お客さんを通して、日本の社会という物が障害者に対しどういう態度を取っているのかが見えてしまう。
週末の昼間で公園にはそれなりの人がいたが、誰も彼女をじろじろ見ることなく、かといって変に目を逸らすわけでもなく、成熟した大人の社会は日本からの障害者を受け入れてくれた。
彼女が心配をしていたのは試合の会場で『こんな所に車椅子で来やがって』という態度を人々から取られないかと。
いざ会場へ行ってみれば、みんなが気さくに声をかけてくれるし、車椅子用の席はメインスタンドの一番良い所。
他にも車椅子の人は何人もいたし、全身ギブスでストレッチャーに乗ってラグビーを見に来る人もいた。
オールブラックスも快勝でお客さんも大満足。
帰りの人ごみでも皆が車椅子に道を譲ってくれるのだが、それが嫌味なくごく自然にできている。
僕も普段とは違う視点でこの国の福祉というものが見ることができた。
ここの社会は障害者に対する態度と老人に対する態度が似ている。
体の弱い人に手助けをするが過保護でない。
そのバランスがうまくできているのだ。
子供に対してはどうだろう。
ここの子供は幸せだと思う。
まず受験がない。
だれでも大学に入れる。
大学に入って授業についていけるかどうかの試験はあるが、人を振り分ける馬鹿げた受験システムがない。だから習い事はあれど塾はない。
大学はあくまで勉強をする場所で、誰でも入れるがきっちりと勉強をしないと卒業できない。
そもそも学校とは、自分の能力を向上するために行くもので行きたい人は行けばいいし、行きたくない人は行かなければいいと僕は思う。
義務教育は小学校8年高校5年が基本で場所によってそれも変わる。
小学校では受験の為の勉強ではなく学び方を習う。
高校ではもっと専門的な知識を学ぶ。
学校に行かないで通信教育によって家で勉強する子供もいる。
先ず根本的なことなのだが、他人と比べるという概念がない。
自分の子供が小さい時に日本の育児雑誌を読んだのだが、それには何歳でこれができなければならない、というような線引きがとても多かった。
それを読んだ親はその線に達していなければ不安で不安でどうしようとなってしまう。
つかまり立ちができないけれどはいはいのスピードがすごく速いとか、言葉は上手く喋れないけどよく鼻歌を歌うなどといったような個性のようなものは見ないで「あれができないこれができない、どうしよう」となってしまう。
幼児になっても小学校になってもその線という物は常に存在し、そこに達していれば安心だけどそこに達していなければ落ちこぼれと見られてしまう。
その精神構造は子供から大人になっても同じで、平均というものに異様にこだわる。
たまに聞かれる質問だがこの国の平均収入はいくらか。
僕は知らないし、知ろうともしない。
自分が幾ら稼いでいるか知っているけど、他人のふとごろ具合なぞ知りたくもない。
またこの国の平均寿命はどれぐらいか。
この答も知らない。
寿命なんてものはその人がその人生でやるべき事をやり終えた時に迎えるもので、その平均なぞ出してもしょうがない。
第一生きているか死んでいるか分からないような状態でチューブに繋がれて、それで平均寿命が伸びて嬉しいのか、と思ってしまう。
自分というかっこたる個を持っていないと自分の位置が分からなくなり、平均という値で位置を知り、そこに達しているかどうかで一喜一憂する。
簡単に言うと、人と比べるのである。
ニュージーランド人は他人と比べない。
他人には他人の考え方や生き方があるということを知っていて、それを尊重する。
自分勝手とは違う個人主義という言葉があてはまるだろう。
子供で自分がどれぐらいの学力か知りたい人は、学校以外のところで任意でテストを受ける。
やりたい人はやるし、やりたくない人はやらない。
教育ママもひょっとするといるかもしれないが、僕の周りにはいないので知らない。
老人、身体障害者、子供、と社会的な立場で弱い人達を挙げてきたが、次は女性の話。
