あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

下ネタ

2011-03-10 | 日記
今回は下の話である。
下の話となるとネガティブなイメージがつきものだが人間が生きていくには避けては通れないものでもある。
今回の地震では水が止まり、トイレに不自由をする人が数多く出た。うちもそうだ。
市長もテレビの会見でトイレの話をすることが多かったのだが、ある人のサイトではそれを揶揄するようなことが書いてあった。
そいつはオークランドで飲み水にもトイレにも不自由することなく生活をしているのでそんなことを書くのだろう。
どこの世界でも自分の置かれている状況に甘え、好き勝手なことを言うヤツはいるものだ。

人間が生きていくうえで先ず大切な物は空気そして水、次いで食料。次に睡眠。
そして飲んだり食ったりしたら出るものもある。排泄だ。
もちろん動物のようにその辺で全て済ませてしまう手もある。
隣の猫のように、わざわざ人の家の家庭菜園でするヤツもいるが、それは動物の話だ。
人間が人間らしく生きてうえでトイレをどうするかは、人間性に関わってくる。
特に都市という数多くの人が住む場所では切実な問題だ。
ほとんどの都市では上水道と下水道というものがある。
今回の地震では配管が壊れ、上水道と下水道が混ざってしまう恐れがあった。そうなると上水が汚染されてしまう。
なので地震直後は市長が口を酸っぱくして「トイレを流すな」と言った。
まあ水が来なければ流しようもないのだが、水が来れば人は「自分のところぐらい」と思って流してしまう。
一度汚染されたらそれを復旧するのにも多くのエネルギーを必要とする。
そうならないようあらかじめ予測して、被害を最小限に食い止めるというのも大切なことなのだ。

地震直後の混乱の中でいろいろな問題が浮き上がったことだろう。
生存者の救出は一番ドラマチックでニュース性もあるのでマスコミにも取り上げられる。死ぬか生きるかという人を助けるのは最優先のことだ。
それと同時に怪我人の手当て、電気や通信の確保、飲み水の確保、住むところを失った人への対応、火災防止、交通網の復旧、倒壊した建物の処理、混乱に紛れて犯罪が起きないよう治安の強化などなど、そして下水だ。
やることは山ほどある、しかも同時にである。
市長ボブ・パーカーはそれこそ、てんやわんやの大忙しだったに違いない。
それでいてあれだけのバイタリティー。見ている人に力を与える姿はたいしたものだ。
今回のことでボクはボブ・パーカーという人のファンになってしまった。

トイレがダメなら自分でなんとかしよう。
この国は開拓の国だ。
自分でできることをする、自分がやるべきことをする。そんな気風がある。
ボクも前回の地震でトイレが使えなくなったときには庭に穴を掘った。
永久的にではないだろうから、復旧するまではそこで何とかしようという思いがあった。
今回の地震でも多くの人が庭に何かしらのことをして、自分の排泄物を処理したことだろう。
そしてそして、この国の人達はユーモアも忘れない。
排泄という普段なら隠すようなこと、穴を掘って埋めるだけのことも、ユーモアと共にネタにしてしまう。
こんなウェブサイトもでてきた。
http://www.showusyourlongdrop.co.nz/
ボクはこれを見て拍手喝采。素晴らしいと思った。
いろいろなアイデアがあり、そこにあるもので自分のトイレを作る。
それをまたコメント付で写真を載せ、さらにランキングまで作ってしまう。
このネーミングとコメントがなかなか面白く、深雪も感心して見ていた。
悲壮感は全く無い。あるのはユーモアと状況を受け入れる前向きな姿勢だ。
ともすれば暗くなりがちな災害の現場で、トイレという物につきもののネガティブなものをプラスの方向へ持っていってしまう。
ユーモア。これこそ人間が持つ強さである。
今だから、こういう時だからこそユーモアが必要だ。ボブ・パーカーもそう言っている。
ボクはこういうアイデアが生まれる街に住むことを誇りに思う。
今では水もほとんどの所で復旧し、トイレも流せるようになったがまだ100%ではない。
だがこのセンスとユーモアがあればこの街はやっていける。
これからどうこの街が変わっていくか、みんな見ていてくれ。
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日々の幸せ。

