あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

山小屋が来た。

2014-10-28 | 
山小屋という男。
もちろん本名ではない。
北海道で『ガイドの山小屋』というガイド会社を営み、バックカントリーのスキーガイドをする男で「山小屋さん」とか「山小屋」とか呼ばれている。
この人は毎年自転車で長距離の一人旅をして心と体を鍛えていて、オーストラリア縦断5000キロとかニュージーランド南島一周3000キロの旅とか、そんな事をやっている。
ヤツとの付き合いもかれこれ8年ぐらいになるか。
ある時にひょんなことからヤツのホームページを見つけ、その内容にそのまま同調。
連絡を取り合い、クィーンズタウンのユースにヤツが滞在している時に押しかけ、そのままユースの庭で七輪焼肉をやり、そのまま兄弟の杯を交わした。
それ以来、ニュージーランドに来る時にはクライストチャーチの我が家から旅を始め、クィーンズタウンでは僕がフラッティングしている家でしばらく留まり、クライストチャーチの僕の家から去る、というようなつきあいだ。
ヤツとは同じ年で背格好も似ており、山のガイドという共通点がある、がそれだけではない何かがある。
波が同調する時に余計な言葉は要らない。
心の奥で繋がる物を感じ、そこに意識を向けて相手と接する。
生まれ育ち、家庭、職場、その他もろもろの相違点もあり、考え方に違うところもあるが深い所で繋がることができたこの男を僕は兄弟と呼ぶ。

ヤツが最後に来たのは3年前。
それからもメールやブログのコメント、たまに電話をしたりとつきあいは絶えずに、互いに自分がやるべき事をやっていた。
ずいぶんとやられているなあ、と感じたのはこの日本の夏だった。
ヤツのところは7月8月の2ヶ月が一番忙しい時なのだが、最近は大陸系の中国人が大挙押しかけるようで、トイレを壊されたり、無理難題をふっかけられたり、お客さんでもない人にゴミを駐車場に捨てられたりとか、まあいろいろと気苦労が絶えないようだ。
遠くに居てもソウルブラザーの兄弟である。
そういう人達にエネルギーを奪われているんだ、という事が僕にもひしひしと伝わってきた。
「がんばれよ、兄弟」心の中で僕はつぶやき、ヤツは多忙な夏を乗り切り、そしてニュージーランドにやってきた。
3年ぶりの我が家である。
ヤツも最初は遠慮をしたのだろうな。
卵が大好きだが食べたいと言いづらかったのだ。
「なんだよ、お前、卵が食いたかったら食いたいって言えよ。こんなにたくさんあるのに」
「いやさ、北村家の物だからさあ」
「まだ分かってないのか?オレの物はオマエの物。オマエの物はオマエの物。ここはオマエの家でここの食い物は全てオマエの物でもあるんだぞ。一々聞かないで何でも好きなものを食え。」
「そうか、分かった。遠慮なくもらう」
「それでよし」
遠慮をする人は追い出すというのが我が家の家訓である。









遠くから兄弟が来たのである。
そりゃ厚くもてなすわな。
まだ夏の仕事の前で時間に余裕もある。毎日毎日、日替わりでいろいろな所へ連れ回すのだ。
まずはリカトンのサンデーマーケット。
行ったことがあるかと思いきや、「ない」と言うので家族で一緒に行ってみた。
ぼくらにとっては当たり前にあるものでも、旅行者にはご馳走である。
物を捨てないニュージーランドの、観光者向けの体裁を整えた面ではなく、地元の人が集うマーケットである。
ガラクタも多いが、男心をくすぐるような物も多い。
案の定、ヤツは大喜びである。
そして平日は庭仕事の手伝い。
ヤツの今回の課題は門を直す事。
うちの門が古くなりガタがきている。
3年前にヤツが来た時にある程度の修理をしてくれてのだが、また壊れてしまった。
壊れたと言ってもなんとか使える程度なのだが、何かしらの手を入れなければならない。
僕は自分が直すイメージは湧かず、ヤツが来るのを待っていたのだ。
先ずはリサイクルのエコショップや建築廃材の店を回り門に使えそうな物を探す。
こういった店も自分でやらない人には「ふーん」で終わってしまうだろうが、自分で何でもやる人には宝の山だ。
そこでおあつらえ向きの門を発見。お値段は$15、即決。毎度あり~、ちーん。
次にニワトリの小屋に使うオガクズを買いにガーデンセンターへ。
トレーラーをその場で借りて、ホイールローダー一杯分のオガクズを積んでもらい、家へ運ぶ。
オガクズはニワトリ小屋と産卵の小部屋に敷き詰め、余った物を袋に詰めて保管。
空になったトレーラーに木の枝を切ったものを満載して、ゴミ処理場へ行って捨てる。
ついでに家の物でリサイクルできる物もそこで引き取ってもらう。
作業を兼ねた社会見学である。
「どうだ兄弟?ここの社会のシステムはいいだろ?」
「うん、いい。あー、今日はすごい癒されたよ。」
「癒されたか。そりゃよかった。」
見る人が見れば、この社会の合理性というものが分かる。
僕がよく言う『成熟した大人の社会』というやつだ。
それを経験させることが僕流のもてなしでもある。
もてなしをするがお客さんではない。
餃子の皮を作り、深雪がそれを包む。
二人で仲良く作業をしているのが微笑ましい。
庭の門も直してもらったし、芝刈りもやってもらった。












天気の良い日には軽く近所の山へ犬を連れてハイキング。
ここは牧場の中を歩くのだが、犬専用のゲートがあり、人間と一緒でないと犬が入れないようになっている。
こういうシステムが好きだ。
山からの下り道ではワラビを発見。
そういえば去年もこの場所でワラビを取ったな。
二人でガサガサと収穫。これは山小屋があくを抜きキンピラ風に煮付けた。絶品。
山を歩けば犬も喜んでついてくるし、人間も気持ちよく汗を流した後はビールも美味い。
運動をした翌日は御馴染みオノさんの整体でボキボキとやってもらう。
僕はこれから夏の仕事で体を使うし、山小屋はこれから何千キロも自転車で走る。
その前に体を整えておこうと二人連続でやってもらうのだが、一人はギュウギュウやられてウーとかアーとか言い、もう一人は観客でそれを見るわけだ。
オノさんも観客がいるほうが乗るのかそれともサービス精神か、いつもより痛い時間が長いぞ。
二人でフラフラになり、オノさんも仕事を終えて一緒に飲むビールが又美味い。

続く

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