ニュージーランドでは女性の社会的地位がかなり早い時代に確立されてきた。
女性の選挙権、参政権の世界初はニュージーランドだ。
女性の政治家や大臣も珍しくなく、総理大臣も今は男性だが前政権の時には女性だった。
世界初の女性の学生もこれまたニュージーランドである。
ある統計によると女性が管理職になりやすい国の第一位がニュージーランドだそうな。
僕も今まで働いた会社のボスが女性だった所は多い。
キウィ・ハズバンドという言葉がある。
これは鳥のキウィがつがいで卵を温めるのだが、その際に雄のキウィがかなり長い間卵を温めることから、家事仕事をよくやる旦那さんのことをキウィ・ハズバンドと呼ぶ。
男の専業主夫だって珍しくない。
公務員のマネージャークラスでも、男性の出産休暇が認められている。
もちろん男が子供を産むのではないが、奥さんやパートナーの出産に合わせ休暇を取るとはキウィ・ハズバンドなのだなあと思う。
そもそも性差別は無く、男だからとか女だからとかいう考えがない。
ついでに言えばゲイの理解も深く、ゲイの国会議員もいるし、男同士や女同士の婚姻が認められている。
ここでも人には人の生き方があり、それを尊重する態度がこういう社会を作る。
これを僕は成熟した大人の社会と呼ぶ。
社会的な弱者という点では、先住民族や少数民族という民がいるだろう。
ここ数百年の歴史を見ると、白人による他の民族の蹂躙の歴史だ。
イギリスやフランスなどはアフリカから黒人を奴隷として連れてきた。
スペインはマヤ文明、アステカ文明、インカ文明を滅ぼした。
オーストラリアはアボリジニを迫害してきた。
ニュージーランドでも昔はマオリとパケハ(ヨーロッパ人の事をマオリ語でこう呼ぶ)の間で争いもあったし、今でもワイタンギ条約が結ばれたワイタンギ・デーにはあちこちで抗議行動がある。
それでも他のパケハの国々から見れば、マオリは認められている。
ちなみにマオリの人工は約40万人、ニュージーランドの全人口の十分の一だ。
先ずこの国の国歌はマオリ語と英語の歌詞があり、マオリの歌を先にそして英語を次に唄う。
これは小学校でもそうやって唄うし、スポーツの国際試合でもそうなので、ニュージーランド人ならば誰でも歌える。
社会的にもマオリの政党はあるしマオリの大臣や議員もいる。
ニュースキャスターが挨拶に使う言葉は「キオラ・グッドモーニング」とか「キオラ・グッドアフタヌーン」というようにキオラとマオリの挨拶を先に言う。
地名もマオリ語を使っている場所も多い。
有名なのはラグビーのオールブラックスが試合前にやるマオリのウォー・ダンスのハカ。
これは日本語で言えば「やあやあ、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ。我こそは・・・」というようなものだろう。
マオリに限らず、ニュージーランド人ならばグリーンストーンという翡翠のネックレスをつけている人も多い。
このように社会的にも文化的にもマオリの文化と白人の文化が合わさった物がニュージーランド、という感覚である。
もちろん人種差別をする人もいるし、問題もないわけではないが、それは世界中どこへ行ってもあるもので、むしろニュージーランドはそれが少ないのではないかと思う。
それは相手を認め自分を認めるという懐の深さから来るものであり、勝ち負けという対立ではなく共生という一体感、これがワンネス。
これがこれからの世界を引っ張っていく原動力で、ニュージーランドのような国がリーダーになれば光も見えてこよう。
ニュージーランドの良い所ばかり挙げたが、この国にも悪い所はある。
もともとが素朴な人達なので一度お金に目がくらむと手がつけられないほどに意地汚くなる。
強盗はいないが泥棒や空き巣はいるし車上荒らしだってある。僕も何回か被害にあった。
人種差別をする人もいるし、ゴミをポイ捨てする人もいる。
社会保障がきっちりしているのでそれに甘えて怠ける人もいる。
ただしこういう人は世界中どこにでもいるもので、特にニュージーランドだからというわけではない。
