7月20日
撮影初日。
朝も暗いうちにホテルを出た。
美術班の車はスバルレガシー。
新しいタイプでセミオートマとでも言うのか、オートマだがマニュアルモードもありギアもスピードに合わせ6段変速できる。それもギアチェンジの場所がF1のようにハンドルの裏で指でカチカチと変速するのだ。
今時の車はすごいなあ。
下り道でエンジンブレーキを効かせたい時などギアがちょうど良いところで収まり、山道の上り下りに大活躍した。
現場は雪の山道、クロムウェルから30分ぐらいか。
普段ならもっと雪が深く車で登るのも大変な場所だが今年はここでも雪不足。チェーンも付けずに登れた。
さて撮影現場に着いて何をやるか分からずウロウロしていると、そのうちに色々と頼まれるようになる。
水を10リットル持ってこいだの、アレを運べコレを運べだの、エキストラを何人運んでくれだの。
まあ、ボケっとしているより何かをやっている方がいいか。
そんなことをやっているうちにボスの鈴村さんに呼ばれた。
「聖さん、もういいですから車を出してください。」
撮影はまだ続いている。
「へ?もういいんですかい?」
「ええ、もうここでは用は無いので次の現場へ行きましょう」
僕は車を出して、撮影現場を後にした。
さて、撮影における美術とはどういうものか、僕は全く知らなかった。
僕同様、知らない人のために書くと、どうやら美術とは大道具や小道具を管理する人で現場を作る仕事と言ってもよいだろう。
美術班が先ず現場に入りセットを用意して、映像や音声や照明などが準備を済ませ、俳優がやって来て映像を撮るという流れなのだ。
言われて見れば当たり前と言えば当たり前だが、知らない人には未知の世界である。
だから美術班は撮影が始まると小道具など必要な人を残して、次の現場、そしてまた次の現場へと先回りしてセットを作っていく。
撮るシーンの時代背景や場所に合わせた物を用意して、そこに一時的にせよ『場』を作る。
だから昔のシーンでは古臭い道具などを集め、現代の物は外すか隠す。
南米のシーンではスペイン語の看板を用意して、英語の看板を隠した。
そういう事を繰り返しながら撮影隊より先に動いていき、同時に撮影の現場にも立ち会ってと、とても忙しい部署だ。
ホテルへ一度戻り、準備をして次の現場へ。
次の現場は国道脇のフルーツショップ、ホテルから車で3分だ。
そこではすでにキウィのスタッフが現場入りしていて作業をしていた。
ここでは僕が通訳となってボスの指示を与え、手伝ってセットを作る。
先ほどの現場ではニュージーランド人の通訳がいたので僕は単なるドライバーだったが、ここからはこうやって美術監督とニュージーランドのチームと一緒に働くのか。
やっとこさ、流れが見え始めた。
キウィのチームと一緒に働き始めてしばらくしてヤツの存在に気がついた。
どこかで見たことがあるぞ、この大男、誰だっけなあ、そうだサイモンだ。ヒゲを伸ばしていたから分からなかった。
僕は彼と二十年来のつきあいで昔はよく一緒にビールを飲んだ古いスキーの友達である。
近況を聞くと、首をケガしてしばらく入院して、女房と離婚して娘を連れてかれ財産をほとんど持っていかれたと言う。
「鈴村さん、こいつ僕の古い友達で久しぶりに会ったんだけど、重い話を聞いちゃいましたよ」
「どうした?女房に逃げられたってか?」
「よく分かりますね。それで娘と資産の8割を持っていかれたんだって。元の嫁さんがイギリス人だから8割持ってかれたって、ニュージーランド人だったら五分五分なんですって。ホントかなあ? おまけに首を大怪我して何ヶ月も入院していたって・・・」
「そんな話は重くならずに笑ってあげな。サイモンに言ってやれ、俺なんか借金だらけだよ、しかも億単位でな、ワハハハ」
