今日一日の終わりに、この素晴らしい時間をありがとうございます
自宅では時間的な制約もあって全て介助による食事ですが、デイケアで施設では本人の変化を見てきちんと対応してくれます。
もちろんそれで何かが好転するものでもないのですが、親父にとってはいくらかの励みになるのかも知れません。
母親が要介護5になってから初めての夏を向かえ、私も以前よりは手伝うようになりましたが、この暑さの中での介護は親父の命を削り取るかのような厳しさがあります。
それでも親父は生活や介護に必要な買い物で、絶対に私達家族の手を借りたりしようとはしません。
先週の土曜日(デイケアの日です)も、家の前の坂道で荷物を積んだ自転車を押す親父と車ですれ違いました。
自分の妻のためのおむつを積んだ自転車はどれほどの重みでしょうか?
振り返れば、昔から母親は自分に関心を引き付ける才能に長けていました。
自分の思い通りにならない時は、その気力が尽きるまで荒れ狂い、病気や怪我すらも同情をひく道具として自在に操りました。
多分母親にとっては、愛する夫を一人占めに出来る今が一番幸せなのです。
私はそれで、今まで母親のやってきたことの一切の帳尻が合うのだと理解するようになったのです。
しかし、私は母親を見ていて思うのです。
人間にとって最大の不幸は、自分で死ぬ時を決められないことなのだと。
もちろんそれで何かが好転するものでもないのですが、親父にとってはいくらかの励みになるのかも知れません。
母親が要介護5になってから初めての夏を向かえ、私も以前よりは手伝うようになりましたが、この暑さの中での介護は親父の命を削り取るかのような厳しさがあります。
それでも親父は生活や介護に必要な買い物で、絶対に私達家族の手を借りたりしようとはしません。
先週の土曜日(デイケアの日です)も、家の前の坂道で荷物を積んだ自転車を押す親父と車ですれ違いました。
自分の妻のためのおむつを積んだ自転車はどれほどの重みでしょうか?
振り返れば、昔から母親は自分に関心を引き付ける才能に長けていました。
自分の思い通りにならない時は、その気力が尽きるまで荒れ狂い、病気や怪我すらも同情をひく道具として自在に操りました。
多分母親にとっては、愛する夫を一人占めに出来る今が一番幸せなのです。
私はそれで、今まで母親のやってきたことの一切の帳尻が合うのだと理解するようになったのです。
しかし、私は母親を見ていて思うのです。
人間にとって最大の不幸は、自分で死ぬ時を決められないことなのだと。
もう枯れてしまったものは仕方がありませんが、毎日私の播いた水で命を繋いでいた株は、この雨で息を吹き返しました。
これなら月末から始まる児童養護施設のキャンプに間に合うでしょう。
枯れてしまった株に付いている末成りの実も昨年と同様にスイカ割りに使ってもらうことにします。
最初(5月30日)に播種したトウモロコシも勢いよく出穂しました。
強風域からは外れているので、倒伏についてはそう心配していません。
これなら月末から始まる児童養護施設のキャンプに間に合うでしょう。
枯れてしまった株に付いている末成りの実も昨年と同様にスイカ割りに使ってもらうことにします。
最初(5月30日)に播種したトウモロコシも勢いよく出穂しました。
強風域からは外れているので、倒伏についてはそう心配していません。