凶悪犯罪は少なく、政治家の汚職も無く、全体としては健全な社会だと言えよう。
さて僕は若い頃からニュージーランドにいて、この国の良い点ばかり見て日本の悪いところばかりが見えてしまったときがあった。
20代前半から半ばぐらいの頃だ。
日本の社会の嫌なところばかりが目につき、自分が日本人で恥ずかしいなどと思った時もあった。
30代半ばぐらいの時、久しぶりに日本に行き新潟の古い農家で友達が集まり宴を開いてくれた。
食卓にはこごみ、ふきのとう、たらの芽などの山菜が並び、いろりで山女や岩魚をあぶり、打ち立ての蕎麦を食べて地酒を飲んだ。
その時に感じた。
家が喜んでいる。
人々が集まり楽しい時を過ごすことで、この古い建物が喜んでいる。
これが日本の文化だ。
そこに並んでいる食べ物の一つ一つに先人の知恵が詰まっている。
そこに当たり前にある酒に人々の努力がこめられている。
人々が集う家に歴史があり、建物に意思がある。
そして取り巻く自然が全てを包む。
これが日本だ。
当たり前にありすぎて見えなかったものが見えた。
一つ例をあげるとお茶。
僕は静岡の出身で近所にはお茶畑があり、当たり前に美味しいお茶を飲んで育った。
だがそのお茶が製品として出荷されるまでに様々な工程がある。
たかだか木の葉っぱを煎じて飲むというだけのことだが、お茶の葉っぱを蒸したり揉んだり乾かしたり、そういった作業の一つ一つに人間の試行錯誤があり、今のお茶がある。
そしてそのお茶を飲むというだけのことが茶道という道にもなっている。
お茶一つとってもそうなのだ。
食、器、酒、華、書、画、唄、芸、武、あげていったらきりがない。
それら全てが日本の文化であり、こんなのはニュージーランドには無い。
日本は文化に富んだ素晴らしい国だ。
そして自分はそういう国で生まれたことに誇りを持った。
ぐらぐらしていた足元が定まった。
日本の悪い所は今もあるが、良い所もある。
同時にニュージーランドの良い所もあるが悪い所もある。
一方的な物の見方でなく、多面的に物事を捉える事の大切さを知った。
そういう観点で世界を見ると、また色々な物が見える。
同時に思った。
自分がどこにいるかという事は大して問題ではないのだと。
日本人として生まれた自分が人としてどうあるべきか、そこが芯であり、それを掴んでいれば立ち位置は問題ではない。
同時に日本人が持つ自然観でニュージーランドの自然を見ると又すごいものも見える。
ルートバーンの森を歩きながら感じる自然を、遠く日本から来るお客さんと共有し共に楽しむことが、自分がここニュージーランドでやるべき事の一つなのだろうと思うのである。
今、世界はとんでもないスピードで動いている。
相も変わらず戦争は続き、人が人を殺している。
地軸はずれて、干ばつと洪水が同時に起き、熱帯で雪が降る。
地震、津波、火山、地割れ、シンクホールなどは頻繁に起きて、鳥や魚や動物達が大量に死んでいる。
経済は崩壊寸前で文明そのものが息絶えようとしている。
ノアの方舟の話は有名だがその中で、人々は洪水が来るという警告に耳を傾けず最後の瞬間まで暴行、略奪、姦淫をやめなかった。
今がその時だ。
ぬるま湯に浸っている時ではない。
今ある世のシステムの延長線上に明るい光はない。
破滅に向かって人類は突っ走っている。
崖に向かって走っているレミングを人間は笑えない。それは自分達の姿だ。
だがまだ間に合う。
僕達一人一人がエゴを克服し、自分自身を見つめ、自分にできることをする。
ただそれだけでとても簡単なことなのだが、一番簡単な事は一番難しい事でもある。
詳しくは書かないが、これからの新しい世界において日本とニュージーランドは大きな役割を果たすことだろう。
この先に何が来るのか分からない。
ただ自分は、明日世界の終わりが来るのが分かっていようと、植物の種を蒔いていきたい。
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