サイモンにそれを伝えると笑ってバカ陽気に手を上げた。こいつのいいところは暗くならない所だ。
同時に僕はボスの事も少し好きになった。
「そんでサイモン、別れた女房はイギリスへ帰ったのか?」
「いや、クィーンズタウンにまだいる。2歳になる娘も女房が連れて出てな、でも法律で子供はここクィーンズタウンからまだ離れられないんだ。あいつ(女房)はどこへでも行けるが、子供を連れて行くことはできない。ざまあみろだぜ、グフフ」
こいつも笑う時はグフフと笑う。
「そりゃ・・・よかったな・・・」
「それにな、雪が降ると娘が『ダディ、スキーへ連れてって』って言うんだぞ。グフフフ」
あーあ、ここでもスキーバカの親子がいる。
クロムウェルのフルーツショップでは50年代のアメリカの市場の設定である。
年代物のレジスターや計り、古臭いポスターなどを貼り、現代のライトや装飾品を隠す。
設定が市場なのでキャベツやシルバービートや人参などの野菜を並べる。
ちなみにこういった野菜も全部買うのだそうな。そりゃ金もかかるわけだな。
昼食を挟み、作業をしているうちに冬山のシーンを取り終えた撮影本隊がやってきて、作りたての市場の中でカメラなどのセットを始めた。
準備ができた頃、俳優達を乗せた車が着く。
何をやればいいのか分からず、ウロウロしていると又ボスに呼ばれた。
「聖さん。ここはもういいですから次に行きましょう」
そして次の現場へ向かった。
次の現場はプールバーン。
ボスは何回も行っているが僕は初めてだが、あらかじめ地図をもらっているので大丈夫だろう。
クロムウェルから車で一時間ほど、セントラルオタゴのど真ん中、荒野である。
この辺りは10年以上前になるか、レイルトレイルで3日間自転車を走らせたこともあるし、時々仕事でも近くを通る。
延々と荒野のような牧場が続く殺風景な景色、これぞセントラルオタゴ。
「しっかし、まあ、よくこんな場所見つけるね」と思うような場所がロケ地である。
スパイツの宣伝にも使えそうな景色の中、車を走らせる。
そんな荒野の真っ只中に家がポツリ。その前に500坪ぐらいのきれいな畝の畑がある。
今回の為に作ったセットだ。
そこでは大工が何人も忙しそうに働いていた。
現場に着いたが、ボスの表情が渋い。
どうやら予想より大幅に遅れているようだ。
家の壁の下あたりなんて、やっつけ仕事だから隙間ができている。
ボスが自らスコップを持ち地面を掘り出した。近くのギャップを削り家の壁の隙間に土を入れる。
親方自らやってるのに自分が見ているわけにはいくまい。僕もスコップで掘り出した。
僕は土方の経験もありこういう作業は苦にならない。どちらかというと好きだ。でなかったら庭で野菜なんか作れない。
せっせと土を掘る間に太陽は西の空に沈み綺麗な夕焼けになった。
だが親方の心境はそれどころではないだろう。素人の僕が見ても「明朝の撮影、大丈夫ですか?」と聞きたくなってしまうぐらいだ。
しかも、この後ゲートを作るという仕事も控えている。
大工とゲートの位置を再確認、そこを今晩中にやってもらって、明日は朝7時から始めるという言葉を信じて僕達は現場を後にした。
帰りの車の中でボスに聞いた。
「明日の出発は何時にしますか?」
明日はホテルを朝チェックアウト、車で移動して撮影、その後3時間ほど走りオアマルへ移動というツアーの中で一番あれやこれや忙しい日だ。
その忙しい1日が僕の誕生日でもある。
「そうだな、彼らは7時くらいから始めると言うから7時半ぐらいに着けばいいでしょう。逆算して6時半出発でどうでしょう?」
「分かりました」
この時に気持ちに引っ掛かるものがあったのだが、自分の気のせいだと思うようにしてそれ以上は黙っていた。