2011-03-08 | 日記
ボクの日課は深雪を学校に迎えに行くことである。
普段はガイドとしてお客さんを案内をしている街が、娘が学校に通うことにより別の街に見えてくる。新たな発見だ。
暑い日の帰りには一緒にアイスクリーム屋に立ち寄る。観光客の町とあってアイスクリーム屋も高級志向だ。旨そうなアイスが並び、深雪がどれにしようか迷っていると店員が試食をさせてくれる。
確かに美味いが値段も観光客向けである。毎日は食えないが、たまにはこういうのもよかろう。

昨日は学校の後、プールへ行った。
平日の午後はガラガラで、レーンのプールで300mほど一緒に泳ぐ。
深雪はボクの子供の頃よりよっぽど泳げる。
白状するが、ボクは子供の頃は泳げなかった。
まず水の中で目を開けられなかったし、息継ぎの仕方を知らなかった。
水面から上に顔が出たときに息を吐いて吸わなければならないと思っていた。
当然、うまくいくわけがない。苦しくてバタバタともがいてしまう。力が入りっぱなしなので長く泳げるわけがない。25mを泳ぐ頃にはゼーゼーと疲れ果ててしまう。なのでプールは嫌いだった。
だが海は好きだ。
水中眼鏡、シュノーケル、足ひれがをつけてのシュノーケリングは大好きだ。日本の夏に、何mか潜って貝を獲ったり魚をモリで突いたりしたこともあった。
タヒチやフィジーではサンゴ礁の海で何時間もシュノーケリングを楽しんだ。
それでもプールは水遊び程度で、レーンで泳いだことはなかった。
そして今回、この歳になってやっと、水の中で空気を吐けばいいことに気がついた。
呼吸が楽になると力が抜ける。ゆっくりと深雪のペースに合わせて泳ぐのは悪くない。
新しい発見である。
25mごとに止まって話をする。何本か一緒に泳ぎ、次は課題を与える。
「よしじゃあ次は休まずに一往復しよう。泳ぎ方は何でもいいぞ。」
ボクが見ていると深雪はゆっくりではあるが確実な泳ぎで50mを泳いだ。
「すごいすごい。よく頑張ったな。お父さんはオマエの年ではこんなに泳げなかったんだぞ。エライ!」
父親の役目とは子供にハードルを与え、それを乗り越えた子供を全力で褒めてあげることだ。
子供は自信をつけ、さらに高いハードルへの挑戦となる。
今回は200m泳ぐという目標だったが、深雪にはできるという自信がなかった。開けてみれば300m楽々と泳いでしまった。やればできるのだ。
こうやって正確な数字で出ると、さらにやる気が出ることだろう。
大人の指導者に必要なことは子供を褒めてあげることだ。そうすれば子供はいくらでも伸びる。
楽しい時間も必要だ。
流れるプールやレクレーションプールで一緒に遊ぶ。トモ子さんのところのニキも一緒に遊ぶ。
遊ぶ時には全力で遊ぶ。
シンクロナイズドスイミングの真似事をしたり、ビート板でボールを打ったり、どれだけ長い間水の中に潜るか競争したり。
その時ごとに集中して全力で遊ぶ。笑いは常に絶えない。
地震のおかげで親子でこういうことをする時間が持てた。

夜は夜で、寝るときに娘の寝顔を見れるのが今の一番の楽しみである。
なんで子供の寝顔はあんなに可愛いんだろう。
全ての親がそうなのだろうが、ボクにとって深雪の寝顔は世界一可愛い。
こんな可愛い娘と一緒に寝ることができるなんて、ボクは幸せ者だ。女房には申し訳ないが。
どうせ、あと何年かすれば一緒になんか寝てくれなくなるのだから、今この時を味わわせてもらおう。
ほお擦りをしたらヒゲがチクチクするのだろう。ほっぺたをボリボリかいていた。
今日は深雪はニキと一緒にキッズ・ヨガ。
これはトモ子さんが連れて行ってくれるし、明日はみんなでフリスビーゴルフへ行くことになっている。
毎日日替わりでイベント盛りだくさんだ。
毎晩寝る前にはみんなで「未来少年コナン」を観るのも楽しみである。

