彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

日食と暦 その1

2012年05月21日 | その他
2012年5月21日、全国的に金環日食が起こる予定になっています。
そこで、5月5日に安土城の麓で話しました日食と暦の歴史話の時に作った資料『あづちふことふみ』を転用して、日食のことに触れてみたいと思います。


『日食の日本史』
2012年は105年ぶりの天体ショー記念年とされていますが、その中でも特に注目されているのが5月21に起こる金環日食です。世界的な視野で見るならば、皆既日食は約3年に2度の割合、部分日食ならば1年に2~5回は世界のあちらこちらで起こっていますので実はそれほど珍しい物ではありません。
最近では2009年7月22日に、屋久島や奄美大島などで皆既日食が起こることが話題となり、多くの人がその場を訪れましたが、梅雨明けが遅くなったために一部の地域でしか観測できないという結果に終わっています。
それならば、なぜこのように騒がれているのか? といえば、まずは日食が日本人のDNAレベルに刷り込まれた危険信号だからということが挙げられます。民族にはそれぞれに誕生してすぐに受けた災害を恐れ信仰し神話として伝え残そうとする意識が働くといわれています。『旧約聖書』に登場するノアの方舟や『新約聖書』に登場するモーゼの海割りも、大河の近くに文明を築いた為にたびたび起こった大洪水を刻んだ記憶であり記録でした。

日本人は、天照大神という太陽神が神道で最高神のような扱いを受けていますが、『記紀』の中で天照が天岩戸と呼ばれる洞窟に身を隠し入口を岩で塞いだことから世の中は光を失ってしまったという物語があるのです。この後に鶏を集めて一斉に鳴かせ、アメノウズメという女性に踊りを躍らせて天照が興味を持って外を覗こうとした瞬間を狙って岩を抉じ開け天照が外に出ることで光が戻ったとされています。これは皆既日食を神に例えた物語なのです。
世界の神話でも日食に関わる話が残されていますが、日本人にとってはとても重要なシーンで使われている話が天岩戸なのです。その理由を井沢元彦さんは、“日本の「幼児期」である紀元一世紀から三世紀の間に、日本列島で起きた皆既日食は二回しかなく、卑弥呼の死んだ248年とそれより90年前の158年である”としています。158年の後に倭国大乱が起こり、その記憶が伝わっている間に248年の日食が起こりこの年に卑弥呼が死んだのです。そんな異常事態が日本人に日食の恐怖を植え付けたとされています。また、『日本書紀』には、推古天皇36年(628)3月1日に日食があり、その4日前に推古が寝込み、5日後(6日後?)に崩御するのです。

今でこそ、日本人が日食を怖がることはありませんが、日食に対する心のざわめきはどこの国よりも強いともいわれています。ちなみに、日本で最初に記録された金環日食は、源平合戦のひとつである寿永2年(1183)閏10月1日の水島の戦いの最中に1分半くらい太陽が95%隠れた出来事でした。合戦の途中で太陽が突然隠れて暗くなり、驚いた攻め手(木曽義仲)が兵を引いて戦いが終わるのです。



『太陰暦』

○月を基準にした太陰暦
太陰暦は、月が見えなくなる新月の日を1日とします。この日は朔とも言います。徳川家康が江戸城に入ったのが天正18年(1590)8月1日でした。これを記念して新しく開拓された土地に八朔という地名を与えました。その中の一つである都筑郡八朔村(横浜市)で後年になって新品の栽培に成功した蜜柑が“はっさく”です。
朔から次の朔まで、月齢は約29.53日です。このため、基本的には1月が30日の大の月と29日の小の月が交互にやってくるはずです。実際に交互だった年はほとんどありませんが、これが基本です。この法則に則って計算すると1年は354日になってしまい、実際の一年とは11日足りないことになるので数年に一度だけ1年を12か月ではなくあと1か月増やすことになります。これが閏月です。

○太陰暦に観る日食
日食は、太陽が月に隠れる現象です。ですから地球から見ると月の反対側に太陽の光が当たる時である新月にしか起こりません。ですから月を基準にした太陰暦では1日にしか日食が記録されないのです。ちなみに月食は満月になる15日しか起こりません。今は太陽暦になったためにこのような法則から外れてしまったのです。
歴史上では、元禄14年(1701)には元日に日食が起こりました。人々は不吉だと噂し合います。そして3月14日に江戸城松の廊下刃傷事件が起こったのです。
江戸時代の日本人は、天文学において最先端を進んでいました。宝暦4年(1754)9月1日、日本で日食が起こりました。それまで日食の予測は何度も行われていましたがほとんど当たることがなかったのですが、大坂で活躍していた浅田剛立が理論的な日食計算に成功します。これは世界で初めての事でした。



明日は、この続きで『太陽暦』のことを少し書きたいと思います。
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