撮影初日。
朝も暗いうちにホテルを出た。
美術班の車はスバルレガシー。
新しいタイプでセミオートマとでも言うのか、オートマだがマニュアルモードもありギアもスピードに合わせ6段変速できる。それもギアチェンジの場所がF1のようにハンドルの裏で指でカチカチと変速するのだ。
今時の車はすごいなあ。
下り道でエンジンブレーキを効かせたい時などギアがちょうど良いところで収まり、山道の上り下りに大活躍した。
現場は雪の山道、クロムウェルから30分ぐらいか。
普段ならもっと雪が深く車で登るのも大変な場所だが今年はここでも雪不足。チェーンも付けずに登れた。
さて撮影現場に着いて何をやるか分からずウロウロしていると、そのうちに色々と頼まれるようになる。
水を10リットル持ってこいだの、アレを運べコレを運べだの、エキストラを何人運んでくれだの。
まあ、ボケっとしているより何かをやっている方がいいか。
そんなことをやっているうちにボスの鈴村さんに呼ばれた。
「聖さん、もういいですから車を出してください。」
撮影はまだ続いている。
「へ?もういいんですかい?」
「ええ、もうここでは用は無いので次の現場へ行きましょう」
僕は車を出して、撮影現場を後にした。
さて、撮影における美術とはどういうものか、僕は全く知らなかった。
僕同様、知らない人のために書くと、どうやら美術とは大道具や小道具を管理する人で現場を作る仕事と言ってもよいだろう。
美術班が先ず現場に入りセットを用意して、映像や音声や照明などが準備を済ませ、俳優がやって来て映像を撮るという流れなのだ。
言われて見れば当たり前と言えば当たり前だが、知らない人には未知の世界である。
だから美術班は撮影が始まると小道具など必要な人を残して、次の現場、そしてまた次の現場へと先回りしてセットを作っていく。
撮るシーンの時代背景や場所に合わせた物を用意して、そこに一時的にせよ『場』を作る。
だから昔のシーンでは古臭い道具などを集め、現代の物は外すか隠す。
南米のシーンではスペイン語の看板を用意して、英語の看板を隠した。
そういう事を繰り返しながら撮影隊より先に動いていき、同時に撮影の現場にも立ち会ってと、とても忙しい部署だ。
ホテルへ一度戻り、準備をして次の現場へ。
次の現場は国道脇のフルーツショップ、ホテルから車で3分だ。
そこではすでにキウィのスタッフが現場入りしていて作業をしていた。
ここでは僕が通訳となってボスの指示を与え、手伝ってセットを作る。
先ほどの現場ではニュージーランド人の通訳がいたので僕は単なるドライバーだったが、ここからはこうやって美術監督とニュージーランドのチームと一緒に働くのか。
やっとこさ、流れが見え始めた。
キウィのチームと一緒に働き始めてしばらくしてヤツの存在に気がついた。
どこかで見たことがあるぞ、この大男、誰だっけなあ、そうだサイモンだ。ヒゲを伸ばしていたから分からなかった。
僕は彼と二十年来のつきあいで昔はよく一緒にビールを飲んだ古いスキーの友達である。
近況を聞くと、首をケガしてしばらく入院して、女房と離婚して娘を連れてかれ財産をほとんど持っていかれたと言う。
「鈴村さん、こいつ僕の古い友達で久しぶりに会ったんだけど、重い話を聞いちゃいましたよ」
「どうした?女房に逃げられたってか?」
「よく分かりますね。それで娘と資産の8割を持っていかれたんだって。元の嫁さんがイギリス人だから8割持ってかれたって、ニュージーランド人だったら五分五分なんですって。ホントかなあ? おまけに首を大怪我して何ヶ月も入院していたって・・・」
「そんな話は重くならずに笑ってあげな。サイモンに言ってやれ、俺なんか借金だらけだよ、しかも億単位でな、ワハハハ」