自分自身を地震の被災者とし『可哀想な被害者』を演じてはいけないと思う。
楽しむということは悪いことではないが、時に人は楽しむことに罪悪感を感じてしまう。
「クライストチャーチでは大変な思いをしている人がまだいるのに、自分がこんなに楽しんでいいのか」というように。
それは罪悪感を持つということが間違いなのだ。
今自分にできることは遠く離れた場所でも、そこにいる人達のことを考えながらでも、この状況を楽しむことだろう。
今だからこそ、そうなのだ。
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地震後の暮らし

2011-03-03 | 日記
今回の地震から1週間が過ぎた。
地震という地殻変動はそこに住む人だけではなく、周りの地域にも影響を及ぼしている。
ボクの身近なことで言えばツアーのキャンセルが相次ぎ、仕事が全くなくなってしまった。
ボク自身で言えば、全てを受け入れる心の準備はできている。じたばたしてもどうにもならないし、「しゃあないやん」と気楽に構えている。
なので娘の送り迎えをしたり、庭の手入れをしたり、納豆を作ったりして毎日を過ごしている。
普段はなかなかできない、娘と共に過ごせる時間という物を楽しんでもいる。

深雪はクィーンズタウンの小学校へ通い始め、ボクもそこに足を運ぶことが多いのだが、今まで見えなかった物も見え始めた。
ある日、深雪が興奮して言った。
「学校のグラウンドにパラシュートが降りて来たの」
学校のそばにはゴンドラがあり、その上から観光客とインストラクターの二人組みのパラグライダーが、天気の良い日は次から次へと飛び立つ。
パラグライダーは学校のグラウンドに着陸する。
学校の校庭にパラグライダーが降りて来るなんて、こんなのはクライストチャーチの学校ならば考えられない。いやクライストチャーチどころかNZ全国だってないだろう。娘が目を丸くして言うのも無理はない。
リゾートタウンの小学校とはこういうことなのだ。
ボク自身、20年以上もこの街を知っているのだが、こういう観点でこの街を見たことはなかった。
これも地震の影響か。

スクールバスで通うというのも深雪には初めての経験だ。行きはスクールバスで行き、帰りはボクが街の用事を済ませ一緒に帰ってくる。
クライストチャーチの深雪の通う学校にはスクールバスがないので親が車で送り迎をする。
ここはほとんどの子供がスクールバスで通うのだろう。学校の前にはバスの駐車スペースがあり、何台もバスが並ぶ。
深雪を迎えに行き、道路を渡ろうとしたらスクールバスが出てくるところだった。
「深雪、見ろ!運転しているのはキヨミちゃんだぞ」
「キヨミちゃんって、この前会ったキヨミちゃん?」
ほんの数日前、僕らは大勢で森を歩きに行き、キヨミちゃんの家で一緒に昼飯を食べたのだ。
「そうだ。あのキヨミちゃんだよ」
「うわあ、カッコいい~」
小柄な彼女が運転するとバスがよけいに大きく見える。
深雪は手を振り、キヨミちゃんもにこやかに手を振りバスは去った。
小さな町だとこういうこともよくある。

直ぐ近くには図書館もある。
カウンターには張り紙があり、クライストチャーチからの来訪者はご連絡ください、と。
自分達がそうだと告げると、すぐに深雪用の図書カードを作ってくれた。
学校の編入手続きといい、図書館の対応といい、公共の施設の対応が速い。
普段と違う物事が起こった時に、現場で何ができるかという事を個人や組織が判断し行動を起こせる。
これがニュージーランドの良いところだ。
大人の社会とはこういうことだと思う。

クライストチャーチでは今も復旧活動が行われている。
我が家では水が戻ってきた、と妻から連絡があった。
だがこの瞬間も家に戻れない人は多数いるし、トイレやシャワーを使えない家も少なくない。
まだまだ地震の爪あとは残るだろうが、ポジティブな面もネガティブな面も全てを受け入れることが自分のやるべきことの一つでもあると思っている。
そして光は常にそこにある。

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