ヒロシの日記

たくさんの人たちの幸福を願いつつ、常に自然な生き方を望む私の日記です。

親父を泣かせてしまいました

2011-12-20 21:19:05 | 家族
きっかけは母親の尿とりパッドの種類を何にするかのことでの意見の相違でした。

先週私は火曜、水曜、木曜と連続で会社を途中で抜け出し、金曜は通院で丸一日の休みとなりました。
また今週は週明けの月曜日に点滴のために終日休みを取ったため、仕事は溜まる一方でした。

そこで火曜日の今日からは仕事に集中したいと親父に希望を伝え、私が昼間のトイレ介助に来ない前提で、尿とり5回分のパッドを装着してもらう段取りの筈でしたが、念のため確認したところ親父はいつもの通り3回分のパッドを装着したと言うのです。

親父にとって尿とり回数の多いパッドは手抜きのように思えてなるべく使いたくなかったのでしょう。
しかし私も仕事の上ではぎりぎりの状況でした。
会社では私でしか対応出来ないことも沢山あるのです。

私がそれでは約束が違うし、私が困ると言うと親父はいきなり泣き出してしまいました。

『俺は十年近くも一人でこいつの世話をしてきたんだ』
『90歳近くにもなって、こんなことをやり続けなければならないのか!』



きっとお前(妻も含む)に何が分かるのかと言いたかったのでしょう。
いつまでも自分一人だけでやって来たと思っているのです。

今年4月の特養(特別養護老人ホーム)見学の時まで施設入所のことを切り出せなかったのは、親父が施設入所を『姥捨て山』と言っていたからでした。
また妻には支援に徹してもらうこととし、直接の母親の介護を頼まないのは、認知症になる前の母親に対して嫌悪感を抱いていたからでした。
遠く離れていることで実の母の世話も出来ないのに、嫌悪感を抱く私の母の介護などどうして頼めるでしょうか。

しかし私は何も言い返しませんでした。

親父の涙を見ることは稀だったからです。

親父の涙を最初に見たのは、私達家族との同居話が持ち上がる前のことでした。

兄夫婦から同居をするように圧力をかけられて神経が参っていた時に言い出したことです。

『金ならあるんだから、どこへでも行けるんだ』

『金』とは公務員の退職金を貯金したものと横浜の居宅を売り払った場合に手に入るであろう大金のことでした。
また、『どこへでも』とは有料老人ホームのことであり、誰であっても気にそわない同居を受け入れる気が無いとの決意表明でした。

私達の間で同居話が持ち上がったのは、親夫婦の追い詰められた状況(心境)がきっかけだったのです。


 
ケアマネさんとの新しく導入する介護用品の打ち合わせ

  
打ち合わせ中の母親(昼に食べたものが口の中に残っていました) 
  
コメント
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