あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

体のメンテ

2016-06-11 | 
季節が移り行く中、南半球では着々と冬に向かっている。
僕は夏は山歩きや観光、冬はスキー関連の仕事をするのだが、その合間にはいろいろとやることが目白押しだ。
庭仕事ももちろん、保存食や石鹸を作ったりという生活のための仕事はいくらでもやることがある。
そして来たるべくスキーシーズンに備えて用具の点検整備、そして体もである。
1年に2回、僕は近所のオノさんという整体指圧の人にボキボキとやってもらう。
以前もブログには書いたのだが、この人の施術は痛いのである。
どれぐらい痛いかというと、大の大人が泣きわめき叫び声を上げるぐらい。
普通のマッサージだと「あ、そこ痛い」と言うと力を緩めてくれる。
ところがオノさんの場合「あ、そこ痛い」などとと言おうものなら
「そうだろうな、痛いだろうな。痛いだろうけどこの奥はもっと痛いんだよ、ほら」
なんて話しながら、奥のツボをグリグリとやる。
僕は台の上で七転八倒したいところだが、押さえられているので動けず足をバタバタするのだ。
今は変わりつつあるかもしれないが、西洋医学というものは基本的に悪いところだけを診る。
膝が悪かったら膝だけを診るのだし、腰が悪かったら腰だけを診る。
どこも悪くなかったら、診るところが無いので診ない。
オノさんは悪いところも診るが全体を診る。
オノさん曰く、人はみんな悪くなってから治してくれって来るんだけど、悪くなってから治すより悪くならないように施術をする方がよっぽどいい。
言いえて妙、理にかなっている。
僕は腰が悪く、昔はぎっくり腰をやって何週間も動けなかったこともあったし、真っ直ぐに立てないような時もあった。
オノさんと出会ってから8年になるが、ひどい腰痛は無くなり、何とかやっている。
なので僕は年に2回、時間を見つけて通うのだ。
風邪をひいた時に無理にこじらせるより、風邪のひき始めにさっと治してしまう方がいいし、何より風邪をひかない方のがベストだ。
予防医療とでも言うのか。
仕事が忙しく疲れてくると腰もそうだが体全体が強張る。
そんな時に体中ボキボキやってもらうと、痛くて気持ちよく、グニャグニャになる。
なんといってもその後のおしっこが気持ちよい。
なんか体の毒素が洗い流されるような、そんな感覚である。

以前、ここに住むMさんという人とオノさんの施術について話したことがある。
僕の話を聞いてMさんはこう言った。
「じゃあ、あなたの身体においてオノさんがいなくなったら困るじゃないか」
うーん、困ると言えば困るんだろうけど、ちょっと違うかな。
困ると言うなら、Mさんの外的に要因を持ってくる考えの方が困る。
それはあたかもオノさんに依存しているように捉えられてしまったのだ。
依存をするのではなく、今ある状況で1年に2回ぐらいやってもらうのが自分の身体にベストなのでやってもらう。
いなくなったら?そりゃ相手も人間だからいつまでもやっているわけでもなかろうに。
なくなったらなくなった時に考えて、その時のベストを選択をすればいいだけの話だが、こういう人とは話がかみ合わない。
外に要因を見出す人は外ばかりを見て、内を見ない。
内とはすなわち心、意識である。
自分の身体を自分で治すワークショップ、というのを先日、友達の星子が来た時に彼がやったのだが、根底で繋がっている。
そこにあるのは自分の意思、それも確固たる意思であろう。
その意識がなければ、痛い所があればお医者様に診てもらって治してもらうとか、薬で症状を抑えるというような外的に頼るやり方になるだろう。
そして良くならなかったら、良くならないと文句を言うのだろう。
人間というのものは、自分で自分の身体を治す力を持っている、と星子は言う。
確かに僕もそう思う。
そう思うのだが、自分でできないこともある。
背中のツボをグリグリとやるのはできない。
これは逆立ちしても、天と地がひっくり返ってもできないものはできない。
本人だって言っていた「俺は自分で自分の身体をできないんだよな。たまに他の人にやってもらうんだけど、『ああ、いいな、もうちょっと深く』という所でやめちゃうんだよ、みんな」
本人でさえできない所、それをオノさんにやってもらうのだ。
それは依存ではなく、意思による選択である。
たぶん他の患者さんもそうなのだろうが、その意思があるからわざわざお金を払って痛い思いをしにオノさんの所へやってくる。
いや、まあ、痛いのを求めて来るわけではないだろうな、SMクラブではあるまいに。
その人の身体にベストだと知っているから、痛いのがあるのを承知で来るのだ。
だから来ない人は1回で来なくなると言う。
まあ、それもありだろうな。
AさんにとってのベストがBさんにとってのベストではない。
ちなみにMさんとは今はつきあいはない。
波が合わないとはこういうことなんだろう。

オノさんとはまあ波も合い、プライベートでもつきあいはある。
オノさんちのペンキ塗りを手伝ったり、引越しの手伝いをしたり、うちへご飯を呼んだり、家族共々のお付き合いである。
お付き合いと言えば、年に2回の施術の後は二人でビールを飲みに行くのが習慣になっている。
オノさんもそれを楽しみにしているところがあり、僕の予約はいつもその日の最後だ。
1日の終わりに僕をボキボキやって、その後オノさん行きつけのパブでビールを飲む。
グニャグニャになったところに冷たいビールをキューっと。
ビールはジャグで頼むのだが、このパブはジャグもキンキンに冷えている。
ジャグとは1リットルぐらいの入れ物で、日本だとピッチャーなどと言うがここではジャグと言う。
ビールを買うのがこれが一番安いのだが、クィーンズタウンあたりの洒落た店では最近ジャグを置いていない店が多い。
そしてまたお決まりで、つまみは塩ピーナッツ。
席はいつも競馬中継をやっている場所、別に賭けるわけではないがそこが定位置なのだ。
二人で近況報告やら、あーだこーだ話しながらビールを飲む。
一杯目はスパイツを飲み、二杯目はハーフアンドハーフ。
半分はオリジナルを入れてもらい、残り半分は黒。
オノさん曰く、これは同じ会社のビールでやらなけらばダメだそうな。
ここのパブでオノさんがそれを注文したらみんなが真似をしてやりだしたと言う。
確かにダークほど濃いのはいらないな、というときに半分ぐらいのコクがあるというのはいい。
お店にしても値段が変わるわけではないので、イヤな顔をせずにやってくれる。
そうやってビールを飲んでいるとおしっこが近くなる
連れションでトイレに行くといつも8年前を思い出すのだ。
まだオノさんとの臭い関係もまだ続くだろうな。





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