サイモンにそれを伝えると笑ってバカ陽気に手を上げた。こいつのいいところは暗くならない所だ。
同時に僕はボスの事も少し好きになった。
「そんでサイモン、別れた女房はイギリスへ帰ったのか?」
「いや、クィーンズタウンにまだいる。2歳になる娘も女房が連れて出てな、でも法律で子供はここクィーンズタウンからまだ離れられないんだ。あいつ(女房)はどこへでも行けるが、子供を連れて行くことはできない。ざまあみろだぜ、グフフ」
こいつも笑う時はグフフと笑う。
「そりゃ・・・よかったな・・・」
「それにな、雪が降ると娘が『ダディ、スキーへ連れてって』って言うんだぞ。グフフフ」
あーあ、ここでもスキーバカの親子がいる。
クロムウェルのフルーツショップでは50年代のアメリカの市場の設定である。
年代物のレジスターや計り、古臭いポスターなどを貼り、現代のライトや装飾品を隠す。
設定が市場なのでキャベツやシルバービートや人参などの野菜を並べる。
ちなみにこういった野菜も全部買うのだそうな。そりゃ金もかかるわけだな。
昼食を挟み、作業をしているうちに冬山のシーンを取り終えた撮影本隊がやってきて、作りたての市場の中でカメラなどのセットを始めた。
準備ができた頃、俳優達を乗せた車が着く。
何をやればいいのか分からず、ウロウロしていると又ボスに呼ばれた。
「聖さん。ここはもういいですから次に行きましょう」
そして次の現場へ向かった。
次の現場はプールバーン。
ボスは何回も行っているが僕は初めてだが、あらかじめ地図をもらっているので大丈夫だろう。
クロムウェルから車で一時間ほど、セントラルオタゴのど真ん中、荒野である。
この辺りは10年以上前になるか、レイルトレイルで3日間自転車を走らせたこともあるし、時々仕事でも近くを通る。
延々と荒野のような牧場が続く殺風景な景色、これぞセントラルオタゴ。
「しっかし、まあ、よくこんな場所見つけるね」と思うような場所がロケ地である。
スパイツの宣伝にも使えそうな景色の中、車を走らせる。
そんな荒野の真っ只中に家がポツリ。その前に500坪ぐらいのきれいな畝の畑がある。
今回の為に作ったセットだ。
そこでは大工が何人も忙しそうに働いていた。
現場に着いたが、ボスの表情が渋い。
どうやら予想より大幅に遅れているようだ。
家の壁の下あたりなんて、やっつけ仕事だから隙間ができている。
ボスが自らスコップを持ち地面を掘り出した。近くのギャップを削り家の壁の隙間に土を入れる。
親方自らやってるのに自分が見ているわけにはいくまい。僕もスコップで掘り出した。
僕は土方の経験もありこういう作業は苦にならない。どちらかというと好きだ。でなかったら庭で野菜なんか作れない。
せっせと土を掘る間に太陽は西の空に沈み綺麗な夕焼けになった。
だが親方の心境はそれどころではないだろう。素人の僕が見ても「明朝の撮影、大丈夫ですか?」と聞きたくなってしまうぐらいだ。
しかも、この後ゲートを作るという仕事も控えている。
大工とゲートの位置を再確認、そこを今晩中にやってもらって、明日は朝7時から始めるという言葉を信じて僕達は現場を後にした。
帰りの車の中でボスに聞いた。
「明日の出発は何時にしますか?」
明日はホテルを朝チェックアウト、車で移動して撮影、その後3時間ほど走りオアマルへ移動というツアーの中で一番あれやこれや忙しい日だ。
その忙しい1日が僕の誕生日でもある。
「そうだな、彼らは7時くらいから始めると言うから7時半ぐらいに着けばいいでしょう。逆算して6時半出発でどうでしょう?」
「分かりました」
この時に気持ちに引っ掛かるものがあったのだが、自分の気のせいだと思うようにしてそれ以上は黙っていた。